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中北千枝子 〜常に必要とされる名脇役〜

2016.04.15
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 中北千枝子は成瀬巳喜男監督の映画に欠かせない名脇役である。演じるのは、大体家庭に問題を抱えている奥さんや出戻りの役で、本人も「なんかシケた役が多いんですよね。まともな役ってないんですよね」と語っている。

 例えば、『山の音』(1954年)で演じている役は、子供を連れて家出し、実家にやってきた女。彼女はいろいろ辛い目にあってきたことで性格がささくれており、父親(山村聡)が美しい兄嫁(原節子)を可愛がることに嫉妬している。彼女の唯一の強みは子供を産んでいることで、それをネタに、子供のいない兄嫁にチクリと皮肉を言う。その世間擦れした雰囲気と絶妙な台詞まわし、けだし絶品である。

 『稲妻』(1952年)では女手一つで赤ん坊を育てているお妾の役で、相手の男が死んで保険金がおりたことを調べ、本妻(三浦光子)に20万円寄越せと迫る。『浮雲』(1955年)では富岡(森雅之)の妻役で、地味だがしおらしい感じでもなく、金歯が悪目立ちしている。『流れる』(1956年)では夫と別れ、子供を連れて姉(山田五十鈴)の置屋に転がり込んでいる女の役で、気が抜けていてだらしない。『女が階段を上る時』(1960年)では銀座のバーの女給役で、ラーメンをずるずる啜る姿におよそ銀座らしくない所帯染みたものを漂わせる。『女の中にいる他人』(1966年)では平凡な奥さんの役で、夫が会社の金を持ち逃げして愛人と行方をくらまし、そのことを夫の上司(小林桂樹)に告げられて呆然とする。......こうやって挙げていくとキリがないが、中北はそれぞれの「シケた役」で、リアリティと演技の冴えを見せ、一つ一つのシーンを忘れられないものにする。

 中北自身は、別に「シケた役」を嬉々として演じていたわけではなく、「ホントに他の監督さんだったら、こんな役、断るのになあっていう役でも、やっぱり成瀬先生だったら、どんな役でも出たいっていうことはあるんですよね。勉強になるしね」と語っている。実際、彼女の演技力は磨きに磨かれており、エロキューションも魅力的だ。自然で素朴なようでいて、芸として洗練されている。彼女にもそういう自負があったことは、「皆さん、地で気楽に演ってるなんておっしゃいますけど(笑)。やっぱりあたくしなりに、いろいろ考えてね」という発言からもうかがえる。

 もともと中北は黒澤明監督に鍛えられた人。『素晴らしき日曜日』(1947年)ではヒロインを務めている。貧しいカップルが35円の所持金で日曜日を過ごすという設定からして良いし、とにかく名場面の多い作品だ。印象的なのは、新興模範住宅で夢を語る昌子(中北)が恋人の雄造(沼崎勲)に「もっと現実的にならなきゃダメだよ、こういう世の中に生きていくには」と言われたとき、「こういう世の中だから余計に夢がほしいのよ。夢がなかったら生きていけないわ、苦しくって」と応じるところ。ほかの役者が言うと臭くなりそうな台詞も、彼女はさらっと聞かせるのである。かと思えば、有名な野外音楽堂のシーンで、客席に向かって熱いスピーチをして泣かせたりもする(演出補佐だった小林恒夫によると、中北は数十回テストされてもカメラを回してもらえず、限界に達して絶叫したという)。「B席10円」のコンサートに行きたいと、雄造に「ねえ、ねえ、ねえ」とせがむところも微笑ましい。ここから、雨の中、日比谷公会堂に向かって全速力で走る素晴らしいシーンへとつながるのである。

 同監督の『醉いどれ天使』(1948年)と豊田四郎監督の『わが愛は山の彼方に』(1948年)も代表作だ。前者で演じたのは、街の顔役・岡田(山本礼三郎)の妻だった過去を持ち、今は真田(志村喬)の病院で働いている美代役。後者は献身的な看護婦のテル役で、既婚の医師(池部良)を慕っており、己の感情を抑えながらも、熱い想いが滲み出ている。どちらも生活感があり、肉感的で生々しい女性である。この手の役は、薄っぺらな美人が演じても説得力が出てこない。ちなみに、両作品とも結核を扱っている点で共通している。

 中北は東宝の女優だが、他社でも名演技を見せている。大映で撮られた黒澤の『静かなる決闘』(1949年)や成瀬の『稲妻』は、監督がおなじみなので置いておくとして、なんといっても外せないのは、松竹の小津安二郎が監督した『早春』(1956年)だ。浮気性の夫と死別してさばさばしているOLの役で、細かい所作も、テンポの良い台詞まわしも、鮮やかと言うほかない。淡島千景を相手に、水を得た魚のごとく振る舞っている。同じく松竹で撮られた小林正樹監督の『この広い空のどこかに』(1954年)は、出番は少ないが、明るい性格の日雇いの役で、子供の病気の治療費のことで旧友(高峰秀子)に泣きつくところがいかにも彼女らしい。

 実生活では、『ゴジラ』(1954年)を手がけた東宝の名物プロデューサー田中友幸の妻だった。田中が製作した作品は好みではなかったらしいが、身内だから、あえてそんな風に言ったのかもしれない。私自身がリアルタイムで中北を見たのは、親しみやすいキャラクターを前面に出した「ニッセイのおばちゃん」のCMが最初で、次がおそらく刑事ドラマ『特捜最前線』(「愛・弾丸・哀」)の再放送である。息の長い女優で、『白い巨塔』にも財前五郎の母親役で出演していた。地味な役とかシケた役が多いといっても、そういう脇役がいなければ、作品は成立しない。それを「地で気楽に演ってる」と言われるほどのレベルで理想的に演じることができたから、彼女は必要とされ続けたのである。
(阿部十三)


[引用文献]
田中眞澄、阿部嘉昭、木全公彦、丹野達弥編『[映畫読本]成瀬巳喜男 透きとおるメロドラマの波光よ』(フィルムアート社 1995年1月)



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中北千枝子
[中北千枝子略歴]
1926年5月21日、東京生まれ。下谷高女を卒業後、日本映画学校に入学。1944年、東宝に入社。『日常の戦ひ』でデビューし、1947年には黒澤明監督の『素晴らしき日曜日』の主役に抜擢された。その後、成瀬巳喜男監督に重宝され、ほとんどの作品に出演。日本生命のCMにも起用され、「ニッセイのおばちゃん」としてお茶の間に親しまれた。代表作『わが愛は山の彼方に』でプロデューサーを務め、『ゴジラ』をはじめとする特撮ものを数多く手がけた田中友幸の夫人でもあった。2005年9月13日、急性心筋梗塞により79歳で死去。