音楽 CLASSIC

モーツァルト 歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』

2012.03.13
恋人たちの学校

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 『コジ・ファン・トゥッテ』の作曲者には元々サリエリが予定されていた。しかし、サリエリが降りたため、モーツァルトに依頼が回ってきた。モーツァルトの書簡や妻コンスタンツェの証言によると、サリエリがモーツァルトに対して敵意と嫉妬を抱きはじめたのは、このオペラの初演(1790年1月26日)が成功を収めた時からだという。

 ひと言でいえば不道徳なオペラである。同時に、恐ろしく魅力的なオペラでもある。6人の歌手が名旋律にのせて織りなすアンサンブルの美しさ、精妙さ、劇的なハーモニーをたっぷり堪能することができる。モーツァルトのオペラの中で、これほどまでに重唱の粋が味わえる作品はほかにない。6人それぞれが重要なパートを担っている。この劇に脇役は存在しないといってもいい。

 哲学者ドン・アルフォンソは女の貞節ほどあてにならないものはないと考えている。そんな彼に対し、2人の若者フェルランドとグリエルモは、自分たちの恋人は貞節だと言い張る。フェルランドの恋人はドラベルラ、グリエリモの恋人はフィオルディリージという。
「もし君らの恋人がほかの女と同じだということを、はっきりと見せてあげたらどうする」
 そういって挑発するドン・アルフォンソ。若者はその挑発に乗り、「恋人が浮気をするかしないか」という危険な賭けをすることになる。
 フェルランドとグリエルモは軍に徴集された、と恋人に嘘をつき、別れを告げる。そしてすぐさま変装し、フェルランドはフィオルディリージを、グリエルモはドラベルラを誘惑しはじめる。女たちは最初は拒むが、小間使いのデスピーナにそそのかされ、心揺れる。2人の若者もいつしか自分のしていることがわからなくなり、どんどん夢中になり、どうにか口説き落とそうと躍起になる。やがて誘惑は成功、結婚証書にサインするが、最後には2人が正体を明かし、ドン・アルフォンソのとりなしでかろうじて元の鞘に収まる。ここまでが1日の出来事として描かれている。

 正確な題名は『コジ・ファン・トゥッテ、あるいは、恋人たちの学校』で、カタカナの部分を訳すと「女はみんなこうしたもの」。ナポリを舞台にしたオペラ・ブッファだ。表向きはドタバタの浮気話だが、その奥には愛の不確実性や人間にとっての永遠とは何なのかといった深遠なテーマが潜んでいる。恋愛にまだロマンティックな幻想を抱いている人が、何の予備知識もなくこのオペラを観たら、ひどい衝撃を受けるだろう。私も昔、そういう状態でこれを観てイライラし、しまいにはドロドロした気持ちになった。「これのどこがオペラ・ブッファなんだ」

 演出次第でどのようにでもみせることが可能である。グリエルモとドラベルラの関係は浮気の域を出ないものだが、フェルランドとフィオルディリージはこの後も続くであろう運命的な恋をしている、と解釈する演出家もいる。私もこの解釈には賛成である。ほかにも意地悪なもの、陰湿なもの、扇情的なものなど、アプローチの方法は枚挙にいとまがない。2人の若者に変装させない、という極端な例もある。2009年のザルツブルク音楽祭の公演だ。私は現地でこれを観たが、ザルツブルク音楽祭でモーツァルトのオペラを観る幸せに浸ることはできなかった。観客にややこしい解釈を促すもので、演出家がややこしさと創造的な斬新さをはき違えているようなところがあり、あちこちに綻びが出ていた。また、こういうタイプの演出では舞台も何かと扇情的になりがちで、「オペラ歌手なのにここまでしないといけないのか」と苦笑したくなるほどラヴシーンを連発する。それでアンサンブルの方がおろそかになるのだから救いようがない。

