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ピエトロ・ジェルミ 〜主に『鉄道員』について〜

2014.03.10
『鉄道員』の魅力

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 ピエトロ・ジェルミ監督の作品は大きく3つのタイプに分けることが出来る。まずはネオレアリズモの流れを汲んだ初期の社会派映画。このカテゴリーには『無法者の掟』(1948年)、『越境者』(1950年)などが入る。次に、市民生活の哀感を細やかに描いた中期のイタリア風人生ドラマ。この時期の代表作は『鉄道員』(1956年)、『わらの男』(1958年)、『刑事』(1959年)だ。そして封建的な結婚や離婚を風刺した後期の艶笑コメディ。ここには『イタリア式離婚狂想曲』(1961年)、『誘惑されて棄てられて』(1964年)などが入る。これらの中で特に有名なのは監督・主演を兼ねた『鉄道員』『わらの男』『刑事』で、「ジェルミ3部作」と呼ばれている。3部作はいずれも名作だが、おそらく最高傑作として紹介されることが多いのは『鉄道員』だろう。

 『鉄道員』の主人公は、50歳の機関士アンドレア・マルコッチ。彼を軸に、妻サーラ、長女ジュリア、長男マルチェロ、末っ子サンドロが織りなす人間模様をリアリスティックに描き、貧しいイタリア庶民の哀歓溢れる人生を浮き彫りにしている。
 アンドレアは気が短い典型的な頑固親父。トスカーナ煙草を好み、ワインは辛口しか飲まない。家庭の中では家父長として権力をふるい、幼いサンドロのことは可愛がっているが、ジュリアとマルチェロに対してはいささか高圧的である。
 そんなアンドレアと彼の周囲に次々と不幸が訪れる。妊娠した長女ジュリアが死産したり、自分が運転している機関車で自殺者を轢いたり、そのショックから赤信号を無視して大事故を起こしそうになって降格されたり、しまいには労働組合の組合費を出し惜しみ、ストライキに参加せず、仲間からも無視される。こうしてアンドレアは自棄になり、酒に溺れ、体を壊していく。上映時間は2時間に満たないが、一つ一つのエピソードを掘り下げれば連続テレビドラマになりそうな濃密さだ。

 アンドレア以上にドラマティックな役割を担っているのは、長女のジュリアである。彼女は食料品店の店員レナートと付き合っているが、うまくいっていない。そんな時妊娠が発覚し、2人はアンドレアによって無理矢理結婚させられる。が、結果は死産。その後結婚生活は暗転し、ジュリアはほかの男と浮気し、すったもんだの末にレナートと離婚。独立して孤独な生活を送るが、クリスマスの夜にレナートの訪問を受け、孤独を癒やす。ジュリア役を熱演しているのは新人女優のシルヴァ・コシナで、彼女はこれにより一躍知名度を上げた。
 ジュリアの持つ「薄幸のイメージ」は、次の『わらの男』に引き継がれ、同名のアンドレア(これもジェルミが演じている)と不倫の恋に落ちる女性リータとなって登場する。ちなみに、リータに扮しているのはウーゴ・トニャッツィと結婚する前のフランカ・ベットーヤである。

 気苦労の絶えない妻役のルイーザ・デッラ・ノーチェ、アンドレアの親友役のサロ・ウルツィ(ジェルミ作品の常連)の慈愛溢れる眼差しも印象的だが、やはりなんといってもこの映画の最大のポイントは、子供のサンドロを語り部にしているところだろう。汗と涙と脂にまみれた物語の中で、サンドロだけは純粋な雰囲気を保っており、「どんな不幸な状況にあっても、この子がいるなら最悪の状況ではない」と思わせるだけの救済力がある。

台詞と音楽

 アンドレアが死んだ後、それまで危ない橋を渡ってきたマルチェロはようやく就職先を決める。ラストシーンで、マルチェロが路面電車に乗るのを見送るサンドロ。この数秒間のカットが素晴らしい。山あり谷ありの人生が線路のように続いていくイメージと、カルロ・ルスティケッリが紡ぎ出す翳りのあるメロディーがこれ以上ないほど美しく重なり、何度観ても涙腺を刺激される。

 鉄で囲われた機関車の空間と、マルコッチ家の木の家具の対比も効果的で、表面の剥げた家具それぞれに家族の喜怒哀楽の歴史、口笛の合図でつながっている家族の絆が刻まれているように感じられる。そんなマルコッチ家で、すべての不幸を忘れさせてくれるようなクリスマス・パーティが行われるのも、やや非現実的な設定ではあるが、心を和ませる。

