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ダニー・ロバン 〜パステルカラーの清純派〜

2015.03.13
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 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『アンリエットの巴里祭』(1952年)に忘れられないシーンがある。誕生日の7月14日、洋服店に勤めているアンリエットは、恋人で報道カメラマンのロベールと会えるのを楽しみにしている。しかし、ロベールはデートにやって来て早々、「社長に呼ばれた」と言い、アンリエットを置き去りにする。社長のことは口実で、本当はサーカス団の花形リタに誘われていたのである。
 何も知らないアンリエットは悲しみに沈むが、その様子を見ていた泥棒のモーリス(彼は稼業から足を洗おうと思っている)は、ちょうど通りがかった花屋の花を買い占め、近くにいた子供たちに花を持たせる。そしてお駄賃を渡し、少し離れた所にいるアンリエットに「お誕生日おめでとう」と言いながら花を渡させる。子供たちから両手いっぱいの花をもらい、祝福され、悲しみから笑顔に変わるアンリエット。私はその表情を見て、なんて魅力的なんだろうと思ったものである。

 アンリエットを演じた女優の名前は、ダニー・ロバン。彼女は1927年4月14日にフランスのクラマールに生まれ、幼時よりバレエを習い、コンセルヴァトワールのバレエ科を首席で卒業。その後女優を志し、演劇科を首席で卒業した。B・L・C映画部が発行した『真夜中の愛情』(1953年)のパンフレットによると、バレエ科にいた頃の師はソランジュ・シュワルツだという。
 女優として本格的に活動するのは戦後からで、マルセル・カルネ監督、イヴ・モンタン主演の『夜の門』(1946年)、ルネ・クレール監督、モーリス・シュヴァリエ主演の『沈黙は金』(1947年)で存在感を示し、『恋路』(1951年)でスター女優の仲間入りを果たした。シリアスもコメディもこなせる実力派の美人女優として、日本でも人気があった。『別冊太陽 フランス女優』(1986年発行)の山田宏一との対談で、フランソワーズ・モレシャンが語ったところによると、パステルカラーのファッションを採り入れ、薄いピンクの手袋やふわっとしたスカートを流行させたーー「そういうブリッ子のスタイルをはじめてやった」ーーのはダニー・ロバンだという。それを引き継いだのが初期のブリジット・バルドーである。

 犯罪やセックスの匂いがする映画が人気を博す一方、ダニー・ロバンはパステルカラーの清純可憐さと、どこかしなしなしたカマトトぶりで、映画ファンの心をつかんだ。『アンリエットの巴里祭』の主演を務めたのが彼女だったことには大きな意味がある。話の内容は、シナリオの創作過程を追ったもので、刺激的な展開を求める脚本家と純愛路線を重んじる脚本家がやり合いながらシナリオを作り、ヒロインの運命がころころ変わる。結局、映画は純愛路線に傾くわけだが、脚本家同士のやりとりは、最初からパワーバランスが悪く、正直なところ退屈である。
 ただ、ダニー・ロバンとミシェル・オークレールのキャスティングは絶妙だ。男性を支配する肉体派へのアンチテーゼとして、ダニー・ロバン以上にふさわしい女優はなかなか思いつかない。その可憐さと、本能的に科(しな)を作っているような雰囲気は、か弱い小悪魔を思わせる。彼女は自己主張することなく、男性をナイーヴにさせ、女心を汲み取らせる。そういうキャラクターの魅力があればこそ、オークレール扮するモーリスのような泥棒が、本気で生き方を変えて、アンリエットと一緒にフランスを出たいと考えるくだりにも説得力が生まれる。

