映画 MOVIE

ジャン=ジャック・ベネックス 〜美しく色褪せることのないブルー〜

2013.06.20
『ディーバ』に魅せられて

 たとえば知り合いに「何か面白い映画はないか」ときかれたら、あなたは何の作品を挙げるだろうか。しかも、相手は映画に詳しくなく、なおかつ自分と親しいわけでもない。こういう時、私はかなりの頻度で『ディーバ』(1981年)と答えてきた。ストーリーが凝っていて、テンポが良く、お洒落で、ロマンティックで、ほどほどにスリルがあり、長すぎず、古すぎず、自分の趣味にも合っているので、薦めるのにちょうどいいのである。

 郵便配達員ジュールが、録音嫌いで知られる名歌手シンシア・ホーキンスの歌声を劇場で隠し録りするところから物語は始まる。ジュールは自分の愉しみのために録音したのだが、後ろの座席にすわっていた海賊盤業者の人間に一部始終を目撃されてしまう。以来、ジュールはその音源で利益を得ようとする組織に狙われる身となる。この「狙われる話」に、もうひとつの「狙われる話」が絡み合う。巨大な売春組織から脱走した娼婦が、組織の内幕を暴露したカセットテープを刑事に渡そうとするが、殺し屋に追われて逃げ切れなくなり、通りがかりにあったジュールのバイクの郵便バッグに滑り込ませる。ジュールはテープを入れられたことに気付かずその場を去り、娼婦は間もなく殺し屋に消される。2つの組織の標的となったジュールは、アルバというベトナム人の女の子と、神秘的な雰囲気を纏った男ゴロディッシュにかくまわれる。後半はゴロディッシュが活躍し、陰になり日向になりジュールを助けて、事件を解決へと導いていく。

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 忌憚なくいって、サスペンス作品として観るなら、これより緊張度の高い作品は無数にある。また、テンポが良いとはいっても完璧というわけではない。とくに、脱走した娼婦が急いで刑事との待ち合わせ場所に向かわず、駅でのろのろしているシーンはいただけない。地下鉄構内でバイクに乗ったジュールを刑事が追いかけるシーンも過度に執拗で、スピード感を損なっている。
 ジュールとシンシア・ホーキンスが親しくなる展開にも無理がある。ジュールは劇場で隠し録りをした後、楽屋に掛けてあったシンシアの衣装を出来心で盗んでしまうのだが、ここまでなら「異常なファンがやりそうなこと」として消化出来る。ただ、それを返しに行き、シンシアに許された上、仄かなロマンスまで生まれてしまう成り行きには苦笑するほかない。シンシアの性格は気まぐれらしいので、ジュールへの好意もスターの孤独から生じた気まぐれだろう、と了解すべきか。

 それでも私がこの映画を愛しているのは、複数のプロットを絡ませることで様々な結末を予兆させながらも、「フランス映画らしい結末」を力強く除外し、この作品がどうにかこうにか到達し得る最も理想的なラストシーン(詳述は控える)へ向かって執念深く進んでいくからである。
 オペラという要素がロマンティック・サスペンス映画の中で巧く生かされている点、今観ても新鮮なカメラワークによって当時の街並みが活写されている点も好ましい。リシャール・ボーランジェ扮するゴロディッシュが住むクールでミステリアスな空間(カタラーニの『ラ・ワリー』がその効果を高めている)も素敵だし、小物に凝ったジュールの部屋や常にイヤホンを装着しているヘンテコな殺し屋のキャラクターなどの設定もユニークで面白い。ベネックス映画の象徴ともいうべき鮮やかなブルーも、この長編デビュー作で印象的に使われている。スタイリッシュなのだが、綺麗にまとまりすぎず、画調が生き生きしているのも魅力である。

もうひとつの作表作『ベティ・ブルー』

 『ディーバ』で複雑なストーリー物はやりきった、と感じたのかどうか知らないが、これ以降、ベネックスは独自の映像美学を前面に出すようになり、プロットで圧倒する方向性ではなくなる。若きナスターシャ・キンスキーの美しさを堪能するために存在するかのような『溝の中の月』(1983年)は、その最たる例だ。

