音楽 CLASSIC

ムソルグスキー(ラヴェル編) 組曲『展覧会の絵』

2017.11.05
魔法のオーケストレーション

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 モデスト・ペトローヴィチ・ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』は、極めて独創的なピアノ曲であり、ロシアの器楽曲の中で最も有名な旋律を持つ作品の一つである。作曲されたのは1874年。建築家であり画家でもあった亡友ヴィクトル・ハルトマンの遺作展に足を運び、そこに展示されていた絵、デザイン、スケッチなどを見たことが作曲の動機につながった。

 『展覧会の絵』はまず「プロムナード」で始まり、それから合間に「プロムナード」を挿みながら、10点の絵の印象が音楽によって紡がれる。曲順は、「プロムナード」-「小人」-「プロムナード」-「古城」-「プロムナード」-「テュイルリーの庭」-「ビドロ」-「プロムナード」-「卵の殻をつけた雛の踊り」-「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」-「プロムナード」-「リモージュの市場」-「カタコンブ(ローマ時代の墓)」-「鶏の足の上の小屋(バーバ・ヤーガの小屋)」-「キエフの大門」である。「カタコンブ(ローマ時代の墓)」には「死せる言葉による死者との対話」と題された箇所があり、ここでは「プロムナード」が静かに哀悼の意を込めて奏でられる。

 10点の中には実際に行われた遺作展のカタログに載っていないものや所在不明のものもある。おそらく実際の作品そのものではなく、展覧会の雰囲気や、友人との思い出にインスパイアされてイメージが膨らんで出来たものもあるだろう。単純に絵を音楽に置き換えるだけでなく、作曲者のイメージや感情を混ぜたものとして聴くと、解釈の幅は広がる。例えば原画が特定されていない「ビドロ」はポーランド語で、牛車や牛と訳されるが、これは家畜のように虐げられているポーランドの人々を指すとも言われている。

 「プロムナード」は展示物の間を歩く自分自身の様子、心理、表情を表したものだが、それがいつしか「死者との対話」へとつながる道になり、その直後に魔女・妖婆(バーバ・ヤーガ)の活動が荒々しく描かれる。ここには文学的な脈絡が感じられる。しかし、音楽はそこから高らかに飛翔し、壮麗無比なるフィナーレを迎える。これは天上でハルトマンのイメージ通りに建設された美しい大門のようである。

 むろん、テーマのことをあれこれ考えなくても、お気に入りの絵を見つけるような感覚で楽しめる。その豊かな発想力、自在な表現、技巧の華麗さ、完璧な構成、普遍的なメロディーは、それ自体が純粋に魅力的だ。スケールの大きな作品だが、無駄なところはなく、聴き始めればすぐに不思議な展覧会へトリップし、時間を忘れて浸ることができる。人気が衰えないわけである。

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 もうひとつ、『展覧会の絵』の人気の高さを決定付けているのが、管弦楽版の存在だ。作曲者の死後(1886年)に出版されて以来、『展覧会の絵』は何人もの作曲家によって管弦楽版に編曲されてきた。中でも有名なのが、オーケストラの魔術師モーリス・ラヴェルが編曲したものである。ラヴェルは1922年にロシア出身の名指揮者セルゲイ・クーセヴィツキーから編曲を依頼されると、これに喜んで応じたという。初演は同年10月19日に行われた。

 ラヴェル版の『展覧会の絵』は、ピアノ曲のオーケストレーションとしては最大級の成功を収め、今でも多くのコンサートで取り上げられている。オーケストラの実力を示す上でも、聴衆を集める上でも、外せないプログラムである。華麗で、なおかつ洗練されたそのオーケストレーションは、ロシア音楽っぽくないと批判されることもあるが、一度これを聴いてしまえば、魔法にかかったようになり、ほかのオーケストレーションでは満足できなくなる。それは純粋に管弦楽曲としての完成度が高いからにほかならない。そもそも原曲には「テュイルリー」「ビドロ」「リモージュ」「カタコンブ」など異国の要素が多分に入っている。その点では多国籍的な世界観を持つ作品なのだ。ラヴェル版は、一つの模範解答と考えていいだろう。