 ジャン・マレーと共演したコメディ『巴里の気まぐれ娘』(1953年)も清純派路線。屋根裏部屋に家具を持ち込み、男を慌てさせ、しまいには魅了する展開にも嫌味がない。可憐で、快活で、愛くるしく、ほのかに香るような色気があり、こんな人が近くにいたら楽しいだろうなと思わせる女性像を体現している。美しくなった屋根裏部屋でドレスをまとったヒロインは、さながら肖像画の中のプリンセスのよう。それとは対照的な女性像をジャンヌ・モローが演じているのも効果的だ。男に引けをとらない、と言わんばかりの圧迫感がみなぎっている。ちなみに、『アンリエットの巴里祭』のときはヒルデガルド・ネフがその役割を担っていた。

 シリアスものでは、許されない恋に溺れて心中する回想形式の『恋路』がある。情死事件の真相を追う刑事役はルイ・ジュヴェ、若い恋人役はダニエル・ジェランである。後半、海で水着姿になり、ダニエル・ジェランと馬跳びをしてはしゃぐシーンがあるが、しばしば言われる足の太さはここで確認できる。ただ、これは舞踏の訓練で鍛えられた足と言うべきだろう。ジャン・マレーとの共演作『真夜中の愛情』は、クリスマスの夜のはかないシンデレラ物語で、お酒に酔うヒロインがなんとも愛くるしい。仏米合作の『想い出』(1953年)は、米兵との悲恋もの。共演はカーク・ダグラスで、まだ演技に不慣れな感じのブリジット・バルドーも脇役で出演している。ダニーの打ちひしがれた表情に胸が痛くなる映画で、そのしょんぼりとしたコート姿は、後の『ヘッドライト』(1956年)のフランソワーズ・アルヌールを思わせるものがある。

 フィルモグラフィによると、ダニー・ロバンの最後の映画出演作は、アルフレッド・ヒッチコック監督の『トパーズ』(1969年)らしい。これはお世辞にも傑作とは言えない。役どころもパッとせず、中年女性の色気は感じられるものの、この映画はなんといってもカリン・ドールが殺される鮮烈なシーンに尽きる。
 主題歌が有名な『フルフル』(1955年)は、キュートな花売り娘が社交界に入り、母になり、自分の娘が恋する年齢になるまでを描いた半生記だが、私は今日まで観ることができずにいる。当時の夫であるジョルジュ・マルシャルと夫婦役を演じた『正午に銃殺の鐘が鳴る』(1958年)も観ていない。これらを観ることが目下の望みである。

 1970年以降は家庭の人になっていたようなので、消息は分からない。ただ、分かっているのは、1995年5月25日、パリのトロカデロのアパルトマンで火事により亡くなったということである。私はこのニュースを『フォーサイト』の記事で知った。卒論を書くために国会図書館で資料収集をしていたとき、その作業に飽きて、普段読まない雑誌を読んだのである。虫の知らせだったのだろうか。最初は信じられず、同姓同名だと思おうとしたが、頭がくらくらして、涙が出てきた。今でも国会図書館に行くと、そのときのことを思い出す。そして、花を抱えて微笑むアンリエットの愛らしい笑顔が瞼に浮かび、少し切なくなるのである。
(阿部十三)


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Dany Robin
[ダニー・ロバン略歴]
1927年4月14日、フランスのクラマール生まれ。バレエを習い、コンセルヴァトワールのバレエ科を首席で卒業した後、女優を志し、演劇科を首席で卒業。マルク・アレグレ監督の映画でデビューし、マルセル・カルネ監督の『夜の門』(1946年)で、比較的目立つ娘役を得る。1947年にはジャン・アヌイの『城への招待』の初演でイザベル役を演じている。1950年代前半、ギイ・ルフラン監督の『恋路』(1951年)、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『アンリエットの巴里祭』(1952年)で映画界でも人気者に。後年は円熟した女性の魅力を見せた。1995年5月25日、パリのアパルトマンで火事により夫と共に亡くなった。私生活では1951年にジョルジュ・マルシャルと結婚、2人の子供をもうけたが、1969年に離婚。マイケル・サリヴァンと再婚した。