音楽 CLASSIC

シューベルト ピアノ・ソナタ第13番

2015.04.10
ピアノ・ソナタの詩情

CHERKASSKY d664
 シューベルトのピアノ・ソナタの中で最高傑作と評されることが多いのは、第21番である。これに対して異論を唱える人はほとんどいないだろう。私自身も最初はこの晩年の作品に魅了され、シューベルトのピアノ・ソナタを聴くようになった。ただ、私が無性に惹かれたのは第21番の第1楽章であり、ほかの楽章がそこまで自分の心に深く浸潤したかというと、やや疑わしい。
 彼が完成させたほかのピアノ・ソナタについても、ほとんど同じことが言える。「この楽章はまるで自分のために書かれたかのようだ」と思いながらも、ほかの楽章になると、聴くのが辛くなったり、集中力を保つのに疲れたりすることがある。その点、第13番には、作品全体に対して強い愛情を覚える。どの楽章にも親しみを抱いているし、全曲を通して聴いた回数も、シューベルトのピアノ・ソナタの中では最も多い。単にまとまりが良いとか、簡潔に仕上がっているというだけではない。どの楽章からも一貫して内面からあふれるような詩情と親密な美しさとシューベルトらしい陰翳が感じられるので、感興が尽きないし、耳にもよくなじむのだ。

 このピアノ・ソナタ第13番は、1819年7月頃に書かれたと言われている。当時22歳のシューベルトは、交流のあった歌手ヨハン・ミヒャエル・フォーグルの故郷、上部オーストリアのシュタイアに旅行し、シェルマン博士という人の家で楽しく過ごしていた。その際、「とても可愛らしくてピアノが上手に弾ける」(1819年7月13日、兄フェルディナント宛の手紙)18歳のヨゼフィーネ・フォン・コラーと知り合い、彼女が自分のリートを歌ってくれたことに感謝し、ピアノ・ソナタを捧げたのだという。
 ただし、この説を否定する人も多く、1825年に作曲されたとする説もある。いずれにしても自筆譜は失われており、作曲年代を定める手がかりとなるものは、現時点では見つかっていない。私としては、シューベルトがその短い生涯の中で、束の間の快適さを得たときに書かれた作品と考えたいが、それは愛好家ゆえの感傷である。

 第1楽章はアレグロ・モデラート。第1主題は美しく、愛らしくもあるが、どこか不安を漂わせていて、深淵への意識をうかがわせる。第2主題も軽やかなようで、陰翳があり、左手の動きがとくにその印象を強める。とはいえ、暗さにのみこまれたり、間怠っこしくなったりすることはなく、語り口はやさしく、素朴で、無駄がない。第2楽章はアンダンテ。これまた美しい主題が呈示され、ゆるやかな雰囲気に包まれる中、孤独な歌が紡がれる。春風に冬のなごりが感じられるような寂しさとでも言おうか。第3楽章はアレグロ。ソナタ形式をロンド風に味付けした内容で、快活さと華々しい響きが前向きな高揚感をもたらすが、展開部のめまぐるしい転調はかなり劇的で、力強く闇を振り切っているかのようである。コーダで第1主題を回想するところにも、自らの青春を語り終えた人が気持ちに区切りをつけているような印象がある。

 第1楽章の第1主題を聴くと、私は先人たちのピアノ・ソナタ(モーツァルトの第10番やベートーヴェンの第12番)を思い出す。しかし、そこから聴く者に親密に語りかけ、想像力を広げさせるような独自の詩世界を創出することに成功している。モーツァルトやベートーヴェンのすぐれたピアノ・ソナタも「詩」とみなして差し支えないと思うが、シューベルトに至っては「詩」以外の何物でもない。ウィーンに生まれ、偉大な先人たちの影響を受けながらも、自分だけの音楽を作ろうとしている青年作曲家の姿がここにある。ちなみに、この第13番は、レコードによっては「第9番」ないし「第10番」と記されているので、作品を探すときは「D.664」をあてにするのが良い。

schubert d664 j2
 このような曲を重量感のある演奏で聴くと、そこまで力まなくて良いのに、と興趣を削がれる思いがする。明晰でかちっとした演奏も作品の雰囲気にそぐわないし、かといって、とろけるような柔らかさのあるピアノで聴いても何か物足りない。過ぎたるは及ばざるがごとしとはよく言ったものだ。その点、シューラ・チェルカスキーの演奏(1975年ライヴ録音)は、美しい旋律を素直に紡いでいて、しかも明晰さや柔らかさにも不足がなく、冒頭から無条件にシューベルトの世界に入り込むことができる。第3楽章ではペダルの音がかなり聴こえるが、鑑賞の妨げになるほどではない。己のピアニズムを主張するのではなく、情感過多になることもなく、あくまでも作曲家の歌心を重んじ、驚くほどの手際の良さで、この作品が持つ魅惑的な要素を全て引き出した名演と言うべきだろう。ソロモンが病気で引退する前にレコーディングした演奏(1956年録音)も格調高い。余分な贅肉がなく、軽やかさを持ちながら、あざとさとは無縁の境地でシューベルトの詩情の明暗をしっかりとらえている。


【関連サイト】
Franz Schubert Piano Sonata D.664
フランツ・シューベルト
[1860.7.7-1911.5.18]
ピアノ・ソナタ第13番 イ長調 D.664

【お薦めの録音】(掲載ジャケット:上から)
シューラ・チェルカスキー(p)
録音:1975年3月、5月(ライヴ)

ソロモン(p)
録音:1956年8月28日

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