音楽 CLASSIC

モーツァルト ピアノ協奏曲第21番

2011.02.08
神がかった美しさ

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 1785年、モーツァルトはピアノ協奏曲第20番ニ短調を2月に書いた後、わずか1ヶ月足らずで第21番ハ長調を書いた。ハ長調というシンプルな調性をみても想像がつくように、この作品は暗い情熱が渦巻く第20番とは異なり、明るく、優美で、リズムも快活である。
 しかし、そこはモーツァルト、快活なだけの作品では終わっていない。耳を澄まして聴いてみると、危険なまでの美しさがひそんでいることに気付かされるはずだ。

 満開の桜を近くで見た時、ただ単に「きれいだ」という感慨を超えて、恐れに近い感情を抱いたことのある人はいないだろうか。時間や空間という観念が消失し、自分の存在が美の中に吸い込まれ、中身が空っぽになってゆくような感覚。この音楽は、ちょうどそれと同じような境地へと私たちを誘い込む。とくに第2楽章のアンダンテは言語を絶する美しいメロディーで編まれており、天女の羽衣のように一点の汚れもない。

 この第2楽章のメロディーを印象的に使った映画がある。『みじかくも美しく燃え(原題:エルヴィラ・マディガン)』という1967年のスウェーデン映画だ。これは1889年に実際にあった話をベースにした作品で、脱走兵シクステンと女綱渡り芸人エルヴィラの明日なき逃避行を、ひたすら詩的な映像で綴っている。牧歌的な風景の中で、睦まじく愛を語り合う2人。しかし男は軍隊に追われる身。持ち合わせはほとんどなく、明日はどうなるか知れない。追っ手は確実に2人に迫っている......。この切ない映画のバックにモーツァルトの音楽が何度も繰り返し流れており、それが非常に大きな効果を上げている。おかげで第2楽章は一気にポピュラーになった。ピアノ協奏曲第21番そのものの副題として、「エルヴィラ・マディガン」と記されているケースもしばしばあるが、それくらい映画の影響が強かったということだろう。

 第2楽章のことばかり書いたが、その他の楽章も魅力的である。いや、はっきり言うと、私としては第1楽章にこそこの作品を聴く醍醐味があると思っている。第2楽章が汚れのない美しさだとしたら、こちらは暗い宿命を感じさせる美しさ。外見は明るくて快活。だが、この作品はやっぱり悲劇なのだと感じさせる。それをはっきりと示しているのが、第109小節で突然顔を出すピアノの荘重な独奏であり(この旋律は交響曲第40番ト短調の第1楽章の主題を連想させる)、第44小節と第397小節のオーケストラによる峻烈なトゥッティであり、第222小節からのピアノとオーケストラによる疾風のようなかけあいである。こういうところにじっくり耳を傾けてみると、作品の印象もだいぶ変わってくるのではないだろうか。少なくとも私には、怒りや苦悩をストレートに打ち出した第20番よりも、こちらの方が神がかった美しさと悲劇性を完全に両立させている点で壮絶に思える。

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 録音では、前述の映画で使われたゲザ・アンダの弾き振りによる演奏が有名だ。素朴に見えて知的、重すぎず軽すぎずの平衡感覚がすばらしい。個人的には1961年に録音されたロベール・カサドシュのピアノとジョージ・セルの指揮による演奏をよく聴く。鮮烈で、歌心にあふれ、かつ造型感がしっかりしている。これほどのモーツァルトは滅多に聴けない。
 そして、夭折した天才ピアニスト、ディヌ・リパッティが亡くなる3ケ月前にライヴで弾いた際の鬼気迫る録音。作品の核心をついた彼の捨て身の演奏は、音質の古さを超越して強いインパクトを与えるに違いない。
(阿部十三)
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
[1756.1.27-1791.12.5]
ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467

【お薦めの録音】(掲載ジャケット:上から)
ロベール・カサドシュ(p)
クリーヴランド管弦楽団
ジョージ・セル指揮

ディヌ・リパッティ(p)
ルツェルン祝祭管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮

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