音楽 CLASSIC

フランク 交響曲

2011.04.02
宗教と官能

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 ダンディ、ショーソン、デュパルクの師匠であり、近代フランス音楽の父と言われるセザール・フランク。ベルギー生まれだが、「フランスのブルックナー」と呼ばれていたこともある。
 誠実温厚な人柄で、質素な生活を営み、信仰に篤く、教会音楽を数多く手がけ、教会のオルガン奏者として生涯を終えたということもあり、多くの研究者はフランクの作品について説明する際、まず宗教の見地から語ろうとする。セザール・フランク=「宗教的、敬虔、崇高」。この固定化されたイメージのせいで、とっつきにくそう、と敬遠している人も多い。当然、知名度の面でもそれは災いしている。クラシック音楽をあまり聴かない人でも、ビゼーやドビュッシーやラヴェルの名前くらいは知っている。ただ、フランクを知っているかどうかは怪しい。

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 そもそも「宗教的」という言葉でフランクの作品を形容すること自体限界がある。こういう連想は安直である。少なくとも彼の残した傑作群ーー《交響曲 ニ短調》《交響的変奏曲》《ピアノ五重奏曲 ヘ短調》《ヴァイオリン・ソナタ イ長調》《前奏曲、コラールとフーガ》ーーを聴く限り、そこからは「聖なる調べ」よりも現世的な憧れ、行き場のない暗い欲望、不安、焦燥感、怒り、発散と超越への強い欲求を感じる。自分の作品がなかなか認められない状況、性格の合わない妻との生活、女流作曲家への熱き思い......。そんな宗教によっても癒されない苦渋と情熱を作品にぶつけていたのではないか、とさえ私には思える。その情熱は老いてなお衰えることがなかった。
 フランクは青春の作曲家である。青春とは満たされないこと。それは決して爽やかなものではない。むしろ発散の場を求めてうごめいている状態をいうものだ。彼は亡くなるまでそういう青春を生きたのである。

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 「交響曲 ニ短調」は1886年から1888年8月にかけて書かれた、フランクにとって最初で最後の交響曲。構成は全三楽章。同じ主題をさまざまな形で各楽章に出現させて全体の統一をはかる「循環形式」がとられている。一見厳かに見える外観の内側には官能的な匂いがたちこめており、暗い情念が渦巻き、それが時に力強く高揚し、時に激しくうねりだす。その高揚感は性的絶頂を連想させるものがある。

 初演の評判は悪かったが、作曲者の死後、急速に浸透し、多くの指揮者が好んでプログラムに入れるようになった。録音の種類もたくさんある。ドラマティックな効果が得やすく、オーケストラにとっても演奏しやすいのか、聴いてガッカリするような駄盤も少ないようだ。ただ、その中でもサー・エードリアン・ボールト、オットー・クレンペラー、ピエール・モントゥーの録音は、単なる名演奏というだけでなく、この作品の全容を理想的な形で今に伝える鑑として、まず聴いておきたい。とりわけスコアを熟知し、完全に自分のものにしていたモントゥーの指揮には、有無を言わさぬ圧倒的な説得力がある。強靱なバネのような運動力を持つサンフランシスコ響との録音(1952年)、重厚でスケール感のあるシカゴ響との録音(1961年)、どちらも甲乙つけがたい。

 しかし、過去の録音のことばかり称賛しても仕方ない。理由はわからないが、ここしばらく注目すべき新録音が出てこないのは淋しい限りである。皆、この交響曲のことを忘れているのだろうか。
セザール・フランク
[1822.12.10-1890.11.8]
交響曲 ニ短調

【お薦めディスク】(掲載CDジャケット:上から)
サンフランシスコ交響楽団
ピエール・モントゥー指揮
録音:1952年2月27日

シカゴ交響楽団
ピエール・モントゥー指揮
録音:1961年1月7日

ロンドン・オーケストラ・ソサエティ
サー・エードリアン・ボールト指揮
録音:1959年6月1日

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