 台詞の方もシンプルで魅力的だ。仲間から見放されて酒に溺れたアンドレアがサンドロに語る言葉など、何の飾り気もないゆえにかえって心にしみるものがある。
「うまく言えないが、自分は特別だと思っていたのが本当は何でもないと思い知ると、すべてダメになる」
 受話器の向こうで人生に絶望しているジュリアに、母親のサーラが涙を流しながら語る言葉も良い。
「いいことだってあるでしょ。嫌なことは忘れるの」
 人はいざという時、感情がもつれてしまい、これくらいの言葉しか出てこないものだ。それでも言葉の裏側にある深いニュアンスは伝わる。こういった機微をジェルミは巧みに描き出している。

 『無法者の掟』や『街は自衛する』(1951年)などの初期作品を観ると、時折音楽の仰々しさ、過剰な使用が気になるが、『鉄道員』あたりになると、それが少し落ち着いてくる。相棒のルスティケッリにとっても『鉄道員』は大きな転機だったに違いない。これ以降、彼は『刑事』、『禁じられた恋の島』、『ブーベの恋人』のスコアを手掛け、映画史に名を刻むことになる。

愛欲のテーマ

 貧しくも懸命に生きるイタリア庶民たちの姿は、『わらの男』にも『刑事』にも出てくる。彼らにとって最大の関心事は、世の中を動かすようなことではなく、自身の仕事であり、自身の家族であり、自身の恋愛である。日々の仕事のために身を削る者、家族のことで頭を悩ませる者、恋愛に夢中になって泥沼にはまる者、その人生の一喜一憂をジェルミは丁寧に描いている。

 1960年代以降、ジェルミは『イタリア式離婚狂想曲』を皮切りに、イタリア人らしい愛欲や結婚の在り方をコミカルかつシニカルに描く作品を発表する。これを結婚風刺・社会風刺への路線切り替えとみなすことも出来るが、ジェルミは初期作品から愛欲のテーマをとりいれていたし(『無法者の掟』に登場する正義派の検事ですら、男爵夫人に横恋慕して駆け落ちしようとする)、中期も例外ではないことを踏まえると、後期に至ってついに人間の根源的な関心事にハンドルを振り切った、とみるのが穏当だろう。
 身分の差や貧富の差に関係なく万人を骨抜きにする愛欲、放埒ともいえるイタリア的愛欲にピントを合わせていったのは、人間の真実の姿を問うジェルミにしてみれば自然な成り行きだった。彼の全ての作品の根底には、「Amore, amore, amore, amore mio.」の歌い出しで有名な『刑事』の主題歌「Sinnò me moro(死ぬほど愛して)」が通奏低音のように流れている、といっても過言ではない。

 ジェルミは名伯楽でもあった。既述したシルヴァ・コシナとフランカ・ベットーヤ以外に、クラウディア・カルディナーレ、ステファニア・サンドレッリも、ジェルミ作品がきっかけで大スターになった。美人であるだけでなく、演技力にも定評のある女優ばかりである。ジェルミは元々俳優志望で、演技の勉強を積んでいたため、役者の心理を掴んで演技指導するのもうまかったのではないかと思われる。
(阿部十三)


【関連サイト】
Pietro Germi 「Il Ferroviere」(DVD)
[ピエトロ・ジェルミ略歴]
1914年9月14日、イタリアのジェノバ生まれ。新聞売りなどの職を転々とした後、ローマの映画実験センターの演技科で学び、3年後に監督科に転籍する。下積みを経て、1945年に「Il testimone」で監督デビュー。1951年に『越境者』で第1回ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞。同年、『街は自衛する』でヴェネツィア国際映画祭最優秀イタリア映画賞を受賞。急速に名声を上げ、『鉄道員』(1956年)、『わらの男』(1958年)、『刑事』(1959年)で国際的に知られるようになる。1960年代以降は風刺喜劇の分野で手腕を発揮し、1966年には『蜜がいっぱい』でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞。1974年12月5日、肝炎で亡くなった。
[主な監督作品]
1948年『無法者の掟』/1950年『越境者』/1951年『街は自衛する』/1953年『嫉妬』/1956年『鉄道員』/1958年『わらの男』/1959年『刑事』/1961年『イタリア式離婚狂想曲』/1964年『誘惑されて棄てられて』/1966年『蜜がいっぱい』/1967年『ヨーロッパ式クライマックス』/1972年『アルフレード アルフレード』