音楽 CLASSIC

ドビュッシー 歌劇『ペレアスとメリザンド』

2012.10.27
音楽と詩のデリケートな関係

pelleas_a1
「その詩は、音楽家が無意識の間に作った詩のように思えるし、その音楽は、詩人が無意識の間に作った音楽のように思える。それほどの域に達している」
 これはクロード・ドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』を評したポール・デュカの言葉である。オペラというと、題材がドラマティックで、歌手たちが競うように声を張り上げて歌っているイメージを持つ人もいるだろう。しかし、それはドビュッシーが求める理想のオペラではなかった。
 過剰な表現や不自然なほどの歌いすぎを忌避していたこの作曲家は、ワーグナーを否定し(元々はワーグナーの支持者だった)、大袈裟なものを排除し、音楽と詩の密接な結びつきを極限まで追求しようとした。その結果、フランス語の響きを活かし、なおかつ原作の神秘的な雰囲気を壊さないよう細部のニュアンスまで調整された、朗唱の劇音楽が仕上がったのである。『ペレアスとメリザンド』以降、彼は2作目のオペラを作曲しようとしながらも、言葉と音楽の関係性に執拗にこだわるあまり、思うように筆が進まず、完成させることができなかった。

 『ペレアスとメリザンド』の原作者はメーテルリンクである。ブッフ=パリジャン劇場で行われたこの戯曲の初演(1893年5月)を客席で観ていたドビュッシーは、3ヶ月後、メーテルリンクと会い、オペラ化の許可をもらう。早速、彼は第4幕第4場の愛の対話から作曲に着手した。第1稿が上がったのは1895年の夏である。ただ、それから世に出るまで7年間を要している。いくら有名作曲家とはいえ、初のオペラ作品であり、当時にしては前衛的な作風であったため、理解してくれる劇場がなかなか見つからなかったのである。
 コンサート形式での上演、室内楽の形での上演を持ちかけられたこともあったが、ドビュッシーはあくまでも完璧な形での上演を望み、妥協案は全て退けた。最終的にこの作品を受け容れたのは、オペラ=コミック座である。初演は1902年4月30日。メリザンド役にメーテルリンクの愛人ジョルジェット・ルブランではなく、メアリー・ガーデンを起用したために、メーテルリンク側から様々な妨害を受けたというエピソードも残っている。

 音楽が香気となって聴き手を包み込むような、静かで美しいオペラである。声を張り上げる箇所もないわけではないが、全ての音楽が劇の進行に寄り沿い、登場人物たちの内的必然とマッチしているため、通常のオペラにありがちな過剰さをほとんど感じさせない。
「私は、きわめて自然発生的に、かなり珍しいと思われる、表現媒介としての『沈黙』(笑わないでください)の手法を用いようと思っています」
 これは1893年に書かれたショーソン宛の手紙である。ここでは、沈黙さえも音楽的効果を上げる役割を持つ。どうも騒がしいオペラには馴染めないという人は、ほとんど例外なくドビュッシーの魔法にかかったに違いない。

 一方では、これをオペラと呼んでいいのかという議論もあった。ロマン・ロランによると、ロランと共に『ペレアスとメリザンド』の上演に接したリヒャルト・シュトラウスがこんな風に語っていたという。
「私は何よりも前に音楽家です。音楽が作品の中にある以上は、音楽が主であって欲しい。ほかのものに従属して欲しくないのです。それでは控えめすぎます。詩が音楽より劣るとはいいませんが、真の詩劇ーーシラー、ゲーテ、シェイクスピアはそれ自体で完結していて、音楽を必要としない。音楽があるところでは、音楽がすべてを押し流すべきであり、それは詩に追随するものであってはいけないのです。私はワーグナーの手法を信じています。『トリスタン』をご覧なさい。ドビュッシーの曲は音楽が不十分だと私は思います」
 つまり、ドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』はメーテルリンクの戯曲の劇伴にすぎない、というのである。歌手に何もかも歌わせないドビュッシーのやり方をロランは高く評価し、大衆もこれを新しいオペラとして受け容れたが、音楽に力がないと感じた人も少なからずいたのである。何しろ「名物的」な見せ場といえば、第3幕第1場の「私の長い髪が」くらいなのだ。

