文化 CULTURE

ナショナルRF-2200 夢とロマンに溢れたラジオの名機

2011.09.24
 ネットオークションでうっかり落札してしまったそいつの名は、ナショナルRF-2200(クーガ2200)。1976年に発売されたラジオだ。どうやらこのラジオが出た頃は、若者の間で海外の短波放送を聴くのが流行していたらしい。そのニーズに応えるために当時のナショナルが総力を結集して発売したのが、RF-2200なのだという。残念ながら僕はブームの頃は幼稚園児だった。いくらクレヨンしんちゃん並みのマセガキだったとはいえ、親の目を盗んで夜中にラジオのアンテナを伸ばし、まるでスパイのように受信ポイントを探した経験はない。そんな僕が何故、このラジオを手に入れたのか? 理由はただひとつ。とにかく、こいつはやたらとカッコイイ!

 今年の1月頃、秋葉原の中古マーケットで昔のラジオがいろいろ売られているのに出くわした。どれもかなり古びていたが、デザインが秀逸なものばかりであり、僕は激しく惹かれたのだった。重厚なボディから放たれる威光は、まるで軍装品。何に使用するのか素人目には全く理解出来ないスイッチ類がズラリと並び、チューニングメーターには無数の目盛や数字が複雑怪奇に刻まれていた。21世紀の電化製品に囲まれている人間の目から見ると、それらは「ラジオ」というよりも「通信機」という印象であった。

rf2200
 中でも異彩を放っていたのがソニーICF-5900とナショナルRF-2200だ。ICF-5900は他のラジオと較べると色合いが若干淡く、正方形に近いフォルムの中にコンパクトにスイッチ類が配されているデザインが非常に洗練されていた。何処か都会的なオシャレさが漂うラジオであった。一方、RF-2200はICF-5900の正反対。とにかくデカく、威圧感があった。A4の紙くらいのサイズがあり、一際異彩を放っている大きなスピーカーは今にも何らかの警報を発令しそう。天頂部に取り付けられている回転式のアンテナは、航空母艦のレーダーを彷彿させた。後になって知ったことなのだが、先行機種のソニーICF-5900に対抗して発売されたのがナショナルRF-2200だという。だからこのような対照的な見た目となったのかもしれない。

 秋葉原での偶然の出会い以来、「昔のラジオを集めるのも面白いかもな」と漠然と思うようになったのだが、ついに僕はその一つ、RF-2200の所有者となった。しかし......使いこなしているとはお世辞にも言えない。僕は深夜放送を聴くのが好きな子供だったので、同世代の中でもラジオには詳しい方だ。AM、FMの他、国内の短波2局をプリセットスイッチによって受信出来るソニーICF-EX5というラジオを高校生の頃に愛用していたのだから。しかし、それは専らオールナイトニッポンをやっているニッポン放送用であり、混信してくるモスクワ放送を避けるためにラジオを持って部屋の中をウロチョロする時以外、僕の海外放送との接点はなかった。そんな僕がいきなりRF-2200を手にしてしまったのだから、戸惑うのも当然だ。なにしろこのラジオはAM、FMの他、6つの周波数帯の短波放送を受信出来る。とはいえスイッチを細かに切り替え、ノイズの中から微かな海外放送の音声を探す根気は、僕にはない。まるでお手上げなのだ。

 「宝の持ち腐れ!」と言われても、「その通りでございます」としか答えようがない。しかし、それでもこのラジオを買ったことに、僕はとても満足している。じっくり眺めたり、スイッチ類を適当に操作していると、何だか元気になれるのだ。ラジオが家電の花形のひとつであり、日本の電化製品の性能の高さに全世界が舌を巻いていた1970年代。その時代の活き活きとしたエネルギーを、RF-2200は伝えてくれるような気がする。短波の6つの周波数帯を受信出来るなんて、発売当時もごく少数の人しか必要としない過剰な性能だった気がするが、「このラジオはその気になればいろんな国の放送を受信出来るんだ!」と想像するだけで皆はワクワクしたのだろうし、開発したメーカー側にも「我が社の技術力を見せてやる!」という採算を多少は無視した意地もあったのではないだろうか。合理性を超越したエネルギー、「夢」のようなものを僕はRF-2200に感じる。

 誰がどう見ても下り坂続きであり、「来年は今年よりも生活が良くなっているはず!」という明るい希望なんてなかなか持てないのが現在だ。そんな世の中で地道に暮らしている僕にとって、RF-2200は皆が上を見ていた時代の息吹を感じさせてくれる一種のお守りとなりつつある。眠れない夜は時々このラジオをいじって過ごし、明日への活路を少しずつ探していくことになるのだろう。
(田中大)

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