音楽 CLASSIC

ベートーヴェン 歌劇『フィデリオ』

2014.12.30
愛のため、自由のために

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 ベートーヴェンにとって初めてのオペラ作品『フィデリオ』は、1805年11月20日にアン・デア・ウィーン劇場で初演され、3日間で取りやめになった。「期待を完全に裏切る出来」(『デア・フライミューティゲ』1805年12月26日付)とまで書かれたが、当時ウィーンがフランス軍に占領され、裕福な音楽愛好家たちが疎開していたことや、聴衆の大半がドイツ語のわからないフランス兵だったことを考えると、状況は不利だった。
 このまま作品を埋もれさせてしまうのはもったいないと考えた友人たちは、ベートーヴェンに改作して再度発表するよう励ましたが、1806年3月29日に上演された「第2稿」も、すぐに打ち切られた。しかし、これによってベートーヴェンの創作意欲が減退することはなかった。むしろ作曲活動はますます活発になり、ロマン・ロランが言うところの「傑作の森」の時期に突入し、交響曲第4番〜第6番、ピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリン協奏曲などを発表することになる。

 「第3稿」が上演されたのは1814年のこと。その際、ベートーヴェンは劇作家ゲオルク・フリードリヒ・トライチュケの協力を得て、全面的な改訂を行った。結果、5月23日の初演は大成功に終わり、オペラ作曲家としての名声を得た。ひとつの題材に執着し、オペラを何度も書き直して成功させたというのは、いかにもベートーヴェンらしいエピソードである。

 舞台は、セビリャ近くの国営刑務所。看守ロッコの娘マルツェリーネは、門番のヤキーノと結婚を約束した仲だが、今は新人の助手フィデリオに夢中である。ロッコもフィデリオの働きぶりに感心し、娘の結婚相手にふさわしいと考えている。しかし、フィデリオは実は女性だった。レオノーレという名前の人妻なのだ。彼女は行方不明の夫を探し求めて、この刑務所まで来たのである。2年以上前に地下牢に入れられた囚人がいる、と聞いたレオノーレは、それが夫のフロレスタンなのではないかと疑う。
 刑務所の所長ピツァロは、自分に反抗する者を政治犯として牢に入れ、悪事を重ねている圧制者である。フロレスタンはその悪事を暴こうとして捕らえられ、長い間、地下牢に幽閉されている。大臣ドン・フェルナンドが刑務所に視察に来ると聞いたピツァロは、大臣が来る前にフロレスタンを葬ろうとする。一方、ロッコはフィデリオの提案で罪の軽い囚人を外に出してやり、束の間、陽の光を浴びさせる。それがピツァロの怒りを買い、ロッコは罵られる。
 ロッコはフィデリオを伴い、ピツァロに命じられるまま地下牢に下りる。フロレスタンの墓穴を掘るためである。地下牢に入ったフィデリオ、すなわちレオノーレは、目の前にいるのが夫だと知り、歓喜と緊張を味わう。まもなくピツァロが現れ、フロレスタンを殺そうとすると、レオノーレはその前に立ちはだかり、「彼を殺す前に、その妻を殺すがよい!」と言って自分の正体を明かす。ピストルを向けられ、身動きのできないピツァロ。そのとき、ラッパが鳴り響き、大臣の到着が告げられる。無実の囚人たちは解放され、ピツァロの悪事は白日のもとにさらされる。夫婦が再会を喜び、皆が歓喜の声を上げる中、幕は閉じられる。

 原作は、実話に基づいて書かれたジャン・ニコラ・ブイイの『レオノール、あるいは夫婦の愛』。これをヨゼフ・ゾンライトナーがドイツ語に翻訳し、トライチュケがベートーヴェンの意図に沿うよう改訂した。
 『フィデリオ』の内容に問題点があると指摘する人は少なくない。話の筋からも分かるように、男装した主人公が恋愛模様を混乱させるジングシュピール的な側面と、命を賭した英雄的な救出劇としての側面があまりに乖離しているのである。フィデリオとの結婚を夢見るマルツェリーネの立場も、滑稽で惨めである。このようなバランスの不具合がありながらも、それを肯定されるべき世界として成り立たせているのは、ベートーヴェンの音楽が放つ美しさ、力強さ、華々しさにほかならない。

