ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番
2012.01.09
「傑作の森」からきこえてくる妙なる楽想
ベートーヴェンの人生の中で最も創作意欲が高潮していたのは、交響曲第3番「英雄」を書き上げた1804年から数年間だといわれている。この時期をロマン・ロランが「傑作の森」と呼んだのは周知の通りである。とくに30代後半に入った1806年のベートーヴェンの作曲活動は注目に値すべきもので、交響曲第4番、ピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリン協奏曲、弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」、序曲『レオノーレ』第3番、オペラ『レオノーレ』(『フィデリオ』)第2稿など、音楽的内容が深化しただけでなく、作品の多彩さの点においても広がりをみせた年となった。
ピアノ協奏曲第4番はそんな時期に生まれた傑作の中でも、抜きん出て創造的で、みずみずしい音楽性が奔出した作品である。大胆な構成を持ちながら音楽自体に緊張を強いるような押しつけがましさや圧迫感がなく、美しい旋律が楽興の連鎖の中で無理なく流れてゆく。繰り返し聴いても飽きがこないし、耳が疲れない。ピアノ協奏曲のジャンルでは、第5番「皇帝」の方が一般的には有名だが、クラシック関連の書籍やサイトなどをみていると、第5番より第4番が好きだという人の方が多いような印象を受ける。
それまでのピアノ協奏曲は、まずオーケストラが主題を提示し、ある程度作品の雰囲気が形成されたところでピアノが登場するという形式を踏んでいたが、この作品の第1楽章はピアノの独奏で始まる。オーケストラから始めなければいけない理由はないといわんばかりに、ベートーヴェンは無駄な制約を造作なく、余分な力を使うことなく、取り払っている。その後の音楽の流れにもよどみがない。静かな情熱が、時に劇的な高ぶりをみせながら波打つ、のびやかで美しい楽章である。第2楽章は僅か72小節しかないが、短いながらも斬新な音型で深い陰翳を刻む。第3楽章は躍動感溢れる華やかなロンド。親しみやすい旋律が軽やかに駆け巡り、やがてプレストで締めくくられる。
非公式の初演は1807年3月、ロプコヴィッツ公爵邸で行われた。公的な初演日はそれからしばらく経った1808年12月22日。場所はアン・デア・ウィーン劇場。この伝説のコンサートでは「運命」や「田園」や「合唱幻想曲」も演奏されたが、プログラムを詰め込みすぎたためにオーケストラが混乱し、結果的に大失敗に終わった。その悪印象のせいか、あるいは作品の構成が当時の聴衆の理解を超えていたせいか、再演される機会は少なかった。
メロディーとリズムがまさに今この瞬間に作曲家の手を通過して自発的に生まれたかのような新鮮さと自然さ。これこそ紛れもなく天才の筆になる音楽だ。かっちりとした古典派の作風とは趣を異にしているため、この作品に対して「輪郭がとらえにくい」という印象を抱く人もいるだろうが、こういう作品を聴く時は、形式志向を完全に捨て去り、あるがままの音楽の流れに身を委ねるのが一番である。
録音の種類は多いが、最高の演奏としてヴィルヘルム・バックハウスが独奏を務めた映像作品を挙げることに私は何の躊躇も覚えない。これは1967年4月に収録されたもので、演奏しているのはカール・ベーム指揮によるウィーン交響楽団である。83歳のバックハウスの手の動きを見ているだけで、わけもなく目頭が熱くなってくる。どの音をどう鳴らせばいいか、本当に分かっている人が聴かせるピアノは説得力が全然違う。バックハウスのピアノは、力や技を誇示することなく、この作品の魅力を汲み尽くし、ベートーヴェンの創作の秘密を明かす。何度観ても、何度聴いても、さわやかな感動をもたらす名演奏である。
【関連サイト】
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(DVD)
ベートーヴェンの人生の中で最も創作意欲が高潮していたのは、交響曲第3番「英雄」を書き上げた1804年から数年間だといわれている。この時期をロマン・ロランが「傑作の森」と呼んだのは周知の通りである。とくに30代後半に入った1806年のベートーヴェンの作曲活動は注目に値すべきもので、交響曲第4番、ピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリン協奏曲、弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」、序曲『レオノーレ』第3番、オペラ『レオノーレ』(『フィデリオ』)第2稿など、音楽的内容が深化しただけでなく、作品の多彩さの点においても広がりをみせた年となった。
ピアノ協奏曲第4番はそんな時期に生まれた傑作の中でも、抜きん出て創造的で、みずみずしい音楽性が奔出した作品である。大胆な構成を持ちながら音楽自体に緊張を強いるような押しつけがましさや圧迫感がなく、美しい旋律が楽興の連鎖の中で無理なく流れてゆく。繰り返し聴いても飽きがこないし、耳が疲れない。ピアノ協奏曲のジャンルでは、第5番「皇帝」の方が一般的には有名だが、クラシック関連の書籍やサイトなどをみていると、第5番より第4番が好きだという人の方が多いような印象を受ける。