 なお、ピアノ曲の『展覧会の絵』は、既述したようにムソルグスキーの死後出版されたが、それは作曲者自身が書いたいわゆる原典版ではなかった。遺稿を整理していたリムスキー=コルサコフが出版の際に改訂を行い、それが出回ったのである。当時、原典版のスコアを入手するのは不可能な状況にあり、ラヴェルはリムスキー=コルサコフ版をもとにオーケストレーションを行わざるを得なかった。その結果として、例えば原典版の「ビドロ」はいきなり強音で始まるのに、管弦楽版では弱音で始まる、といった相違が生じている。

 構成はピアノ曲にほぼ忠実だが、「プロムナード」は一部省略されている。そのほかにも、細かいところでは音符の長さや調性の変更がなされている。もっとも、それら少なからぬ変更点は、演奏効果を高めるために行われており、旋律の魅力を損ねるような改竄は巧妙に避けられている。

 録音でまず挙げておきたいのは、ラヴェル版の初演を務めたセルゲイ・クーセヴィツキー指揮、ボストン交響楽団の演奏(1930年録音)だ。気になるカットはあるものの、演奏自体は古めかしさとは無縁で、フレージングもテンポも確信に満ちている。オケの技術がしっかりしているのもポイントだ。イーゴリ・マルケヴィッチ指揮、ベルリン・フィルの演奏(1953年録音)はモノラル期の超名盤。切れ味が鋭いところはこの指揮者らしいが、幻想的な翳りもあって、ラヴェルがフランス的にしたものをロシア的な雰囲気で包んだような味わいがある。「テュイルリーの庭」でのアルト・サックスですらロシアの音に聴こえる。「プロムナード」で楽しげに歩いている調子をみせながらも、異世界にいるような奇異さが拭われないところも良い。

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルの演奏(1965年録音)は、気合の入っているところと流しているようなところがあって、やや散漫な印象を受ける。ただ、最後の「キエフの大門」は光彩陸離たるカラヤン・サウンドが炸裂していて素晴らしい。カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、シカゴ響の録音(1976年録音)は隙のない名演。ユーモラスさには欠けるが、終始オケの充実した響きで満たされている。劇的なデュナーミクも巧みにコントロールされていて、迫力のあるフォルテで力任せにならないところが懐の深いジュリーニらしい。強奏部でのアクセントの付け方に少し癖があるので、(私は好きだけど)重苦しく感じる人もいるかもしれない。

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 癖があるという次元を超越しているのが、セルジウ・チェリビダッケ指揮、ミュンヘン・フィルの演奏(1993年ライヴ録音)。テンポはかなり遅く、細部の音までしっかりと磨かれている。しかも精緻を極めたこの音楽は、ライヴで生まれたのである。遅すぎるのは苦手という人には向かないが、心ゆくまで作品世界に浸りたいという人にはたまらないだろう。「プロムナード」のニュアンスの付け方など、実に神秘的で、聴けば聴くほど深みにはまる思いがする。特に「ビドロ」の後の「プロムナード」がここまで美しく響いた例は、ほかにない。これは次に奏でられる「プロムナード」が「死者との対話」になることを予兆するものと言える。1980年の来日時にロンドン響を指揮した時の演奏も圧巻だが、チェリビダッケの美学が完成をみたミュンヘン・フィルとの演奏に私は惹かれる。

 ギュンター・ヴァント指揮、ベルリン・ドイツ響の演奏(1995年ライヴ)は覇気に満ちているが、デリケートさにも不足なし。ヴァントならばほかにも北ドイツ放送響との演奏があり、評価も高いが、私はベルリン・ドイツ響の木管の歌わせ方に魅了されて以来、こればかり聴いている。ヴァントが指揮したこのオケの音は、贅肉がなく、それでいて深い味わいがある。ジュリーニやチェリビダッケのものと比べると重みはないが、熱量は十分あり、「キエフの大門」ではその熱量が明快なテンポで放たれていて心地よい。


【関連サイト】
Modest Mussorgsky

モデスト・ペトローヴィチ・ムソルグスキー(モーリス・ラヴェル編曲)
[1839.3.21-1881.3.28]
組曲『展覧会の絵』

【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
ギュンター・ヴァント指揮
ベルリン・ドイツ交響楽団
録音:1995年2月19日(ライヴ)

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮
シカゴ交響楽団
録音:1976年4月

セルジウ・チェリビダッケ指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1993年9月23日、24日(ライヴ)

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