音楽 CLASSIC

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番

2016.02.02
難易度の高さだけでなく

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 グレン・プラスキンの『ホロヴィッツ』に、この作品に関する興味深いエピソードが載っている。それによると、ウラディミール・ホロヴィッツは20代の頃、セルゲイ・ラフマニノフのことを「若い私にとっての音楽の神様」と呼び、渡米時に会う機会を得たいと熱望していたという。一方、ラフマニノフもホロヴィッツの噂を聞き、興味を示していた。そして、1928年1月8日、2人はニューヨークのスタインウェイ社の地下室で対面した。初対面の2人が弾いたのは、ピアノ協奏曲第3番。ラフマニノフがオーケストラ部分を、ホロヴィッツが独奏部分を受け持った。その際、ラフマニノフはいくつかの助言を若きピアニストに与えたという。やがて、この協奏曲がホロヴィッツの名刺代わりの作品となり、奏者の名と共に広く浸透していったことは、事実が示す通りである。

「ラフマニノフはこのコンチェルトを私にくれたんだ。『ゴロヴィッツ(ホロヴィッツ)の方が私よりうまい』と彼はしょっちゅういっていたよ。『象』のために書いた曲だといっていたから、おそらく私は象だったんだろう」
(グレン・プラスキン『ホロヴィッツ』)

 作曲時期は1907年から1909年。ドイツに滞在し、ロシアに帰り、カナダやアメリカで演奏旅行を行っている間に書かれた。初演は1909年11月28日に作曲者自身のピアノで行われ、ヨーゼフ・ホフマンに献呈された。「象のために書いた」の「象」は人間離れしたピアニストのことを意味するのかもしれないが、「アメリカのために書いた」という言葉も記録されており、作曲者の真意は定かでない。

 この協奏曲は全体的にどこか不安定な雰囲気に覆われている。国を転々としながら作曲していたことが影響しているのだろうか。ロシア的情緒と言うだけでは足りない、絶えず揺れる波のイメージを私自身は思い浮かべる。第2楽章冒頭を除くとピアノが休むところはあまりなく、一筋縄ではいかない難所を乗り越えた後、またすぐ難所が現れる。まるで障害物競走のようだが、それでいてラフマニノフならではのロマンティックな美しさと暗さ、なおかつ旋律自体の親しみやすさも聴き手に堪能させなければ、完璧な演奏にはならない。ただの指先のスポーツではないのだ。

 第1楽章は静かに始まり、2小節の短い前奏を経てピアノが登場し、第1主題を奏でる。ロマンティックな第2主題が発展していく過程は見事としか言いようがなく、抒情的なふくらみを形作った後、第1主題が再び現れてクライマックスに突き進むところまでは、目ならぬ耳が釘付け状態である。カデンツァは2種類あり、「Ossia」と呼ばれている方が重量感たっぷりだが、ラフマニノフもホロヴィッツもそうではない方を弾いていた。

 第2楽章のアダージョは情念の世界で、切ないラフマニノフ節に耳を奪われる。そんなエモーショナルな表現が繰り出される中、軽さや愛らしさを感じさせる部分もある。そういう要素があるからこそ、四分の三拍子になってピアノがMeno mosso(今までよりも遅く)で印象的な和音を、オーケストラが主題を奏でるところでは、甘美な哀切さがより際立つのである。その後オーケストラはしばらく余韻を引き延ばして歌うが、それも静かになると、ピアノが助走をつけるかのようにカデンツァを奏し、疾駆しながら切れ目なしに終楽章に突入する。

 第3楽章は二分の二拍子で、自由なソナタ形式。ピアノが第1主題を弾きながら驀進するが、途中シンコペーションにより独特のアクセントが生まれ、巧みに抒情的な第2主題を誘い込み、徐々にテンポをゆるめる。展開部では躁鬱の激しさを思わせるピアノのフレーズがほとんど途切れることなく波打ち、不安定な雰囲気を醸し出す。そして再現部からデモーニッシュなピアノのカデンツァを経て壮大なコーダを形成。最後はプレストで勢いをつけて力強く結ばれる。

 私はホロヴィッツによる1930年の録音(アルバート・コーツ指揮)でこの作品を知り、鬼気迫るピアノのオーラに魅了された。いわゆるカット版(カットして演奏するのは珍しいことではなく、ラフマニノフ自身もそうしていた)で、演奏も一部危なっかしく(第3楽章の展開部)、不満がないと言ったら嘘になるが。同じカット版でも、1951年の録音(フリッツ・ライナー指揮)の方は演奏に隙がない。ホロヴィッツによる第3番の音源の中では、完成度、充実度共に最高の出来である。ただ、強烈な熱気を求める人には、1941年のライヴ録音(ジョン・バルビローリ指揮)がお薦め。技術が凄いだけではない、演奏効果の上げ方を知悉している人の演奏だ。

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 むろんホロヴィッツ以外にも、この作品を巧みに弾くピアニストはいる。中でも、キューバ出身の2人、ホルヘ・ボレットとサンチャゴ・ロドリゲスのライヴ録音は外せない。後者の知名度は高くないが、レイク・フォレスト交響楽団というオーケストラと目の眩むような演奏を繰り広げている。終曲部分で突然音質が変わるのが気になるが、演奏自体は一級品。テクニックの点でも、激越な表現の点でも、ロマンティックな味わいの点でも、聴き手を満足させるはずだ。

 第1楽章のカデンツァで「Ossia」を弾いたのは、録音だとワルター・ギーゼキングがおそらく最初で、2種類の音源(1939年、1940年)がある。情念の吹き溜まりを思わせる熱演だ。ステレオ期以降では、ウラディミール・アシュケナージによる1984年の録音(ベルナルト・ハイティンク指揮)、小山実稚恵による2002年の録音(ウラディミール・フェドセーエフ指揮)が魅力的で、それぞれアプローチの仕方は異なるが、作品を自分のものにして弾いている。実演で聴いた中では、イェフィム・ブロンフマンがウィーン・フィルをバックに弾いたときの来日公演(2004年)が圧倒的に素晴らしく、音源化を切望しているのだが、まだ実現していない。


【関連サイト】
rachmaninov.com
セルゲイ・ラフマニノフ
[1873.4.1-1943.3.28]
ピアノ協奏曲第3番 二短調 作品30

【お薦めディスク】(掲載CDジャケット:上から)
ウラディミール・ホロヴィッツ(p)
フリッツ・ライナー指揮
RCAビクター交響楽団
録音:1951年

サンチャゴ・ロドリゲス(p)
ポール・アンソニー・マクレー指揮
レイク・フォレスト交響楽団
録音:1994年