音楽 CLASSIC

マーラー 交響曲第1番「巨人」

2014.02.12
青春の苦難と栄光

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 マーラーの交響曲第1番は1884年から1888年にかけて作曲され、1889年11月20日にブダペストで作曲者自身の指揮により初演された。
 一時、この作品は全5楽章2部構成の「交響詩」として演奏され、それぞれの楽章には聴衆の理解を得るための標題が付けられていた。第1部は「青春の日々から。花、果実、いばらなど」。これは第1楽章「終わりなき春」、第2楽章「花の章」、第3楽章「帆をいっぱいに張って」に相当する。第2部は「人間喜劇」。これは第4楽章「座礁、カロ風の葬送行進曲」、第5楽章「地獄から楽園へ」に相当する。そして、全曲に「巨人」という標題を与えたのである。

 どんな作品でも、標題や解説があると、それだけで多少受け入れられやすくなるものだ。自分の交響曲は容易に理解されないだろうと考えた上で、マーラーはこのような方法をとったのである。しかし1896年3月のコンサートでは、標題や解説を全て取払い、「花の章」も外して、全4楽章の交響曲として披露した。当時の彼の手紙には、次のように書かれている。
「友人たちのすすめで、僕はこのニ長調交響曲の理解を容易にするために、一種のプログラムを提供しました。つまり、こうした標題や解説は事後的に考え出したものなのです。今回、それらを取り去ったのは、こうした方法では全く不徹底なーーそれどころか的外れな性格づけが為されると思ったからではありません。このような題を付けることで、いかに聴衆を惑わせてしまうか、それを如実に経験したからです」
 今でもこの作品は「巨人」と呼ばれているが、それはマーラーの意に反した行為といえる。

 第1楽章は弦楽器のフラジオレット奏法によるイ音の持続音ではじまる。早朝のような静けさの中、4度下降のカッコウ動機が聞こえてくる。チェロが奏でる第1主題は『さすらう若人の歌』の第2曲「朝の野辺を歩けば」にもとづくもので、青春の雰囲気を醸している。再現部の前に炸裂する強音は、テオドール・アドルノによって「突破(Durchbruch)」と名付けられたもの。「突破によって道を開かれた再現部は、ソナタ形式への期待と結びつくようなあの均衡性をその後再び造り出すことは出来ない」ーーこの「突破」は、マーラーの交響曲の構成を紐解く重要なキーワードといえる。

 第2楽章は3部形式。「力強い動きで、だが速すぎず」と指示された舞曲的な性格を持っている。この主題は、若い頃に憧れていた女性ヨゼフィーネ・ポイスルに向けて書かれた歌曲「ハンスとグレーテ」の旋律と密接な関係を持っている。トリオはゆるやかなウィンナ・ワルツである。

 第3楽章は葬送行進曲。「ブルーダー・マルティン」、「フレール・ジャック」、「アーユースリーピング」などのタイトルで知られる古い民謡をカノン風に扱い、奇形な幻想のような音楽をたちのぼらせる。中間部の主題は、『さすらう若人の歌』の第4曲「恋人の青い目」からの引用である。

 いびつな葬送行進曲が静かに終わると、そのまま「嵐のように激動して」と記された第4楽章に突入する。第1主題は激越だが、第2主題は極めて美しい。この2つの主題がドラマティックな起伏を描き、聴き手を興奮の渦に巻き込んでゆく。音楽の流れをドラマ風に見立てると、困難を乗り越えようとしてあと一歩のところで立ち止まり、再び乗り越えようとして挫折し、しばし甘く切ない回想にひたり、三度目、最後の力をふりしぼって駆け上がり、勝利を掴みとる主人公の姿が浮き上がってくるようだ。マーラーと親しかったナターリエ・バウアー=レヒナーの著書『グスタフ・マーラーの思い出』によると、主人公は死ぬことによって初めて勝利を得る、というテーマが伏在しているらしい。この英雄の葬礼は、次の交響曲第2番「復活」の第1楽章で行われることになる。

 冒頭の4度下降の動機は、姿形を変えてフィナーレでも非常に大きな役割を果たしている。私はこれを聴くたびに1884年に作曲されたセザール・フランクの「前奏曲、コラールとフーガ」を思い出すのだが、当時のマーラーがこの作品を知っていたかどうかは定かでない。

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 世評の高い音源は沢山あるが、私がよく聴くのは、エイドリアン・ボールト指揮による1958年の録音、小澤征爾指揮による1977年の録音、クラウス・テンシュテット指揮による1990年のライヴ録音である。ボールト盤は、快速でなおかつダイナミズムも申し分なく、1950年代の演奏とは思えないほど新鮮味がある。勢いがあっても雑にならないのは、この指揮者の美徳だろう。小澤盤は、これぞ青春の交響曲と呼びたくなるようなみずみずしい演奏で、コーダの形成の仕方も美しい限りである。甘美な「花の章」が付いているのも嬉しい。テンシュテット盤は、熱い魂の刻印だ。何度聴いても心が震え、いてもたってもいられなくなる。このライヴは映像で観ることも出来る。こんな演奏を生で聴かされたら、一生の思い出になるだろう。

 ライヴ盤といえば、キリル・コンドラシンが人生最後の日に指揮したコンサートの音源にもふれないわけにはいかない。緊張感をはらんだ清澄な空気の中、濃厚かつ鮮明な演奏を繰り広げており、作品の内部構造が膨張して浮き上がってくるような印象を受ける。時折聴きたくなる名演奏だ。ジョン・バルビローリがハレ管を振った1957年の録音も良い。青年らしい情熱、絶望、自傷的妄想、生命の眩しさがあますところなく表現されている。しかし歪なステレオ録音で、ずっと聴いていると頭が痛くなるのが悩みの種だ。

【関連サイト】
マーラー:交響曲第1番(CD)
グスタフ・マーラー
[1860.7.7-1911.5.18]
交響曲第1番ニ長調「巨人」

【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
クラウス・テンシュテット指揮
シカゴ交響楽団
収録:1990年5月、6月

小澤征爾指揮
ボストン交響楽団
録音:1977年3月、4月

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