映画 MOVIE

『モデル連続殺人!』 〜殺しの美学〜

2018.09.08
「ジャッロ」の代表作

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 マリオ・バーヴァはイタリア・ホラー映画界の巨匠として絶大な影響力を誇った人である。ダリオ・アルジェント、ジョン・カーペンター、ティム・バートンといった人たちの作品も、バーヴァから受けた影響を抜きにして語ることはできない。フェデリコ・フェリーニですら怪奇映画を撮る際は、バーヴァの作品からアイディアを拝借していた。
 バーヴァの名を世に知らしめたのは、1960年に公開された『血ぬられた墓標』だ。このゴシック・ホラーで恐怖表現や残酷描写に革新をもたらした監督は、まもなく一大潮流となるジャンルを開拓する。ホラーやエロの要素を多分に含む犯罪ミステリー映画ーーそれまでは一部のペーパーバック小説を指していた「ジャッロ」(イタリア語で「黄色」という意味)である。

 『モデル連続殺人!』(1964年)は初期「ジャッロ」の代表作であり、幻想性や残虐性がふんだんに盛り込まれている。原題は「殺人者のための6人の女」。これで何人の女性が犠牲になるのか分かってしまうが、何人殺されるのか、もっと言えば、誰が殺されるのかという問題はこの映画では大事なことではない。それよりもファッション・モデルの美女たちが殺害されるその方法や描写を見せることに重きが置かれている。
 カルロ・ルスティケッリの煽情的な音楽が流れるオープニングの映像からすでに独特だ。照明と色彩に凝った妖しい雰囲気のサロンにいるモデル、そして彼女たちと関わる男たちが次々と映されるのだが、全員マネキン人形のようで不気味である。

殺人映画のはじまり

 嵐の日、雨風の勢いでオートクチュール「クリスティアン」の赤い看板が外れるカットから映画は始まる。その数分後、店で働くモデルのイザベラ(フランチェスカ・ウンガロ)が、「クリスティアン」の敷地内の林で、覆面をした(のっぺらぼうのマネキンのような外貌の)何者かに絞殺される。この林の中のシークエンスは否応なしにアルジェントの『サスペリア』(1977年)を思い出させる。
 「クリスティアン」のオーナーで伯爵未亡人のクリスティアーネ(エヴァ・バルトーク)がクローゼットにしまわれたイザベラの惨殺死体を発見し、警察が来て捜査が始まる。オートクチュールの共同経営者モルラキ(キャメロン・ミッチェル)は、捜査に協力することを警部(トーマス・レイネル)に約束する。
 モデルの仲間のうち、泣いているのはイザベラの親友ペギー(メアリー・アーデン)だけ。モデルもデザイナーも使用人もどこか冷めていて、皆怪しく見える。イザベラの恋人で古物商を営むコカイン中毒者フランコ(ダンテ・ディ・パオロ)も怪しい。この男はイザベラと喧嘩をしてコカインを取り上げられていた。

 ファッション・ショーの途中、ニコル(アリアンナ・ゴリニ)はイザベルが着る予定だった夜会服を着ることになるが、その服につけるアクセサリーを探している時、イザベラの日記を見つける。すると、その場にいる全員が日記に関心を寄せる。何が書かれているのか気になって仕方がないようだ。ニコルは自分が明日警察に渡すと言い、日記を鞄に入れる。
 そこへフランコから苦しそうな声で電話があり、ショーを抜け出して店に来てほしいと言われる。電話の声はどこか様子がおかしいが、フランコに夢中なニコルはそれに気付かず、ペギーの車を借りて彼の店に向かう。
 その古物屋の店内で、ニコルは覆面の殺人鬼に追い回され、最終的に捕まって殺される。犯人の狙いはイザベラの日記である。しかし鞄には日記が入っていない。実は、ペギーが車の鍵を渡す際、ニコルの鞄から掠め取っていたのである。ニコルが殺されたとは知る由もないペギーは、ショーから帰宅すると日記を開き、自分に関して都合の悪いことが書かれている部分を暖炉に投げ入れ、日記自体も燃やしてしまう。そこへ殺人鬼がやってくる。

