音楽 CLASSIC

R.シュトラウス 「メタモルフォーゼン」

2014.01.01
美を紡ぐ23の弦楽器

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 23人のソロ弦楽奏者のための習作「メタモルフォーゼン」は、1944年に構想され、1945年3月13日から4月12日にかけて作曲された。当時リヒャルト・シュトラウスは80歳(誕生日は6月11日)。ガルミッシュの山荘に身を置いていた老作曲家は、戦況が悪化し、ミュンヘンやドレスデンやウィーンの歌劇場が爆撃を受けて破壊される中、筆をとり、失われゆく文化への惜別の念を込めてこの上なく美しい音楽を紡ぎ出した。ドイツが無条件降伏したのは翌月、5月7日のことである。

 「メタモルフォーゼン」は「メタモルフォーゼ」の複数形で、「変容」という意味を持っている。「変容」はゲーテが用いた概念の一つ。生物には「原型」があり、そこから何段階かの「変容」が行われ、多彩な形態を見せる、という考え方である。山荘でゲーテを熟読していたシュトラウスは、これを音楽に応用しようとした。
 形式的には変奏曲よりも自由で、主題に束縛されることがない。ベースになっているのは、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の第2楽章「葬送行進曲」。その素材を織り込み、23の弦楽器を巧みに扱いながら、美しくも複雑な旋律の曲線を放ち、聴き手を音響の波で囲んでいく。そして最後の最後、シュトラウスが楽譜に「追悼!(In Memoriam!)」と記した部分でベートーヴェンの主題そのものが低弦で奏でられる。編成は、ヴァイオリン10、ヴィオラ5、チェロ5、コントラバス3である。

 作曲の動機は「追悼」だが、音楽自体は重苦しさや湿っぽさとは次元の異なる美しさを持っている。悲しみの果てに残るシンプルさとも違う。これを聴いても、80歳の老人が残り少ない力で書いた作品とは誰も思わないだろう。若い頃からの特徴である多声的な書法は円熟しているが、精神は表現意欲に溢れている。伝統的な弦楽合奏の枠を踏み越え、型にはまらない創造性を作品に吹き込み、「変容」というジャンルを確立した感すらある。
 初演は1946年1月25日にチューリヒで行われた。指揮はパウル・ザッヒャー、オーケストラはコレギウム・ムジクム・チューリヒである。その後、シュトラウスは連合国の裁判にかけられたが無罪になり、ブージー・アンド・ホークス(出版社)から送金を受けてスイスのホテルで暮らし、1949年9月8日にガルミッシュで亡くなった。

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 録音ではオットー・クレンペラー指揮、フィルハーモニア管の演奏による1961年の演奏が圧倒的に素晴らしい。感傷を排し、総譜に書かれた緻密な旋律の綾を克明に浮き上がらせている。美に酔わず、音楽が持つ力をありのままに現出させた演奏とでもいおうか。
 シュトラウスを得意としていたヘルベルト・フォン・カラヤンもすぐれた録音(映像も含む)を数種類遺している。中でも有名なのは1969年盤で、これを「メタモルフォーゼン」のベストとする人も多い。オーケストラはベルリン・フィル。非感傷的で、美の再現に徹した名演である。

 タイプの異なる演奏として、ルドルフ・ケンペ指揮、ミュンヘン・フィルの組み合わせによる1968年の録音もお薦めしたい。旋律の起伏とともに情感が息づき、弦楽器がよく歌っている。テンポは速めだが、哀切の表現が真に迫っていて、深い余韻が残る。

 この作品を世界的なソリストのみで構成されたアンサンブルで演奏したらどうなるのだろう、と想像することがある。無論、名演が生まれるとは限らないし、指揮台に立つのは誰なのかという問題もあるが、せっかく23人のソロ弦楽奏者のために書かれた作品なので、そんな試みがあってもいいのではないか、と思うのである。

 余談だが、「メタモルフォーゼン」には「アルビノーニのアダージョ」を思わせる旋律がちりばめられている。もっとも、これは1958年に出版された作品で、作曲家もアルビノーニではなく20世紀の音楽学者レモ・ジャゾットなので、シュトラウスには未知の作品である。逆に「メタモルフォーゼン」が「アルビノーニのアダージョ」に影響を与えた可能性はあるかもしれない。
(阿部十三)


【関連サイト】
R.STRAUSS 『METAMORPHOSEN』(CD)
リヒャルト・シュトラウス
[1864.6.11-1949.9.8]
「メタモルフォーゼン」

【お薦めディスク】(掲載CDジャケット:上から)
オットー・クレンペラー指揮
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1961年11月

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1969年8月

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