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ローレンス・オリヴィエ 〜真に偉大な俳優についての話〜 後編

2012.09.12
 英国演劇界の花形的存在だったラリーが最も意識していた役者は誰か。おそらくそれはジョン・ギールグッドだろう。ギールグッドがラリーのことをどの程度ライバル視していたかは分からないが、少なくともラリーの方には、相手の影響力を敬遠しつつ自身の演技術を追求していた節がある。自伝などを読んでもギールグッドについて書く時の調子には拭いようのないライバル意識が感じられる。
 そしてヴィヴィアン・リー。彼の役者人生に最も直接的刺激を与えたのがヴィヴィアンであることには疑問の余地がない。ポジティヴな意味でも、ネガティヴな意味でも、ラリーにとってヴィヴィアンはモチベーションに火をつける存在であり、複雑な感情を抱かせる対象であった。ヴィヴィアンがいるからこそ発奮できたこともあるだろうし、ヴィヴィアンとの絶望的な関係から生じた心の穴を芸術に没頭して埋めたこともあるだろう。

 シェイクスピア俳優としての魅力が詰まった代表作は、『ヘンリー五世』と『ハムレット』と『オセロ』(1965年)。『ヘンリー五世』は劇中劇を大胆に用いた作品で、巧みにシェイプアップされた脚本で構成されている。アジャンクールの戦いの前に兵士たちを高揚させるヘンリーの演説が最大の見所。その神々しいトランペットのような声の威力には誰もが圧倒されることだろう。反面、戦いの前夜に兵士たちの本音を聞いた後、穏やかなトーンで語られる独白の美しさも比類がない。ラリーは著書『演技について』で「身体は楽器と同じで、ちゃんと調音されていて、いつも演奏に応じなければならない」と語っているが、それが文字通り体現されている。マギー・スミスがデズデモーナに扮した『オセロ』では、オセロの弱さ、脆さ、落ち着きのなさを前面に出し、「威厳に満ちたムーア人」とは異なるアプローチで人物造型を行っている。個人的には、オーソン・ウェルズの風格あるオセロ像が好みだが、ラリーのような解釈があっても面白いと思う。

 60歳を超えてからも、その演技力はほかの役者にとって脅威であり続けた。たとえば、ナチス残党の陰謀を描いた『マラソンマン』(1976年)ではダスティン・ホフマンを、車産業の内幕を描いた『ベッツィー』(1978年)ではトミー・リー・ジョーンズを食っている。ダスティン・ホフマンもトミー・リー・ジョーンズも好演しているのだが、画面にローレンス・オリヴィエが現れると、霞んでしまう。こればかりはどうしようもない。ただ、『探偵スルース』(1972年)のマイケル・ケインは大先輩と良い勝負をしている。『画家と美女の奇妙な生活』(1984年)はジョン・ファウルズの原作をTVドラマ化したもの。原題は『黒檀の塔』。ラリーとロジャー・リースが一人の女性(グレタ・スカッキ)をめぐり水面下で静かに火花を散らすところは、別に見せ場といえるほど盛り上がるシーンではないが、ラリーがパオロ・ウッチェロの絵を引き合いに出したりして、その語り口が妙に印象に残る。最後の出演作となったデレク・ジャーマン監督の『ウォー・レクイエム』(1989年)では老兵役を演じているが、出番は少ない。この映画はティルダ・スウィントンの熱演に尽きる。

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 シェイクスピア作品以外でローレンス・オリヴィエの魅力を最大限引き出している映画は、ウィリアム・ワイラー監督の『黄昏』(1951年)である。主人公は一流レストランの支配人ハーストウッド。彼は不幸な女性キャシーと出会い、不倫の恋に落ちる。妻から一文無しにするわよと脅されたハーストウッドは、レストランの金を持ち逃げし、キャシーと駆け落ちするが、愛の生活は長く続かない。極貧生活の中、キャシーは女優として人生の活路を見出し、ハーストウッドのもとを去る。残されたハーストウッドは......。
 エレガンスが服を着たようなロマンスグレーの不倫と破滅を描いた名作である。物語自体は救いがないが、それを救っているのが、辺りを払うようなローレンス・オリヴィエの品格。名優とは何か、名演とは何か、その全ての答えがここにある。見所は山ほどあるけれど、特に圧巻なのは、妻に脅されたハーストウッドが見せる空虚な表情と一瞬ふらつく動作。空虚や無の状態から、次の瞬間にはいきなり妻に襲いかかるのではないか、と思わせるほどの冷たい凄味が漂っている。そして、ラストシーン。未見の人のために詳述は控えるが、落魄した男が最後に僅かばかり残った矜持を見せるその一挙手一投足が涙を誘う。

 演劇史に大きな足跡を残したローレンス・オリヴィエの舞台とはどんな風なものだったのか。フィルムに収められ、どこかに保管されているのだろうか。今のところ、私は観たことがない。ペギー・アシュクロフトがジュリエットを演じた『ロミオとジュリエット』、ヴィヴィアン・リーとの『悪口学校』『マクベス』『タイタス・アンドロニカス』、トニー・リチャードソンによって映画化された『寄席芸人』、オーソン・ウェルズ演出の『犀』など、舞台写真や劇評から想像を膨らませるほかないのが淋しい。
(阿部十三)


【関連サイト】
ローレンス・オリヴィエ 〜真に偉大な俳優についての話〜 前編
laurenceolivier.com
[ローレンス・オリヴィエ略歴]
1907年5月22日、イギリスのサリー生まれ。聖歌隊で訓練を受けると共に、クリスマスの出し物で演技も体験する(『ジュリアス・シーザー』の市民2)。大女優エレン・テリーがこの公演を観ていたという。1923年には『真夏の夜の夢』のパック役で成功。セントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマで学び、1925年にプロの俳優としてデビュー。その舞台で派手に転倒し、観客を爆笑させてしまったという。1930年にジル・エズモンドと結婚。ノエル・カワードの『私生活』のヴィクター役で注目され、1935年に『ロミオとジュリエット』で成功。同時期、ヴィヴィアン・リーと出会い、恋に落ちる。1939年の『嵐が丘』以降は映画の仕事も順調で、話題作・ヒット作に出演。1944年『ヘンリー五世』で名実共にイギリスを代表する名優として認知される。ラルフ・リチャードソンと共にオールド・ヴィク座を再開させ、海外巡業で英国演劇界の層の厚さをアピール。1947年、ナイトの爵位を授与される。1948年、『ハムレット』でアカデミー賞作品賞を受賞。私生活ではヴィヴィアン・リーと1940年に結婚したものの、彼女の精神病と浮気に悩まされ続けた。1961年3月3日にヴィヴィアン・リーと離婚。ジョーン・プロウライトと結婚。現代劇にも意欲的に出演し、1970年にはロード(貴族)に。1989年7月11日、死去。