映画 MOVIE

太陽を盗んだ男 〜それは赤の他人か?〜

2011.07.08
 『太陽を盗んだ男』(1979年)は中学の理科教師が自宅アパートで原子爆弾を製造し、日本政府を脅迫する物語。つまり、テロリストを描いた映画だ。とはいえ、主人公・城戸誠(沢田研二)の要求には、政治的な色合いは一切ない。彼が突きつけるのは、「ナイター中継を最後まで放送しろ!」「ローリング・ストーンズの来日公演を実現しろ!」など......国家を揺るがし得る兵器を持っている人物とは、とても思えないようなふざけた要求事項ばかりだ。しかし、一見荒唐無稽なこの映画は、桁外れのリアリティを帯びて迫る。

 本作に脈打つリアリティとは何なのか? それは物語が進行する毎に城戸誠の中で募ってゆく「自分は一体何をしたいんだろう?」という、鬱屈した苛立ちだ。目標がハッキリ見えているならば、仮に困難が様々あろうとも、人の心は案外健やかでいることが出来る。しかし、目標が見えない場合は、かなり厄介だ。「自分は何をしたいのか?」という疑問は、やがて「自分は必要ではないのでは?」というさらなる疑問へと必然的に辿り着く。そして、何がしたいのかすら分からないのだから、その苛立ちを解消する方法が分かるはずもない。一種の無間地獄......息苦しい濃霧の中を無目的に彷徨うような、そんなジリジリした感覚に心当たりがない人なんて、おそらくいないだろう。自分が何になりたいのか分からず、悶々とするばかりの思春期の少年少女。定年退職をして退職金をたっぷり貰い、経済的には何の問題もないものの、仕事に代わるアイデンティティを見出せず、何だか急にとんでもなく不安になるお父さん。ありふれた類型はいくらでも挙がる。それは、本作で城戸誠が抱える苦しみとかけ離れたものでは決してない。『太陽を盗んだ男』は、そういう我々と自ずと重なり合う映画だ。「めちゃくちゃなストーリーだなあ」と半ば呆れつつも、いつの間にやら他人事とは思えず、いやむしろ自分自身のことを描いた映画であるかのように激しく感情移入させられてしまう。

 城戸誠も物語の途中までは、実に活き活きとしていた。日中は無気力に教鞭をとりつつも、帰宅後は原子爆弾の製造法を熱心に研究。原子力発電所への潜入の計画を練り、身体を鍛え、警官から拳銃を盗み、プルトニウムの強奪を見事に成功させる。材料が全て揃い、着々と原子爆弾を組み立てる日々に漲る充実感。金属プルトニウム片を政府に送って原子爆弾の製造成功を証明し、まずは手始めにナイター中継の放送延長を実現させた時、城戸誠は無邪気に歓声を上げる。しかし、彼は結局自分が何を求めているのか分からなくなるのだ。劇中で、かつての彼が熱血教師であったことが、生徒同士の会話によって明かされる場面がある。何らかの理由によって教職への情熱を失った彼が、やがて辿り着いた新たな生き甲斐が原子爆弾の製造だったのだろう。ところが、いざ原子爆弾が完成してみると、その先のヴィジョンが全く描けなくなったのだと思う。愚かだ。本当に駄目なやつだ。しかし、僕は彼を軽く鼻で笑えことは一度もない。床の上で原子爆弾をサッカーボールのように足で転がして遊ぶ城戸誠。勢い余って壁に激突しそうになり、慌てて抱き止めた原子爆弾に、「ほら、黙って勿体つけてないで言ってみろよ。一体何がしたいんだ、お前は?」と空虚な表情で問いかける彼の姿を見る度、いつも胸がキリキリ痛む。

 原子爆弾というシリアスなモチーフを扱いつつも、とことん人を喰ったトーンを豊富に盛り込んでいるのも本作の魅力だ。インベーダーゲームのチープな電子音を被せながらコミカルに進行するプルトニウム強奪。ガイガーカウンターをマイクに見立て、ラジオから流れるボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの「GET UP, STAND UP」に合わせて歌い踊る場面の軽薄さ。ターザンのようにロープに摑まり、窓ガラスを蹴り破って警視庁に突入する場面の出鱈目さ......などなど。異様なエネルギーが何度となく迸る。そして、そんなこの映画の主人公・城戸誠をスタイリッシュに演じるジュリーこと沢田研二の美しさと言ったらない。しかし、「人を喰ったコミカルなトーン」「ジュリーの美」という陽性のスパイスが豊かに香れば香るほど、明るい虚無とでも言うべき不気味な諦念が本作の画面を覆ってゆく......。

 城戸誠を追い詰める山下警部(菅原文太)のターミネーター級の不死身っぷり。城戸誠と生徒を乗せたバスが旧日本兵の老人(伊藤雄之助)にジャックされ、皇居へ突入するシーンの鮮烈さ。沸々と膨れ上がるばかりの苛立ち、痛ましい感情の解放を見事に音響化した井上堯之のサウンドトラックなど。本作の特筆すべき点は尽きない。監督は長谷川和彦。彼が脚本を手掛け、ジュリーが3億円事件の犯人を演じたTVドラマ『悪魔のようなあいつ』(1975年)も傑作だ。魂のエネルギーが向かう場所を見出せず途方に暮れる男を描いているという点で、『悪魔のようなあいつ』は『太陽を盗んだ男』の原型と捉えることも出来るだろう。『太陽を盗んだ男』に心打たれた人には、『悪魔のようなあいつ』もお薦めしたい。
(田中大)


【関連サイト】
『太陽を盗んだ男』
『太陽を盗んだ男』(DVD)
【執筆者紹介】
田中大 DAI TANAKA
1973年3月17日生まれ。東京都出身。96年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。
シンコーミュージック、ロッキング・オンの音楽雑誌の編集者を経て文筆業に。
専門は音楽全般、西部劇。趣味はギター、サックス。