様式美に昇華された殺人描写

 このようにして殺人事件が続くが、ただ繰り返されるのではない。例えば、ニコルは緑、青、赤、紫の妖しい色彩が闇に浮かぶ空間の中で惨殺されるのだが、計算し尽くされた美しい照明が悪夢のように幻想的で、残酷美とでも呼ぶべきものが生まれている。これがバーヴァの狙いだった。イザベラが赤、ニコルが青、ペギーが緑の衣装を着ているのも三原色を意識してのことである。監督の関心の大部分はいかに殺人シーンを様式美にまで昇華させるかということにあった。その点で、当然のように美女が大勢いて、色彩に富むモード界は殺人の理想的な舞台だったのだ。
 自宅の暖炉で日記を燃やすカットが印象的なペギーが、別の場所で拘束され、燃焼炉に頭を押しつけられて殺されるというイメージのつなげ方も巧い。ここは映画の中では最も残酷なシーンだが、非常に力のこもった演出である。ちなみに、アルフレッド・ヒッチコック監督の『引き裂かれたカーテン』(1966年)でオーブンに男の頭を突っ込ませるシーンが公開されたのは2年後のことだ。

 警察はオートクチュールの関係者、モデルの婚約者・恋人など計5名の男性の中に犯人がいるとにらみ、彼らを署に呼んで拘束するが、その間にまた殺人事件が起こる。犠牲者はグレタ(レア・ランデル)である。グレタが自分の車のトランクに入れられたペギーの遺体を見つけるカットから、クッションで窒息死させられるカットまでの緊張感と怪奇色あふれる演出は今観ても鮮やかだ。重なり合うグレタとペギーの遺体を鏡に映したショットも怪奇映画的である。
 この映画の主役は犯人を捜す警部でもなく、犯人に狙われている美女でもなく、謎解きにさほど重きが置かれていない。ストーリーにはやや辻褄の合わないところがあるし、登場人物の設定にそこまで細かく注意が払われているとも思えない。はっきり言って、誰が犯人なのか書いても、観る価値が減ずることはないだろう。が、いちおう推理物ではあるので、それにはふれないでおく。

「ジャッロ」の完成と発展

 バーヴァはこの作品以前に『知りすぎた少女』(1963年)や『ブラック・サバス 恐怖!三つの顔』(1963年)の第一話「電話」を撮っている。これらは「ジャッロ」の原点として知られているが、前者はモノクロであり、後者は短編である。『モデル連続殺人!』のように、様式美が徹底され、妖しい色彩と不気味な闇の世界で、下着姿の美女たちがあれやこれやの凝った方法により惨殺されるという猟奇犯罪ものが作られて、初めて映画分野の「ジャッロ」は幕をあけたと言える。
 それを前提で言わせてもらうと、この作品は殺しの美学事典のような趣を持つ「ジャッロ」である。大半の登場人物はまともではない。薬物中毒者だったり、性格が冷たかったり、後ろ暗い過去があったり......といった人たちが(オープニングのスタイリッシュな映像に象徴されるように)感情移入できないマネキン的な存在として私たちの前に現れる。それもおそらく特定の人物に同情したり肩入れすることなしに、純粋に殺害場面を堪能してもらうための方法だったのだろう。この映画の主役は、登場人物の誰かではなく、殺人と様式なのだ。赤い受話器が揺れるカットでラストを締める演出も、様式の徹底ぶりを示すもので、これは冒頭の赤い看板のカットと呼応している。

 主なキャストにもふれておくと、エヴァ・バルトークはハンガリー出身で、戦後ハリウッドに進出し、『真紅の盗賊』(1952年)などに出演していた女優。私生活では自分の娘をフランク・シナトラの子だと公表し、話題になったことがある。キャメロン・ミッチェルは『サラリーマンの死』(1951年)などで知られるアメリカの俳優で、のちにイタリア映画に多く出演し、一時期はバーヴァ作品の常連だった。

 「ジャッロ」は1960年代半ばから量産され、時代のニーズや規制の緩和に合わせて、女優も下着姿ではなくヌードになり、残酷描写もより過激になり......と変化していくことになる。しかし、例えば1970年代の「ジャッロ」の中では比較的評価の高い『美女連続殺人魔』(1972年/ジュリアーノ・カルニメオ監督作)に、『モデル連続殺人!』と同じ覆面(色は違うけど)の殺人鬼が登場するように、センスのある映像作家によってバーヴァのアイディアや美学は何かしらの形で引き継がれている。様式美、幻想美、残酷美の融合を偏執的に追求した『美女連続殺人魔』には、「ジャッロ」の映像作家にとって多くのヒントが詰まっているのである。
(阿部十三)


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