 このオペラを仲良く観に行くカップルが世界中にどれくらいいるかはわからないが、少なくともウィーンやザルツブルクにはたくさんいる。そういえば、フォルクスオーパーでこんなことがあった。その日、私はホイベルガーの『オペラ舞踏会』を観に行った。『コジ』と男女の立場を逆転させたようなオペレッタである。隣には金髪の子供がすわっていた。きっと親に無理矢理連れてこられたのだろう。途中で飽きて暴れだすに違いない、と私は思っていた。ところが、その子は飽きるどころか、いかにも楽しそうにこの浮気劇を観ていた。その様子を見て、私もこれは笑っていい喜劇なのだと気付いた次第である。郷に入れば郷に従えだ。オペレッタを観ながら愛について深刻に考え込むのは無粋である。

 ウォルター・レッグの評伝によると、指揮者のトーマス・ビーチャムは『コジ』のことを「雲ひとつない南海の国で過ごす長い夏の一日」と表現していたらしい。「ビーチャムは『コジ』をほとんど理解していない」とレッグは述べているが、本当にそうだろうか。深刻ぶらず、あくまでも陽気なオペラとして演奏したいという気持ちはわからなくはない。これはオペラ・ブッファなのだ。一皮むけば人生のトラウマになるような恐怖や深いテーマが潜んでいるとしても、そこばかりほじくるのは賢明ではない。
 そこで重要となるキーパーソンが、フィオルディリージとドラベルラをそそのかす小間使い、デスピーナだ。彼女次第でオペラの印象は大きく変わる。悪戯好きなデスピーナ、子供っぽくて無考えなデスピーナ、擦れっ枯らしのデスピーナ、小姑のようなデスピーナ、デモーニッシュなデスピーナ......演出家によって様々なデスピーナが存在する。劇としてのリアリティを求めるならば、2人の小娘に指図されている使用人の心の暗部を掘り下げ、陰湿なキャラクターとして設定されるのも致し方ないが、私は「雲ひとつない南海の国」らしい、明るくて跳ねっ返りのデスピーナが好みである。

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 音源では、フリッツ・ブッシュがグラインドボーン音楽祭管弦楽団を指揮した1935年の録音が、オペラ・ブッファとして楽しめる点で理想的である。最上のデスピーナ、イレーネ・アイジンガーの名唱、名演も光っている。
 このオペラを愛したカール・ベームの指揮による数種類の録音も名演揃い。一般的には、1974年8月、当時絶頂期にあった歌手を揃えたザルツブルク・ライヴレコーディングが高い評価を得ているが、1955年5月に録音されたモーツァルト・アンサンブルとの組み合わせもいい。リーザ・デラ・カーザ、クリスタ・ルートヴィヒ、エミー・ローゼ、アントン・デルモータ、エーリヒ・クンツ、パウル・シェフラーが歌っているだけでも、歴史的遺産として価値がある。
 オットー・クレンペラーが指揮した1971年盤は、聴き手が困惑するほど遅いテンポで劇を進行させながら、美しい音楽の綾をじっくりと描いてみせる。スタンダードな演奏とはいえないが、聴くほどに病みつきになる演奏だ。第1幕第2場の偽りの別れの場面など、宗教曲のような異次元的美しさをたたえている。マーガレット・プライス、ルチア・ポップなど歌手陣もなかなか豪華である。

 映像で観たい人には、リッカルド・ムーティがザルツブルク音楽祭で指揮した1983年の公演をお薦めする。適材適所のキャストで、音楽に力があり、演出も楽しめる。『コジ』初心者でも一気に観ることができるだろう。もうひとつ、心理表現が細やかで、舞台装置も凝っていて、迸るような才気を感じさせる映像作品として、ニコラウス・アーノンクールが1988年に指揮したものも観ておきたい。天才演出家ジャン=ピエール・ポネルの最後の作品でもある。


【関連サイト】
モーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』(CD)
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
[1756.1.27-1791.12.5]
歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』

【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
アイナ・スーエツ、ルイーゼ・ヘルレツグリューバー、
イレーネ・アイジンガー、ヘドル・ナッシュ、
ウィリー・ドームグラーフ=ファスベンダー、ジョン・ブラウンリー
グラインドボーン音楽祭管弦楽団&合唱団
フリッツ・ブッシュ指揮
録音:1935年

マーガレット・マーシャル、アン・マレイ、
ジェイムズ・モリス、フランシスコ・アライサ、
キャスリーン・バトル、セスト・ブルスカンティーニ
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
リッカルド・ムーティ指揮
ミヒャエル・ハンペ演出
収録:1983年8月

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