 オペラの前半で披露されるマルツェリーネのアリアと、マルツェリーネ、レオノーレ、ロッコ、ヤキーノがそれぞれ異なる心情を歌い上げる四重唱は、美しくまた親しみやすく、観客をひき込むのに十分な魅力を持っている。こうしてオペラの世界に観客を導いた後、劇が進行し、やがて囚人たちによる感動的な合唱曲「おお、なんとうれしいことだ!」が歌われる。ここでおそらく観客の大半はジングシュピール的世界から一歩先へ進み、深いテーマを持つオペラの世界に入り込む。このような道順を辿りながら、聴き手の意識を音楽の力で引き上げ、愛と自由のために戦う崇高さを伝えるやり方は、のっけから高邁なテーマを掲げるやり方よりも、大衆に受け入れられやすい。

 第2幕にも、レオノーレとフロレスタンによる二重唱「おお、言いようのない喜びだわ!」や輝かしいフィナーレを飾る合唱「立派な妻を得たものは」などの聴き所があるが、私が最も好きなのは、墓穴を準備するロッコとレオノーレが歌う二重唱「ぐずぐずしてはいられない」である。2人の心理の微妙な陰翳をすくい取ったようなその旋律は、後のシューマンのオラトリオ『楽園とペリ』を思わせるものがある。
 有名な『レオノーレ』序曲第3番は、フィナーレの合唱の前に演奏されることが多いが、ここで歌のドラマを中断させ、それのみで完結していると言っても過言ではないような管弦楽曲を挿入することに疑問を呈する人もいる。たしかに序曲が2つあるオペラは異形である。理屈の上ではその通りなのだが、しかし、いざ演奏されないとなると、物足りなく感じられる。これもまた『フィデリオ』が抱えている問題の一つである。

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 偉大な演奏と呼ぶべきものが、いくつか音源として遺されている。アルトゥーロ・トスカニーニ、ブルーノ・ワルター、オットー・クレンペラー、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ハンス・クナッパーツブッシュ、エーリヒ・クライバー、カール・ベームが指揮したものだ。とくに、クレンペラー指揮、コヴェントガーデン王立歌劇場管による1961年のライヴ音源、エーリヒ・クライバー指揮、ケルン放送響による1956年の録音、カール・ベーム指揮、シュターツカペレ・ドレスデンによる1969年の録音は良い。3種類ともタイプの異なる演奏であり、端的に言えば、クレンペラーは重厚でスケールが大きく、クライバーは生命の脈動を感じさせ、ベームは引き締まった緊密さで魅了する。
 この3種の中ではクレンペラー盤をよく聴く。それは私にとって理想的なレオノーレであるセーナ・ユリナッチが歌っているからだ(クナッパーツブッシュ盤でも歌っている)。クライバー盤では『レオノーレ』序曲第3番がカットされているが、全体の音楽の作り方に関して言えば、この人の指揮が最も好みである。これらの演奏よりも、もっと激しい灼熱の音楽を聴きたい、というか、全身に浴びたいときは、ワルターが1941年2月22日にメトロポリタン歌劇場で指揮した音源を選ぶ。ナチスと戦争という時代背景を無視することはできないが、それにしてもここまで激しい感情の爆発がそのまま音楽にあらわれた演奏は、なかなか聴けるものではない。


【関連サイト】
Ludwig van Beethoven 『FIDELIO』(CD)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
[1770.12.16頃-1827.3.26]
歌劇『フィデリオ』 作品72

【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
セーナ・ユリナッチ、ジョン・ヴィッカーズ、
ハンス・ホッター、ゴットロープ・フリック、
エルジー・モリソン
オットー・クレンペラー指揮
コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団
録音:1961年2月24日(ライヴ)

ビルギット・ニルソン、ハンス・ホップ、
パウル・シェフラー、ゴットロープ・フリック、
インゲボルク・ヴェングロル
エーリヒ・クライバー指揮
ケルン放送交響楽団&合唱団
録音:1956年

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