音楽 CLASSIC

シェルシ 『チュクルム』

2011.10.07
恍惚と狂気の果てに

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 バッハを聴いても、モーツァルトを聴いても、ベートーヴェンを聴いても、あるいはマーラーやバルトークを聴いても、全く心が満たされないことがある。音楽が、というより、音楽を聴くという行為自体が、自分の心理状態とあまりにかけ離れているためである。そんな時はたいていどんな種類の音楽を聴いても満足できない。かといって、無音でいるのも物足りない。
 そこで私はシェルシのCDに手を伸ばす。その作品には明確なメロディーはない。構成と言えるものもない。ただシンプルな音が、ズレたり重なったりしながら、神秘的な雰囲気を漂わせて響いているだけ。しかし、それがやけに肌にしみて落ち着く。東日本大震災後の一時期、私はシェルシばかり聴いていた。

 ジャチント・シェルシは1905年にイタリアのラ・スペツィアの貴族の家に生まれた。幼少期から音楽に親しみ、ジャチント・サルスティオから和声の基礎を学んだ後、ジュネーヴでエゴン・ケーラーに師事。1935年からはウィーンでヴァルター・クラインの下で「十二音技法」を学んだ。しかし、この技法がシェルシをノイローゼへと追い込む。精神を崩壊させて神経衰弱に陥った彼は、分裂病患者としてサナトリウムで療養生活を送る。アジアやアフリカに行ったり、インドでヨガを学んだりしたこともあったが、効果はなかった。その間、彼を診察した医者は300人以上いたと言われている。

 回復のきっかけを与えたのはサナトリウムの廊下に置いてあったピアノである。シェルシはその鍵盤のひとつを叩き、何度も同じ行為を繰り返した。そうすることで、ひとつの音に含まれている倍音を聴き分ける能力が覚醒し、彼の精神は不思議な安定感を見せはじめたという。音の質感、深さ、奥行きに対して新たな知覚を得たシェルシは、1951年にローマに移り住み、前衛音楽のコンサートを企画。自身も断続的に作品を発表した。限られた範囲でのみ知られていたシェルシの名前が世界的に広まったのは1982年からである。ダルムシュタットの音楽祭で作品が演奏され、大きな話題を呼んだのだ。以後、1988年に亡くなるまで、シェルシはカリスマ的な存在として信奉されていた。

 しかし、死後、センセーショナルな記事が『Il Giornale della musica』に掲載される。見出しは「ジャチント・シェルシ、それは私だ」。それによると、1920年生まれの作曲家ヴィエーリ・トサッティを含めた数名の作曲家がシェルシの代筆を務めていたという。シェルシは精神を壊して以来、一音たりとも楽譜に書き込むことが出来なくなっていた。そのため、雇われ作曲家たちがシェルシの斬新なアイディアを具現化する役を務めていたのだ。この話題に一時ヨーロッパの音楽界は騒然となった。「ジャンチント・シェルシ」とはシェルシと複数の作曲家による「共同作曲プロジェクト」だったのである。

 その「作曲」方法は、恍惚状態に陥ったシェルシが電子鍵盤楽器で即興演奏したものを録音することから始まる。それを逆回転させたり加工させたりしたものをトサッティらに聴かせ、その世界観を汲み取った作品を仕上げるよう求めた。純粋な意味で作曲者とは呼べないかもしれないが、原案はあくまでもシェルシのものである。それに、楽譜を書けない人がメロディーラインだけ考えてあとは全部専門家に託す、というケースは(肯定しているわけではないが)別に珍しくない。それでもクレジットには「作曲者」として載るのだ。トサッティの立場からすれば、「シェルシだけが有名になるのは不公平だ」という気持ちが湧くのも無理はないが、トサッティ自身の作品を聴いても、そこにはシェルシの作品にあるような聴き手の内的世界を揺さぶるような革新性や直接肌に滲むような感触はない。

 突出して有名な作品があるわけでもないので、代表作を絞るのは難しい。私自身は、弦楽四重奏曲第3番を聴いた時の、どうにも説明のつかない不思議な感触が忘れられずにシェルシを聴くようになった。そして、難解ながら強い磁力で聴き手の集中力を緩めさせない『4つの断片』(1959年)、クラリネットを中心とする音響の魔法陣『キヤ』(1959年)、微分音程書法の最も美しい結晶である『チュクルム』(1963年)、11弦楽器のための神秘的な『自然は再生する』(1967年)に接し、私の中で特別な位置を占める作曲家になった。

 『チュクルム』はトサッティとの「共同作曲」が成熟期に達していた頃に作られた作品。オーケストラがチューニングをしているような雰囲気から始まり、次第に威圧感や不気味さを増し、カオスの世界を示唆する。一つ一つの音が偏執的に扱われ、音程のわずかなズレや重なりが斬新な音響を生みだす。音は何も語らず、ただ容赦なく触手を伸ばす。音が音だけで完結している世界。その響きに接していると、未知の惑星を包むガスの流れでも見ているかのような錯覚を覚え、気が遠くなる。

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 シェルシの音楽は紛れもなく前衛なのに、聴き手を突き放したところがない。また、カオティックでありながらも、微分音程書法を偏執的に駆使することで秘教的・儀式的な世界観を保ち、クセナキスのようにグロテスクなカオスには陥らない。これが貴族という出自によるものなのか、精神病から派生した防衛本能によるものなのかは分からないが、音を陵辱するのではなく、ギリギリの節度を意識しながら、異常な愛情をもって慈しんでいるシェルシの創作態度がうかがえる。

 私の手元には2種類の『チュクルム』がある。ルカ・パフ指揮、ラツィオ州ローマ交響楽団による録音と、ペーター・ルンデル指揮によるバイエルン放送交響楽団の録音だ。演奏能力に関してはバイエルン放送交響楽団の方が上だが、この作品はあまり洗練されていないオーケストラの音で聴くのが合っているような気がする。そんなわけで、私はパフ盤でばかり聴いている。とはいえ、ルンデル盤は収録内容が充実していて、『4つの断片』も『自然は再生する』も入っているので、シェルシ入門には最適だろう。


【関連サイト】
ジャチント・シェルシ(CD)
ジャチント・シェルシ
[1905.1.8-1988.8.9]
『チュクルム』

【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
ラツィオ州ローマ交響楽団
ルカ・パフ指揮
録音:2006年(ライヴ)

バイエルン放送交響楽団
ペーター・ルンデル指揮
録音:2001年(ライヴ)

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