タグ「マーラー」が付けられているもの

  • ワルターと私 ブルーノ・ワルターはクラシック音楽を聴きはじめた人の前に、モーツァルトやベートーヴェンの作品の指揮者として現れる。そして、ライナーノーツやレビューに書かれている「温厚な人柄」「モラリスト」といった人物評により、大指揮者には稀な人格者のイメージを植え付けられる。これはワルター受容の一つのパターンと言えるだろう。しかし、そんな人物像を前提にして音源...

    [続きを読む](2016.12.11)
  • 9番目の交響曲が志向するもの 作曲家は交響曲第9番を書いた後、生き延びることができないという迷信を恐れるあまり、マーラーはもともと「第9番」として作曲していた『大地の歌』に番号を与えなかった。そして本来ならば10番目にあたる次の交響曲を「第9番」とすることで、生命の危険を回避することができると考えた。いわゆる「第九のジンクス」である。 この逸話に私はずっと疑...

    [続きを読む](2016.11.27)
  • クレンペラーの音楽 木管を強調させるやり方は、クレンペラーが意識して行っていたことである。何しろ「木管がきこえるということがもっとも重要なのです」とまで言い切っているのだ。その傾向が昔からあったことは、1928年に録音されたR.シュトラウスの「7つのヴェールの踊り」を聴くとわかる。これは極めて貴重な音源だ。録音年代を忘れるほど音質が良いこともあり、ぞくぞくす...

    [続きを読む](2016.03.21)
  • マーラーの影響 若い頃、オットー・クレンペラーはマーラーの交響曲第2番「復活」をピアノ用に編曲して暗譜で演奏し、作曲者に認められた。そして、そのとき書いてもらった推薦状のおかげで、プラハの歌劇場の指揮者になることができた。1907年のことである。「すぐれた音楽家クレンペラー氏をご推薦申し上げます。氏はまだ若年にもかかわらず、すでに経験豊かであり、指揮者の職に...

    [続きを読む](2016.03.19)
  • 美しきパノラマ ブルックナーの交響曲第6番は1879年9月に着手され、1881年9月3日に完成した。初演は1883年2月11日に行われたが、第2楽章と第3楽章が演奏されただけで、全曲が披露されたのは作曲家の死後、1899年2月26日のことである。その際、指揮を務めたのはグスタフ・マーラーだった。 1879年から1881年といえば、交響曲第4番「ロマンティック...

    [続きを読む](2015.09.01)
  • 世界が未だかつて耳にしたことがないようなもの マーラーの交響曲第3番は全6楽章、演奏時間に90分以上を要する大作である。ただ、渋滞感や退屈な部分は皆無で聴きやすく、最終的には聴き手を大きな幸福感で包み込む。あらゆる雑念を吸収し、世界を高みへと押し上げるような第6楽章の美しさが、この作品に存在する全ての要素を肯定させ、悲しみも苦しみも疲れも忘れさせるのだ。これ...

    [続きを読む](2015.02.25)
  • 扉 アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの作品では、扉や門が凶兆を告げるシンボルとして用いられる。それは、単独でメガフォンを取った初の長編映画(それまでは共同監督で長編を数本撮っていた)『犯人は二十一番街に住む』(1942年)から一貫している。この映画は酒場のドアが開くカットで始まり、その後、殺人事件が次から次へと起こる。次作『密告』(1943年)では、墓地の門が...

    [続きを読む](2015.02.19)
  • 人生の頂点にいる間に書かれた交響曲 マーラーの交響曲第5番は、1901年から1902年の間に作曲され、1904年10月18日に初演された。作曲開始から初演までの間に、マーラーはアルマ・シントラーと出会い、結婚した。長女マリア・アンナ、次女アンナ・ユスティーネも授かった。この時期のマーラーは、仕事にも恵まれていた。ただ、だからといって第5番が陽気で明快な作品か...

    [続きを読む](2014.11.07)
  • 青春の苦難と栄光 マーラーの交響曲第1番は1884年から1888年にかけて作曲され、1889年11月20日にブダペストで作曲者自身の指揮により初演された。 一時、この作品は全5楽章2部構成の「交響詩」として演奏され、それぞれの楽章には聴衆の理解を得るための標題が付けられていた。第1部は「青春の日々から。花、果実、いばらなど」。これは第1楽章「終わりなき春」、...

    [続きを読む](2014.02.12)
  •  ウィレム・メンゲルベルクは19世紀末から20世紀半ばにかけて活躍したオランダの大指揮者であり、トスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラーを含むいわゆる「四大巨匠」の一人である。彼は必要とあらば楽譜上の指示を自己流に変更し、お馴染みの作品から瞠目すべきニュアンスを引き出して音楽的効果を上げる達人だった。そのロマン主義的なスタイルと、細部の表現に徹底してこだわ...

