ル・ボー チェロ・ソナタ
2018.02.07
青春と哀愁のチェロ
広く知られているとは言い難い女性作曲家、ルイーゼ・アドルファ・ル・ボーは、1850年にドイツのラシュタットに生まれた。父親は軍人だったが音楽に造詣が深く、その影響もあって16歳の時に本格的に音楽の道を志し、10代でピアニストとしてデビュー、その後作曲を学び、1882年にコンクールで優勝してからは、ピアニスト、作曲家の二足のわらじを履き、さらに音楽批評も行っていた。
私がこの人の名前を知ったのは社会人になって間もない頃のことで、作品をきちんと聴き始めたのはだいぶ後、2007年になってからである。杉並公会堂で催された「女性作曲家音楽祭2007」に行っていなかったら、今も聴かないままでいただろう。最近は、その音楽性が少しずつ見直されているようなので、そのうち評価の機運が一気に高まる時が来るかもしれないが、日本ではまだマイナーである。
女性作曲家はル・ボー以前にも存在するが、作曲コンクールで優勝したり、音楽批評にも携わったりした例はあまり聞かない。とはいえ、出る杭は打たれると言うべきか、彼女は女性差別の壁に直面し、落ち着いて作曲できる場所、その作品を発表できる場所を求めてミュンヘン、ヴィースバーデン、ベルリン、バーデン=バーデンと転居を繰り返すことになる。
作曲の才能を磨くために、ミュンヘンでフランツ・ラハナーとヨーゼフ・ラインベルガーに師事した時も、彼女の成功と独立心はやがてラインベルガーの不興を買うようになったという。これ以前にも、彼女はピアニスト兼女性作曲家として先輩にあたるクララ・シューマンからピアノの指導を受け、すぐに距離を置いている。ル・ボーは一つの型にはめられるタイプではなく、多くの音楽家と交流し、そこから刺激を受けて自身の創作に生かしていた。
最終的に安息の地となった故郷近くのバーデン=バーデンでは、1925年に75歳の誕生日を祝し、ル・ボーの作品を集めたコンサートが開かれた。亡くなったのは、その2年後、1927年7月17日のことである。生涯独身で、父親が亡くなった後は、ほぼ盲目状態にあった母親と暮らしていた。昔の女性作曲家は結婚生活に合わないイメージがあるが、彼女もその例に漏れない。
2018年の時点で記録されている作品番号は1から65まで。その内容はバラエティに富んでいて、ピアノ曲、室内楽曲、交響曲、協奏曲、歌曲、合唱曲、そして『ハデュモット』『魔法にかけられたカリフ』といったオペラまで含まれる。今では聴く機会がない作品ばかりだが、私が聴いた一部の作品に関して言えば、ロマンティックで美しい旋律で編まれたものが多い。中でも素晴らしいのが、作品番号17が付されたチェロ・ソナタだ。ニ長調、全三楽章。1878年頃、つまり20代後半に作曲されたものである。
第一楽章はアレグロ・モルト。青春の息吹に満ちた主題が波打ち、高揚感とみずみずしさで聴き手を魅了する。この主題が示す生命の輝きは、ロベルト・シューマンの歌曲「献呈」のそれと通じている。青春がそのまま音楽に変換されるとこのようになる、という例である。チェロとピアノの旋律のシンプルなやりとりも心地よい。
第二楽章はアンダンテ・トランクィロ。一転して静かな雰囲気の中、甘く哀しげな主題が鳴り響く。これは第一楽章の主題と呼応するものだが、世界観は大きく異なる。胸にしみる哀愁を紡ぐチェロの動きはシンプルだが、ピアノの方は流動的で、チェロの音に光をちりばめてゆくように表情を変える。
第三楽章はアレグロ・ヴィヴァーチェ。第一楽章の主題を、より溌剌として活力があるものに発展させた主題が印象的に繰り返される。単純なソナタ形式ではなく変奏曲的でもあり、面白い。フィナーレはやや唐突に訪れ、勢いをつけ疾駆するようにして幕を閉じる。
堅固な構成ではないが、ストレートでロマンティックな情感と、自由な気風に満ちた作品である。このソナタの忘れがたい主題は、チェロのために編まれた名旋律中の名旋律。先ほどシューマンの歌曲「献呈」を例に挙げたが、ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の「愛の動機」の残影も感じられる。それらの影響を受けつつ生み出した結晶=愛の主題とみていいだろう。
トーマス・ブレースがチェロ、マリア・ベルクマンがピアノを弾いた1991年の録音は、ひとことで言えばおおらかな演奏で、甘い旋律を堪能させてくれる。ル・ボーゆかりのバーデン=バーデンで録音されたものだ。デニス・セヴェリンがチェロ、タチアナ・コルサンスカヤがピアノを弾いた2014年の録音は、もっと引き締まった演奏で、全体の構成も緻密なものに感じられる。呼吸の音が少し耳につくが、慣れれば気にならない。
ル・ボーは1910年に自伝『ある女性作曲家の人生体験』を著しているが、2018年現在、日本では翻訳されていない。ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルやクララ・シューマンの関連本は出ているので、そろそろかなと思っていたら、後が続かない。才能ある一人の芸術家の足跡のみならず、当時の女性作曲家の苦悩、苦闘を知る上でも貴重な資料なので、ぜひ日本でも出版してもらいたものだ。
【関連サイト】
Luise Adolpha Le Beau
『ある女性作曲家の人生体験』(原語)
広く知られているとは言い難い女性作曲家、ルイーゼ・アドルファ・ル・ボーは、1850年にドイツのラシュタットに生まれた。父親は軍人だったが音楽に造詣が深く、その影響もあって16歳の時に本格的に音楽の道を志し、10代でピアニストとしてデビュー、その後作曲を学び、1882年にコンクールで優勝してからは、ピアニスト、作曲家の二足のわらじを履き、さらに音楽批評も行っていた。
