文化 CULTURE

それでもやっぱり万年筆が好き 〜モンブランに憧れて〜

2011.06.25
 実用性の観点からすれば全く理に適っていない選択肢、道具に愛着を持ってしまうタイプの人間が世の中には存在する。全くもって非能率的で非生産的! ナンセンス! ダカラモテナイノサ! そう罵られたとしても寂しげな笑いを浮かべ、静かに頭を下げるしかないコダワリの持ち主達。それは例えば1000円くらいで売っているクォーツやデジタル時計の方が遥かに正確なのに、わざわざ数十万円も出してゼンマイ式腕時計を購入して使用する人。高性能でコンパクトなデジタルカメラが普及しているのにフィルム式、しかもマニュアルフォーカスのカメラでの撮影に執着し続けて家族の顰蹙を買うお父さん。CDでもとっくの昔にリリースされているのに、歴史的な名作はアナログ盤でも所有しないと気が済まない音楽マニア。〈合理性〉という観点から見れば、彼らの〈コダワリ〉に勝ち目は全くない。いい加減、目を覚ましなさい! ......とバッサリ切り捨ててこの話を終わらせたいところなのだが、実は困ったことに僕もこの種の気質に大いに心当たりがあるのだ。僕の場合、それに該当するのが筆記具だ。

 僕はこれでも一応文筆業のハシクレなので、平均的な人に較べて文字を書く頻度、分量は圧倒的に多い。さすがに手書きの原稿を編集者に手渡しなんてしていたら、仕事の発注がゼロになるのは目に見えているのでパソコンを使っている。威張るわけではないが、文章を打ち込むスピードは、おそらく平均的な会社員の倍くらいだと思う。パソコンには十分過ぎるほど慣れている。しかし、それでも僕は仕事の工程の中から手書きを排除することが、どうしても出来ないのだ。原稿を書く前の段階、取材のプランを練ったり、原稿を書く上での漠然としたイメージ、キーワードを頭の中から掘り起こす場面で、紙とペンを使わずにはいられない。学生時代から慣れ親しんだコクヨのレポート用紙にペンで書きなぐる作業を捨て去ることが出来ない。

 別に「手書きの方が味があるから」とかいう生ぬるいことを言いたいわけではない。僕なりに筋が通った理由はちゃんとあるのだ。あくまで個人的な感覚なので科学的な根拠があるわけではないのだが、僕は〈パソコン/手書き〉の間には、利点の差異があるように感じている。パソコンは書いた原稿の構成の変更を瞬時に行えるし、表現や語尾などの細かい修正が非常に楽。つまり、パソコンは「まとめる」という作業に対して圧倒的に秀でているツール。それに対して、手書きは思考が赴くままにアイディアを紙の上に書き散らす作業にピッタリ。つまり、手書きは「広げる」という行為に向いている。僕はこのように感じている。そして、そんな僕に欠かせないのが、これまたやたらと時代錯誤な古めかしいアイテム、万年筆なのだ。

 万年筆は、かつては大人を象徴する憧れのアイテムだったと聞く。中学、高校の入学祝いの定番が万年筆だった時代もあったという。そういえば、70年代の学習雑誌の新年度号の付録だった〈ピンクレディー万年筆〉や〈山口百恵万年筆〉がインターネットオークションに出品されているのを見つけたことがある。人気絶頂のアイドルが万年筆と関わるなんて、今では考えられない話だ。例えば〈AKB48前田敦子モデルの万年筆〉〈Perfumeモデルの万年筆〉が生産されるなんて、〈前田敦子モデルのモモヒキ〉や〈Perfume印の蚊帳〉と同じくらいあり得ない。今や万年筆はちっともオシャレじゃないし、すっかり一般社会の中心から外れた存在なのだ。まあ、それも仕方のないことだろう。なにしろパソコンがこれだけ普及しているし、手書きをするのだったら100円くらいのボールペンだって、書き味はかなり良い。しかし、そんな世の中になっていることは認めつつも、万年筆が魅力的な道具であるという点はやはり語っておきたい。

 使い慣れた万年筆の書き味は、他の筆記具とは比べようもない柔らかさだ。筆圧を掛けず、無意識に近い状態でスラスラ書けるあの感覚は、大袈裟に表現するならば宇宙からのメッセージを拾って自動筆記するようなイメージに似ている。まあ、僕は宇宙からのメッセージをキャッチしたことなんてないのだが。こういう万年筆ならではの書き味を味わいたい人は、ぜひ太軸のモデル、ペン先がMかB(万年筆のペン先は大きく分けるとF=細字、M=中字、B=太字の三種類がある)辺りのものを選んで欲しい。ボールペンを使い慣れた人からすると太軸や太字を選ぶのには若干の躊躇があるようだが、太軸の方が筆圧を要さないので腕が疲れないし、太いペン先の方が書き味は滑らかで気持ち良いのだ。

 そして、実用面だけでなく、万年筆は物体としても実に愛らしい。使う前にインク瓶にペン先を浸してインクを吸引する作業は、何だか意義深い仕事をこれからしようとしているような気分になれる素敵な儀式だ。また、いろいろなデザインが並んでいる文具店の陳列ケースを眺めるのは楽しい。ペリカンの製品は、よく見るとクリップの部分がペリカンのクチバシを模していて、とてもかわいい。ウォーターマンは、持っているだけでIQが50くらいアップしそうな知的なフォルムだ。モンブランのマイスターシュトゥック149というモデルは、太くて重厚な葉巻のような風貌をしていて、黒いボディと金色のクリップとのコントラストがとても美しい。これを使って仕事をすれば偉い人になれそうな気がしてくる。高級な重箱のような蒔絵が施されたセーラーの万年筆は渋くてカッコイイ。眺めていると鰻重が食べたくなる。イエロー、オレンジ、マーブル模様など、華やかな色合いがお菓子のように美味しそうなパーカー......あれもこれも欲しくなって、コレクターになってしまう人もいるらしいが、その気持ちはとてもよく分かる。

 僕はこれからも万年筆を使い続けるだろう。誰が何と言おうと。今日もこの原稿をパソコンで書く前に万年筆を使って構想を練った。ああ、万年筆を使うと仕事がジャンジャンはかどるなあ?......この原稿は本当は数日前に着手するはずだったのだが、準備のために万年筆にインクを吸引した際、派手にこぼしてしまった。机の上がめちゃくちゃになり、すっかり気分を害した僕が仕事を放棄してフテ寝したことは、ここだけの話にしておいて欲しい。
(田中大)


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