    [続きを読む](2013.12.11)
  • 「DSCH」の宣言 ショスタコーヴィチの交響曲第10番は、1953年の夏から秋にかけて作曲され、同年12月17日に初演された。1953年といえばスターリンが亡くなった年である。1948年以降、「ジダーノフ批判」にさらされていたショスタコーヴィチが8年ぶりに交響曲を作曲したのは、おそらく圧政者の死に触発されたためだろう。ただ、この作品をスターリンとスターリンの...

    [続きを読む](2013.08.24)
  • 比類なき至芸の結晶 作品の美質を引き出す術は、オーケストラの美質を引き出す術と無関係ではあり得ない。シューリヒトはそのことを心得ていた。彼は固定スタイルを団員たちに押しつけるタイプの指揮者ではなかった。オーケストラが変われば演奏も変わる。ただ、いかなる方向からでも作品の核へと迫ろうとする、その姿勢は変わらない。 ウィーン・フィルとの組み合わせでは、1960年...

    [続きを読む](2013.07.19)
  • 「悲劇的」を超えて 一番最初に聴いたマーラーの交響曲は第7番だった、という人はどれくらいいるのだろう。おそらくそこまで多くないのではないか。私の場合、誰にいわれたわけでもなく、何のガイドブックを読んだわけでもなく、結果的に第7番を最後に聴いた。そして、大袈裟にいえば、これまでほかの交響曲に親しんできたのは、第7番の世界に入るための準備であったかのような気持ち...

    [続きを読む](2013.02.12)
  •  オッテルローが遺した録音で最も有名なのは、ベルリオーズの「幻想交響曲」だろう。名盤といわれるレコードやCDがたくさんある作品だが、その中にあって1951年6月に録音されたオッテルロー盤は、ほかの指揮者と比べて遜色ないどころか、もう60年以上、ひときわ眩しく光っている。「幻想」を聴き込んでいる人ほど、オッテルローの聴かせ方のうまさに唸らされているようである。...

    [続きを読む](2013.01.17)
  •  2011年11月22日、ベルリン・フィルの来日公演をサントリーホールで聴いた。今年、クラシックのコンサートに行くのはこれで5回目。去年の5分の1しか行けていない。前半は相次ぐ来日公演キャンセルで予定が消え、後半は仕事に追われて予定が立てられなかった。行きたいコンサートがどれも平日だったのだ。しかしながら、今回のプログラムはマーラーの交響曲第9番。指揮者はサ...

    [続きを読む](2011.11.25)
  •  イギリスが生んだ最もスキャンダラスな監督と言われるケン・ラッセル。彼は挑発的な作品を次々と発表し、世間を憤慨、驚倒させた背徳者であると同時に、極めて鋭く繊細な視覚と聴覚を持つ映像作家であり、音楽と映像をリンクさせる天才でもある。その非凡なセンスはBBC時代からすでに発揮されていた。例えば、ドキュメンタリー『エルガー ある作曲家の肖像』。淡々とした語り口であ...

    [続きを読む](2011.08.18)
  • 交響曲作曲家としての真価 シューマンの名前を聞いて多くの人がまず思い浮かべる作品は、おそらく「クライスレリアーナ」「謝肉祭」「子供の情景」などのピアノ曲か、「詩人の恋」「女の愛と生涯」「ミルテの花」といった歌曲だろう。この分野での評価には揺るぎないものがある。だが、他方、交響曲の作曲家としてはそこまで評価されることがない。「シューマンは管弦楽の扱いが稚拙だっ...

    [続きを読む](2011.03.14)
  •  まず第一にミトロプーロスの真価を伝えて余すところのない記録として、私は迷うことなくザルツブルク音楽祭でのライヴ盤を挙げる。オーケストラはウィーン・フィル。このオケはミトロプーロスのことを格別の敬愛を以て迎え、全幅の信頼を寄せていたという。この手のエピソードはたいてい美化されて伝わっているものだが、ミトロプーロスに関しては事実だったのではないかと思う。それく...

    [続きを読む](2011.03.13)
  •  ギリシャが生んだ巨星、ディミトリ・ミトロプーロスが遺したレコードには凄絶な輝きがある。一度この指揮者の魅力にとりつかれたが最後、もう逃れられない。 生前のミトロプーロスは、人間離れした記憶力でどんな複雑な総譜も完全に暗譜し、作品の核をえぐり、オーケストラがそれまで出したことがないマグマのような音を奔出させ、聴き手を畏怖と緊張と興奮で縛りあげた。指揮棒は晩年...

    [続きを読む](2011.03.10)
  •  往年の大指揮者たちのライヴ盤に接する際、「繰り返し聴くことができる」ということに対して、有り難さと同時に、畏れに近いものを感じる。今でこそ録音を前提としたライヴは多くあるし、指揮者もそのことを承知の上なのだろうが、かつてはまさかこの日の演奏がどこかで録音され、さらにCD化され、未来永劫聴き継がれることになろうと考えて指揮台に立った人はほとんどいなかったに違...

    [続きを読む](2011.02.07)
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