映画 MOVIE

『ポゼッション』 〜そのドアを開けてはいけない〜

2012.03.01
 窓からベルリンの壁が見える。
 閑静ながら、どこか不穏な空気を秘めた西ベルリンの住宅地。単身赴任先からこの街に帰ってきたマルクは、妻アンナのよそよそしい態度に不信感を抱く。そしてアンナが自分の留守中に不倫していたことを知る。相手はハインリッヒという男。アンナはマルクを拒絶し、ハインリッヒと逢瀬を重ねる。そのくせ、度々マルクのもとへ戻ってくる。戻ってくる度に、2人は感情を爆発させ、容赦なく傷つけ合う。そういう時、アンナはヒステリーというより、もっと深刻な錯乱状態に陥っている。一体全体彼女に何が起こっているのか、マルクにはわからない。

 マルクは探偵を雇い、アンナの行動を調べさせる。探偵はアンナが「セバスチャン街87番地」に秘密の部屋を持っていることを突き止める。その住所をマルクに電話で告げた後、探偵は管理会社の人間だと偽り、アンナの部屋を訪ねる。部屋に入り込んだ探偵は、浴室でぬめぬめした「不気味な生物」を発見し、アンナに惨殺される。
 「セバスチャン街87番地」はハインリッヒの家ではない。どうやらアンナには第三の男がいるらしい。あえてそれ以上は干渉しようとしないマルク。やがてハインリッヒも、アンナにほかに男がいるのではないかと疑い、マルクに心当たりがないか詰め寄る。しかし、マルクは答えない。

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 マルクは息子のボブが通う学校の担任、ヘレンを知る。ヘレンはアンナと瓜二つ。ただ髪の色、瞳の色、服の趣味が違うだけ。マルクは思わず取り乱す。これは幻覚だろうか。彼はヘレンと関係を持つが、愛しているのはあくまでもアンナであり、ヘレンではない。ヘレンの方がまともで、一途で、純粋そうなのに、マルクは彼女と距離を保ち、アンナに執着し続ける。その愛は深く、そして救いようがないほどいびつだ。

 「セバスチャン街87番地」では異常事態が進行していた。姿を消した探偵の行方を追い、もう一人の探偵がアンナの秘密の部屋に向かう。そこで彼が目にしたのは、かなり成長した「不気味な生物」だった。その探偵もアンナに殺される。

 マルクはアンナが開拓する狂気の世界を追いかけはじめる。その過程で、衝撃的な出来事に直面し、動転しながらも、免疫力を備え、次第にアンナの共犯者のような存在になっていく。「不気味な生物」とは何なのか。マルクとアンナの運命はどこへ向かっているのか。破滅の時はそこまで迫っている......。

 アンジェイ・ズラウスキー監督が1980年に発表した不条理映画『ポゼッション』のストーリーを簡潔にまとめるのは至難の業である。劇中、なぜこんな不可解なことが起こっているのか、という説明は無し。「不気味な生物」のプロフィールも不明なままだ。ただ、人が邪悪なものに取り憑かれ、正気を失い、怪物を作り上げ、メチャクチャに崩壊していく。その有様を、幾何学的形状を描くようなカメラワークでいかにもズラウスキーらしく露悪的に映し出す。アンナの壊れっぷりは、ロバート・アルトマン監督作『イメージズ』でスザンナ・ヨークが演じた不倫妻の狂気を連想させなくもないが、個人の狂気を超えて世界の終末を描いているところが『ポゼッション』の新しさだ。

 見せ場はいくつもあるが、中でも有名なのはイザベル・アジャーニのぶっ飛んだ発狂シーン。キリスト像を見つめていたアンナの中で善と悪が互いに首を絞め合い、善がいなくなるまで、地下鉄の通路で数分間叫んで大暴れし、口やら耳やら股間やら、あちこちから得体の知れない液体を放出する。観ている方まで頭が変になりそうである。
 もうひとつは、アンナと「不気味な生物」のセックスシーン。明確な形を持った怪物とアンナの濃厚な情事をマルクが目撃するのだが、グロテスク趣味もここまでくると恐怖を通り越して笑いを誘う。ただ、デヴィッド・リンチを彷彿させる破裂的な音響は効果的だ。
 グロテスク趣味といえば、冷蔵庫に詰め込まれた探偵の遺体が少しだけ映るところも忘れられない。その配置と色の具合が監督の感性の異常ぶりを物語っている。これは最も直視にたえないシーンである。
 ちなみに、私が凍りつくような恐怖を覚えたのはラストシーンだ。詳述は控えるが、チャイムが鳴り、ヘレンがドアを開けようとするのをボブが制止し、「開けないで、開けないで、開けないで、開けないで」と叫ぶ。そしてーー。あのシーンは思い出すだけでも身の毛がよだつ。ホラー映画も形無しのトラウマ映像である。

 物語としてあり得ない矛盾点はあるが、それらは不条理映画の名の下に雲散霧消する。いちいちご都合主義と批判するのも馬鹿らしくなる。全体を覆っている緊急事態のムードが観客を呑み込み、全てを容認させてしまう、そんな映画である。
 面白いのは色彩の関係性。アンナは青い瞳。ヘレンは緑の瞳。マルクはどちらかといえば青い瞳。そして「不気味な生物」は緑の瞳。それぞれの瞳の色に意味深な符合が感じられる。「不気味な生物」と同様、ヘレンもどこか謎めいている。アンナとヘレンが瓜二つに見えるのは、おそらくマルクだけである。というのも、ハインリッヒがアンナの行方を知るためにマルクの家を訪ねた時、そこにいたヘレンを見かけているにもかかわらず、何の反応も示していないからだ。実際のヘレンはどういう容貌の持ち主なのか。ひょっとすると、清純そうなヘレンもまた「不気味な生物」の一人ではないのか。外見は似ていても中身は完全に別物。だからマルクもヘレンに対して夢中になれないのではないか。

 10代半ばの頃、私はこれを家族と観た。アジャーニが出ているという理由で観たのだが、あまりに過激な展開に1人、2人と退散し、私だけがラストまで残った。観てはいけないものを観た、という恐怖にも近い感情で頭の中がじりじりした。心配していた通り、しばらくの間、邪悪な映像の後遺症から脱することができなかった。そのくせ、ついまた観てしまうのである。まあ、何度も観るような映画ではないし、いくら分析しようとしても得られるものは僅かしかない。好きな作品かときかれたら、好きとはいえない。ただ、愛と死に関する何かを読み取らせずにはおかない映画ではある。
(阿部十三)


【関連サイト】
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