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 『ベティ・ブルー/愛と激情の日々』(1986年)はあまりにも有名なベネックスの代表作。配管工のゾルグと情熱的なベティの激しい愛の物語だが、終盤、あることを境に、元々壊れかけていたベティの精神が完全崩壊し、悲劇的なラストを迎える。ただ、湿っぽいムードや暗澹たる重さはない。2人の愛はみじかくも激しく燃えた。ベティは完全燃焼したのだ。ーーそんな余韻が最後にじわじわ広がっていく映画である。
 ベアトリス・ダルが全身全霊を注いで演じるベティは、ベネックスの映像美を無邪気に踏みつけるような存在感を発揮し、観る者を全てを巻き込むようにして、その機嫌に一喜一憂させる。ベティはセックスの塊のように見えるが、実はゾルグの小説家としての才能を世に出すために現れた天使である。狂気をはらんだ裸の天使はゾルグの人生を掻き乱すが、最終的にはゾルグに出口を与える。レオス・カラックス監督の『ポーラX』(1999年)の主人公にはそういう天使は現れず、最終的に出版社から拒絶されるので、『ベティ・ブルー』とは対照的だ。

 『ロザリンとライオン』(1989年)は猛獣使いの話で、ベネックスの映像美もたっぷり味わえるが、作品の見所はラストに集約されている。『IP5 〜愛を探す旅人たち〜』(1992年)は、かつて深く愛した恋人を探す老人と、彼のことを気にかける青年と少年が織りなす一種のロードムービー。イヴ・モンタンはこの撮影に全力投球で臨み、天に召された。そのことを知っているゆえ、彼が湖に浸かったり、走り回ったりするシーンには思わずハラハラしてしまう。この作品の問題は、老人にとって若者たちは大切な存在だった......という風に話を持って行こうとしているのに、その絆に真実味が感じられない点だ。見所はモンタンの人生最後の演技(樹木をなで回すシーンから溢れる慈愛には誰もが心動かされるであろう)、そして夜の湖の映像美である。

 『IP5』の後、長編映画から遠ざかっていたベネックスだが、ようやく2001年に『青い夢の女』で復活。監督自身の言葉を借りると、「〈死〉と〈鬱〉についてのブラック・コメディ」だという。ブルーへのこだわりは健在で、ファンには嬉しい限りだが、演出はクドさが目立ち、サスペンス的なスリルに乏しく、観ていてハラハラするよりイライラさせられる箇所が多い。もっとも、これは殺人事件に巻き込まれた精神分析医の奇妙な冒険を描いた作品であり、それまで普通に暮らしていた世界が突然普通に暮らせない世界になる、というギャップを執拗に描くことを主眼としている。なので、イライラさせられるのは監督の術中にはまった証拠といえるかもしれない。

 1980年代半ばに名声を確立しながらも、巨匠への道を歩むことなく、資金難に悩み、寡作のまま今日に至っている映像作家、ジャン=ジャック・ベネックス。これから彼が『ディーバ』や『ベティ・ブルー』を超える作品を撮ることが出来るのか私には分からない。が、少なくとも『ディーバ』がある限り、ベネックスは私のお気に入りの監督である。彼がほかにどんな作品を撮ろうと、その点に変わりはない。
(阿部十三)


【関連サイト】
Cargo Films
[ジャン=ジャック・ベネックス略歴]
1946年10月8日、パリ生まれ。ジャン・ベッケル、クロード・ベリらのアシスタントを経て、1977年に短編映画を発表。長編デビュー作『ディーバ』(1981年)で賞賛され、『ベティ・ブルー/愛と激情の日々』(1986年)で世界的に知られる。1984年、カルゴ・フィルムを設立し、製作指揮を執る。フィクション、ノンフィクションの両方を手がけていることでも知られる。『潜水服と蝶』(1997年)はノンフィクションの代表作。
[主な監督作品]
1981年『ディーバ』(1981年)/1983年『溝の中の月』/1986年『ベティ・ブルー/愛と激情の日々』/1989年『ロザリンとライオン』/1992年『IP5 〜愛を探す旅人たち〜』/2001年『青い夢の女』