 物語は、端的にいえば、『トリスタンとイゾルデ』的な運命の恋、三角関係を描いたものである。アルモンド国の王子ゴローは森の中で見つけたメリザンドを妻にするが、やがてメリザンドはゴローの弟ペレアスと想い合う仲になる。妻に近付かないように、とゴローはペレアスに警告する。しかしそれを無視して、ペレアスとメリザンドは逢い引きし、愛の告白をする。ゴローはペレアスを刺し殺す。最後の場面では、メリザンドがゴローの子を出産した後、危篤状態に陥る。そして、罪を犯したかと詰問するゴローに対して、罪は犯していないと答えて息を引き取る。

 メリザンドとは何者なのか、最後まで分からずじまいである。メリザンドは水の精だ、という解釈をしばしば目にするが、それがこの物語を「神秘」として消化する上で、最も無難な設定だろう。大切なものを必ず泉で失う(冠、指輪、ペレアス)のも象徴的である。アルケル王は「まるで陽光のさす美しい庭でじっと不幸を待ち受ける者のようだ」とメリザンドのことを表現しているが、卓見である。メリザンドには幸福になることができない。彼女は幸福であるだけでは足りないのだ。彼女にとって、ペレアスとの恋にはゴローの存在が不可欠なのである。ただ抑圧や喪失というハンデの中でのみ生を燃え上がらせる女なのだ。彼女がわざと不幸を招いているのか、わざとではないのか、そこも判然としない。わざとでなければ余計手に負えない。メリザンドを愛してしまったゴローやペレアスが幸福になれるわけがないのである。

pelleas_a2
 初めて『ペレアスとメリザンド』を聴いた時は、なんてつまらない「雰囲気オペラ」なんだろうと失望したものである。その時の指揮者が誰だったかも忘れてしまった。聴き方が変わった、というか、聞こえ方が変わったのは、ロジェ・デゾルミエール指揮による1941年盤に接してからである。音符のひとつひとつを慈しみながらも、感情を押し出さず、品格を保っている。幻想的なムードを醸しながらも、響きは明瞭でシンプルな輪郭を持っている。こういう香気あふれる演奏を知ってしまうと、ほかの録音に接した時、無駄な感情の動きが多すぎるように聞こえてしまうから困りものだ。これに太刀打ちできるのは、デジレ=エミール・アンゲルブレシュト指揮による1962年盤くらいか。私はこれまでにデゾルミエール盤を何百回聴いてきたか分からないが、間違いなくこれからも聴き続けるだろう。占領下のパリで、フランス人歌手を揃えて、ここまで素晴らしい録音を完成させたことに敬意を表したい。

 映像版には「これさえ観ておけば......」といえるものがない。ピエール・ブーレーズが指揮したカーディフ・ニューシアターでの上演(1992年)が映像で残されているのが、せめてもの救いだ。ただ、ブーレーズにしては細部の詰めが甘いし、歌手やオーケストラの表現もやや繊細さを欠いている。ブーレーズがコヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団を指揮した時の録音(1970年)には到底及ばない。
(阿部十三)

【関連サイト】
『ペレアスとメリザンド』(CD)
クロード・ドビュッシー
[1862.8.22-1918.3.25]
歌劇『ペレアスとメリザンド』

【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
ジャック・ジャンセン、イレーヌ・ヨアヒム、アンリ=ベルトラン・エチュヴェリー ほか
ロジェ・デゾルミエール指揮
交響楽団
録音:1941年4月〜5月

ニール・アーチャー、アリスン・ハーグレイ、ドナルド・マクスウェル ほか
ピエール・ブーレーズ指揮
ウェールズ・ナショナル・オペラ管弦楽団
収録:1992年3月(ライヴ)

月別インデックス