文化 CULTURE

谷崎潤一郎 「悪魔」と「続悪魔」について

2016.06.04
 谷崎潤一郎の初期作品「悪魔」と「続悪魔」は、強迫観念に支配された人間の心理を真正面から扱った作品である。前者は明治45年2月の『中央公論』(原題は旧字で「惡魔」)、後者は大正2年1月の『中央公論』(原題は旧字で「惡魔(續篇)」)に掲載された。「The Affair of Two Watches」(『新思潮』明治43年10月)にも「激しいHypochondriaに陥り、たつた獨りになると獰猛なる強迫観念に襲はれて、居ても立つても堪らなくなる」主人公が出てくるが、「悪魔」と「続悪魔」ではそれまで以上にこの観念と向き合い、血と破裂の予感、自分の存在を押しつぶすほどの恐怖と死の妄想をつぶさに描いている。衰弱した神経の内部にぐっと踏み込むことで、独自の文学表現をつかみとろうとしたのである。

 当時谷崎がこの作品に心血を注いでいたことは、「続悪魔」初出時の冒頭文からもうかがえる。それによると、「悪魔」執筆時、編集者(滝田樗陰)の督促にあい、「少なくもあの倍以上になるべき長さを、無理に短くつづめて了つた」ことで、結末の付け方も含めて不本意なものとなったらしい。そこで「悪魔」初出時の結末部分の数節を「全くないものと思つて、讀んで貰ひたい」とした上で、続編を発表したのである。

 「悪魔」は主人公の佐伯が帝大に入るために汽車に乗って上京する場面から始まる。そこで彼は「さながら自分の衰弱した魂を脅喝するやうな勢で轟々と走つて行く車輪の響の凄じさ」に恐怖し、頭に血が上った状態で「あッ、もう堪らん。死ぬ、死ぬ」と叫び、車室の窓枠にしがみつく。
 この症状について、谷崎は「恐怖」(『大阪毎日新聞』大正2年1月)の中で、「ほんたうに今想ひ出しても嫌な、不愉快な、さうして忌ま忌ましい、馬鹿々々しい此の病氣は、Eisenbahnkrankheit(鐵道病)と名づける神經病の一種だらうと云ふ。鐵道病と云つても、私の取り憑かれた奴は、よく世間の婦人にあるやうな、船車の醉とか眩暈とか云ふのとは、全く異なつた苦悩と恐怖とを感ずるのである」と書いている。しかし、「悪魔」の佐伯の苦痛と恐怖の対象は鉄道ないし地震のように、物理的に揺れるものにとどまらない。彼は祖母が脳溢血で頓死したこと、また、彼自身が岡山の六高にいたときに放蕩していたことから、「自分は此のままだんだん頭が腐つて行つて、癈人になるか、死んでしまふか、いづれ近いうちにきまりが着くのだらう」と考えている。そんな彼にとっては、目に映るすべてのものが精神を揺さぶる死のサインであり、神経衰弱の種なのである。

 佐伯は叔母林久子の家の二階に住み込むが、学校はさぼりがちで、部屋に籠って煙草を吸い、ウィスキーを飲み、だらけてばかりいる。過去の放蕩で肉体が疲労しているため、女遊びをしに行くこともない。叔母の娘すなわち従妹の照子は、そんな佐伯のことが気になるようで、しょっちゅう二階にやって来る。立派な肉体を持つ彼女がそばに来ることを、佐伯は迷惑に思っている。
 この二人に絡んでくるのが、照子の亡父に「将來立派な者にさへなれば、随分照子の婿にもしてやる」と言われ、その気になっている鈴木という書生だ。叔母も照子も鈴木のことを嫌い、馬鹿にしているが、追い出したら何をされるか分からない不気味さがあるので、仕方なく家に置いている。

 佐伯の存在が邪魔でならない鈴木は、照子が留守の間、佐伯の部屋にやって来て、照子が処女でないこと、かつて照子と関係を持ったこと、照子と結婚する気でいることを告げる。しかし佐伯は鈴木の話を意に介さず、そのために鈴木から恨まれる。「とうとう己にも魔者が取り付いた」という妄想にとらわれた佐伯は、「だんだん自分が照子と戀に落ちて、矢張殺されなければならないやうな運命に陥り込みはしないだらうか」と考え始め、鈴木に殺される自分の姿を想像する。
 にもかかわらず、佐伯は林家から出て行かない。彼はより怠惰になり、講義を頻繁にさぼり、「恐ろしく官能的な、奇怪な、荒唐な夢を無數に見る」日々を送る。そんなある日、風邪をひいた照子が置いて行った鼻水のついた手巾をこっそり舐めた佐伯は、「人間の歓樂の世界の裏面に、こんな秘密な、奇妙な樂園が潜んで居るんだ」と感激する。このくだりは執拗かつリアルで、描写は詳細にわたっており、「くちゃくちゃ」「ぺろぺろ」「ぺちゃぺちゃ」といった音を多用して読者の感覚を刺激する。

 既述したように、谷崎は「続悪魔」を発表する際、「悪魔」の「最後の數節、『間もなく女中のお雪が云々』以下は、全くないものと思つて、讀んで貰ひたい」と読者に伝えた。これは正確には、「間もなく照子と入れ代りに、女中のお雪が上がつて來て」、照子の手巾がないかどうか佐伯に尋ねるところを指す。この後、佐伯が手巾を舐める場面へと進む。
 初出時の原稿では、さらに照子の食いかけのお菓子を拾い、足袋や下駄を舐め、しまいには「雪隠へもぐり込んでやらうか」と企むところで終わる。つまり、佐伯の「秘密な、奇妙な樂園」は明確にスカトロジーへと直結していくことになる。当初谷崎はこれら全てをカットするつもりでいた。「続悪魔」はその前提で書かれたものである。
続く
(阿部十三)


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