それまでのピアノ協奏曲は、まずオーケストラが主題を提示し、ある程度作品の雰囲気が形成されたところでピアノが登場するという形式を踏んでいたが、この作品の第1楽章はピアノの独奏で始まる。オーケストラから始めなければいけない理由はないといわんばかりに、ベートーヴェンは無駄な制約を造作なく、余分な力を使うことなく、取り払っている。その後の音楽の流れにもよどみがない。静かな情熱が、時に劇的な高ぶりをみせながら波打つ、のびやかで美しい楽章である。第2楽章は僅か72小節しかないが、短いながらも斬新な音型で深い陰翳を刻む。第3楽章は躍動感溢れる華やかなロンド。親しみやすい旋律が軽やかに駆け巡り、やがてプレストで締めくくられる。
非公式の初演は1807年3月、ロプコヴィッツ公爵邸で行われた。公的な初演日はそれからしばらく経った1808年12月22日。場所はアン・デア・ウィーン劇場。この伝説のコンサートでは「運命」や「田園」や「合唱幻想曲」も演奏されたが、プログラムを詰め込みすぎたためにオーケストラが混乱し、結果的に大失敗に終わった。その悪印象のせいか、あるいは作品の構成が当時の聴衆の理解を超えていたせいか、再演される機会は少なかった。
メロディーとリズムがまさに今この瞬間に作曲家の手を通過して自発的に生まれたかのような新鮮さと自然さ。これこそ紛れもなく天才の筆になる音楽だ。かっちりとした古典派の作風とは趣を異にしているため、この作品に対して「輪郭がとらえにくい」という印象を抱く人もいるだろうが、こういう作品を聴く時は、形式志向を完全に捨て去り、あるがままの音楽の流れに身を委ねるのが一番である。
録音の種類は多いが、最高の演奏としてヴィルヘルム・バックハウスが独奏を務めた映像作品を挙げることに私は何の躊躇も覚えない。これは1967年4月に収録されたもので、演奏しているのはカール・ベーム指揮によるウィーン交響楽団である。83歳のバックハウスの手の動きを見ているだけで、わけもなく目頭が熱くなってくる。どの音をどう鳴らせばいいか、本当に分かっている人が聴かせるピアノは説得力が全然違う。バックハウスのピアノは、力や技を誇示することなく、この作品の魅力を汲み尽くし、ベートーヴェンの創作の秘密を明かす。何度観ても、何度聴いても、さわやかな感動をもたらす名演奏である。
音源のみの演奏では、コンラート・ハンゼンのピアノ、フルトヴェングラー指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の組み合わせと、フリードリヒ・グルダのピアノ、ホルスト・シュタイン指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の組み合わせが素晴らしい。前者は、ディオニュソス的なフルトヴェングラーの指揮がハンゼンのピアノと一体化し、縦横無尽な奔流を形成している。後者は、才能の煌めきが眩しい演奏。カデンツァを聴くだけでも、グルダの巧緻なピアニズムに圧倒されるだろう。ただ、この作品に永遠の若さを求める人には、やや出来すぎた演奏のように感じられるかもしれない。成熟した人間が自己韜晦の手段としてあえて青春の仮面をつけている、とでも言おうか。ほかに変わったところで、鬼才フー・ツォン独奏による録音もある。これは極端にテンポが遅く、第1楽章だけで約22分かけている。しかし、旋律にめり込んでゆくようなピアノが耽美的で、「まだ終わらないのか」と思いつつも、つい聴いてしまう。耽美志向の人なら間違いなくクセになる演奏である。
(阿部十三)
【関連サイト】
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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
[1770.12.17-1827.3.26]
ピアノ協奏曲第4番ト長調 作品58
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
ヴィルヘルム・バックハウス(p)
ウィーン交響楽団
カール・ベーム指揮
収録:1967年4月3〜9日
コンラート・ハンゼン(p)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
録音:1943年10月30日(ライヴ)
[1770.12.17-1827.3.26]
ピアノ協奏曲第4番ト長調 作品58
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ヴィルヘルム・バックハウス(p)
ウィーン交響楽団
カール・ベーム指揮
収録:1967年4月3〜9日
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ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
録音:1943年10月30日(ライヴ)
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