私がこの人の名前を知ったのは社会人になって間もない頃のことで、作品をきちんと聴き始めたのはだいぶ後、2007年になってからである。杉並公会堂で催された「女性作曲家音楽祭2007」に行っていなかったら、今も聴かないままでいただろう。最近は、その音楽性が少しずつ見直されているようなので、そのうち評価の機運が一気に高まる時が来るかもしれないが、日本ではまだマイナーである。
女性作曲家はル・ボー以前にも存在するが、作曲コンクールで優勝したり、音楽批評にも携わったりした例はあまり聞かない。とはいえ、出る杭は打たれると言うべきか、彼女は女性差別の壁に直面し、落ち着いて作曲できる場所、その作品を発表できる場所を求めてミュンヘン、ヴィースバーデン、ベルリン、バーデン=バーデンと転居を繰り返すことになる。
作曲の才能を磨くために、ミュンヘンでフランツ・ラハナーとヨーゼフ・ラインベルガーに師事した時も、彼女の成功と独立心はやがてラインベルガーの不興を買うようになったという。これ以前にも、彼女はピアニスト兼女性作曲家として先輩にあたるクララ・シューマンからピアノの指導を受け、すぐに距離を置いている。ル・ボーは一つの型にはめられるタイプではなく、多くの音楽家と交流し、そこから刺激を受けて自身の創作に生かしていた。
最終的に安息の地となった故郷近くのバーデン=バーデンでは、1925年に75歳の誕生日を祝し、ル・ボーの作品を集めたコンサートが開かれた。亡くなったのは、その2年後、1927年7月17日のことである。生涯独身で、父親が亡くなった後は、ほぼ盲目状態にあった母親と暮らしていた。昔の女性作曲家は結婚生活に合わないイメージがあるが、彼女もその例に漏れない。
2018年の時点で記録されている作品番号は1から65まで。その内容はバラエティに富んでいて、ピアノ曲、室内楽曲、交響曲、協奏曲、歌曲、合唱曲、そして『ハデュモット』『魔法にかけられたカリフ』といったオペラまで含まれる。今では聴く機会がない作品ばかりだが、私が聴いた一部の作品に関して言えば、ロマンティックで美しい旋律で編まれたものが多い。中でも素晴らしいのが、作品番号17が付されたチェロ・ソナタだ。ニ長調、全三楽章。1878年頃、つまり20代後半に作曲されたものである。
第一楽章はアレグロ・モルト。青春の息吹に満ちた主題が波打ち、高揚感とみずみずしさで聴き手を魅了する。この主題が示す生命の輝きは、ロベルト・シューマンの歌曲「献呈」のそれと通じている。青春がそのまま音楽に変換されるとこのようになる、という例である。チェロとピアノの旋律のシンプルなやりとりも心地よい。
第二楽章はアンダンテ・トランクィロ。一転して静かな雰囲気の中、甘く哀しげな主題が鳴り響く。これは第一楽章の主題と呼応するものだが、世界観は大きく異なる。胸にしみる哀愁を紡ぐチェロの動きはシンプルだが、ピアノの方は流動的で、チェロの音に光をちりばめてゆくように表情を変える。
第三楽章はアレグロ・ヴィヴァーチェ。第一楽章の主題を、より溌剌として活力があるものに発展させた主題が印象的に繰り返される。単純なソナタ形式ではなく変奏曲的でもあり、面白い。フィナーレはやや唐突に訪れ、勢いをつけ疾駆するようにして幕を閉じる。
堅固な構成ではないが、ストレートでロマンティックな情感と、自由な気風に満ちた作品である。このソナタの忘れがたい主題は、チェロのために編まれた名旋律中の名旋律。先ほどシューマンの歌曲「献呈」を例に挙げたが、ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の「愛の動機」の残影も感じられる。それらの影響を受けつつ生み出した結晶=愛の主題とみていいだろう。
トーマス・ブレースがチェロ、マリア・ベルクマンがピアノを弾いた1991年の録音は、ひとことで言えばおおらかな演奏で、甘い旋律を堪能させてくれる。ル・ボーゆかりのバーデン=バーデンで録音されたものだ。デニス・セヴェリンがチェロ、タチアナ・コルサンスカヤがピアノを弾いた2014年の録音は、もっと引き締まった演奏で、全体の構成も緻密なものに感じられる。呼吸の音が少し耳につくが、慣れれば気にならない。
ル・ボーは1910年に自伝『ある女性作曲家の人生体験』を著しているが、2018年現在、日本では翻訳されていない。ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルやクララ・シューマンの関連本は出ているので、そろそろかなと思っていたら、後が続かない。才能ある一人の芸術家の足跡のみならず、当時の女性作曲家の苦悩、苦闘を知る上でも貴重な資料なので、ぜひ日本でも出版してもらいたものだ。
(阿部十三)
Luise Adolpha Le Beau
『ある女性作曲家の人生体験』(原語)
ルイーゼ・アドルファ・ル・ボー
[1850.4.25頃-1927.7.17]
チェロ・ソナタ ニ長調 作品17
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
デニス・セヴェリン(vc)
タチアナ・コルサンスカヤ(p)
録音:2014年
トーマス・ブレース(vc)
マリア・ベルクマン(p)
録音:1991年
[1850.4.25頃-1927.7.17]
チェロ・ソナタ ニ長調 作品17
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
デニス・セヴェリン(vc)
タチアナ・コルサンスカヤ(p)
録音:2014年
トーマス・ブレース(vc)
マリア・ベルクマン(p)
録音:1991年
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