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神聖ガルボ帝国 〜世界最高の美女と謳われて〜

2011.04.20
GARBO-FLESH-AND-THE-DEVIL
 いかにも隙のない絶対的な美人の前では、男は往々にして無力になるものだ。口説きの対象というよりは憧れ、崇拝の対象。映画で観るグレタ・ガルボは、まさにそんなイメージの女だった。マスコミを徹底的に遠ざけ、私生活を明かさなかったことも、彼女の神秘性を高めるのに一役買っていた。

 1905年9月18日、スウェーデン生まれ。本名グレタ・ロヴィーサ・グスタフソン。映画に初めて出演したのは17歳の時。まもなくハリウッドへ渡り、『イバニエズの激流』と『肉体と悪魔』で世界的な人気を得た。この2作でのガルボはゾッとするほど妖艶で美しい。後年、トーキーの波が押し寄せてきた時、スウェーデン訛のガルボは消えるだろうと言われていたが、案に相違し、独特のセクシーなハスキー・ボイスで乗り切った。記念すべきトーキー・デビュー作『アンナ・クリスティ』(1930年)の第一声は「ウィスキーをちょうだい、ジンジャーエールを添えてね」。そして付けられたキャッチフレーズは「ガルボ、しゃべる」。
 ちなみに、『ニノチカ』(1939年)のキャッチフレーズは「ガルボ、笑う」。こんなことがいちいち大事件になるような存在だったのだ。

 女優主権の映画はガルボから定着した。彼女以前にもグロリア・スワンソンという女王格の女優がいたが、個性的美人で、万人が認める美人とは言い難い。チャップリン、ヴァレンティノなどと噂があったポーラ・ネグリは確かに美人だが、妖艶で毒味が強すぎた。さらにその前にはリリアン・ギッシュ、メアリー・ピックフォードがいたが、親しみやすい美人で、女王というイメージではない。その点、ガルボは絶対的美人で見るからに女王然としている。ただの美人ではない。怖い美人。硬質かつ派手、薔薇の花のようなその美貌は、主役におさまらないと承知しないと言わんばかりである。こんな人が現場にいたら、周囲は一歩ひいて主役の座を譲らざるを得なくなるだろう。本人がわざわざ自己主張しなくても、自然とそうなる。「神聖ガルボ帝国」は評論家の筈見恒夫が付けた異名らしいが、その真意には多少の皮肉も混じっていたはずである。それも含めて絶妙な呼び方だと思う。

GARBO_CAMILLE
 ジョージ・キューカー監督が手がけた名作『椿姫』で女優としての演技力も認められたが、1941年の『奥様は顔が二つ』で人気に翳りが見えはじめると、「私は一人になりたい」と言って36歳ですぱっと引退。二度と公衆の前に姿を現さなかった。それから約50年後の1990年4月15日、84歳で亡くなった。
 俳優のジョン・ギルバート、指揮者のレオポルド・ストコフスキー、映画監督のジャック・フェデーなどと浮き名を流しながらも、独身を貫いたガルボ。孤独を好んだその生涯は今なおミステリアスなヴェールで包まれている。

 ビリー・ワイルダー監督が1979年に発表したロマンティック・ミステリー『悲愁』は、引退後のガルボをモデルにした作品である。周知の通り、ワイルダーは『ニノチカ』で脚本を担当した人。ありていに言って『悲愁』は凡作だが、ワイルダーがガルボに屈折した想いを寄せていたことは伝わってくる。
 この映画にも出てくるように、カムバックの話は何度かあったようだ。しかし、カムバックしなくて良かったと思う。同時代のライバル、マルレーネ・ディートリッヒは80歳近くまで堂々現役だったが、ガルボには老いた自分を見せることは出来なかった。それも一つの生き方である。おかげで「神聖ガルボ帝国」の伝説は汚されずに済んだのだ。
(阿部十三)

【関連サイト】
GARBO FOREVER