音楽 CLASSIC

ブラームス ハイドンの主題による変奏曲

2021.10.03
「聖アントニウスのコラール」から始まる物語

brahms haydn j5
 ブラームスの『ハイドンの主題による変奏曲』は、1873年に作曲され、同年11月、作曲者自身の指揮により初演された。交響曲第1番を完成させる3年前のことである。

 1870年、ウィーン学友協会の司書でハイドン研究家のカール・フェルディナンド・ポールから、ハイドン作とされる「ディヴェルティメント 変ロ長調 Hob.II.46」の存在を教えられたブラームスは、「聖アントニウスのコラール」と題された第2楽章を主題に変奏曲を書こうと思い立ち、管弦楽版と2台ピアノ版の両方を作曲し始めた。
 作品目録では、2作とも作品番号56とされ、管弦楽版は「作品56a」、2台ピアノ版は「作品56b」と表記されている。ブラームス自身は「この作品はそもそもオーケストラのための変奏曲です」と語り、一方で、「2台ピアノ版を編曲とみなす意見は好みません」と語っているので、どちらかを優位に置く意図はなかったものと思われる。

 現在では、「ディヴェルティメント 変ロ長調 Hob.II.46」はハイドンの作ではなく、イグナツ・プレイエルの作品ではないかと言われている。真相ははっきりしない。肝心の第2楽章「聖アントニウスのコラール」については、古い讃美歌からの引用とみなす向きもある。ただ、いずれにしても当時のブラームスには関係のない話だ。彼はこの主題をハイドンのものとみなして作曲し、管弦楽史上に輝く大傑作に仕上げたのである。
 変奏曲はブラームスが得意としていた形式で、すでに「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」や「パガニーニの主題による変奏曲」といったピアノ曲を書いていたが、1873年以前に書かれた管弦楽曲は決して多くない。目立つところでは、セレナード第1番と第2番があるくらいだ。それらに比べると、『ハイドン変奏曲』はオーケストレーションの面で一段の進境を示しており、過去に交響曲を何作か書いてきた作曲家の手になるものと言われても違和感がないほど、充実した内容を持っている。

 作品は、主題と8つの変奏曲と終曲で成り立っている。各変奏は緩急強弱の変化に富みながらも、ばらついた感じがない。落ち着いた味わいのある讃美歌風の主題「聖アントニウスのコラール」(変ロ長調)が、山あり谷あり、明あり暗ありの変奏を経て、スケール感のある終曲に到達するさまは、人生の物語を見ているかのようで、真に感動的である。

 第1変奏(変ロ長調)は常に前進して上昇するような気分を持つ。第2変奏(変ロ短調)は強音が印象的で情熱的。第3変奏(変ロ長調)は明るくのびやかで牧歌的。第4変奏(変ロ短調)は秋のわびしさを感じさせる枯れ葉色の美しい世界である。第5変奏(変ロ長調)は躍動的で快活そのもの。第6変奏(変ロ長調)も軽快に始まるが、まもなくダイナミックな強音が横溢する。第7変奏(変ロ長調)はシチリアーノ風とも評される優しい楽想で、清澄な朝の空気を思わせる。そして、神秘的な暗がりの中を手探りで進むような第8変奏(変ロ短調)の後、光の降り注ぐ終曲が始まる。
 終曲(変ロ長調)はパッサカリアで、まず主題「聖アントニウスのコラール」をもとにした旋律(5小節)が低弦によって奏でられ、これが様々な楽器によって19回繰り返される。17回目になると「聖アントニウスのコラール」そのものがはっきりと現れ、やがてこのコラールが高らかに響き、華やかに締めくくられる。

 『ハイドン変奏曲』の終曲でパッサカリアの形を用いたことが、その後、交響曲第4番の第4楽章を作曲する際に大きく影響したという話はよく聞く。ただ、それ以外にも、このオーケストレーションの豊潤な色彩感と交響曲第2番との関連性や、第4変奏と交響曲第3番の第3楽章との関連性など、様々な作品との繋がりについて思いを巡らせてみたくなる。

 演奏会ではあまり聴く機会がないが、録音の種類は多い。ジョージ・セル指揮、クリーヴランド管による演奏(1964年録音)は楷書の演奏。アンサンブルが締まっていて、テンポがよく、強弱もはっきりしていて、終始フレーズの形がきちんと浮き彫りにされている。うるさくなりがちな最後のトライアングルの音は控えめである。

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 ルドルフ・ケンペ指揮、ミュンヘン・フィルの演奏(1975年録音)は、木管の歌わせ方が丁寧で、しかも精彩に溢れ、生き生きとしている。テンポは総じて速めで、演奏時間は17分に満たない。オットー・クレンペラー指揮、ニュー・フィルハーモニア管(1969年ライヴ録音)は、木管の音色がより素朴で、コクがあり、とても味わい深い。
 ただ、木管にフォーカスして聴くなら、ヨーゼフ・クリップス指揮、フィルハーモニア管による演奏(1963年録音)が最も面白い。冒頭の主題から木管の歌わせ方が変わっていて、その後は、木管が描く模様の変化を見せるような変奏曲となっている。私は初めて聴いた時、こんなアプローチがあったのかと驚かされ、新鮮な感動を覚えた。

 クルト・ザンデルリンク指揮、ベルリン響による演奏(2002年ライヴ録音)はゆったりとしたテンポで、まずは主題をたっぷりと聴かせる。あっさりと終わらせがちな第8変奏でも神秘的な雰囲気がよく出ていて好ましい。終曲では清澄な響きが広がっていくような爽快感を覚える。
 セルジウ・チェリビダッケ指揮、ミュンヘン・フィルによる演奏(1980年ライヴ録音)は、完璧に制御された遅めのテンポと柔らかな響きが魅力で、第1変奏から第4変奏までは「このフレーズはこう演奏されるもの」という概念を覆してくる。ただ、第7変奏や終曲でフレージングの細かな処理に甘さがあるのが(ライヴだとしても)もったいない。

 クラウディオ・アバド指揮、ベルリン・フィルによる演奏(1990年録音)は、冒頭の主題から優しい歌心に溢れていて、あたたかみがある。緩急強弱の変化は精妙にコントロールされていて、しかもその表現がわざとらしくない。さすがベルリン・フィルだ。第7変奏はあっさり味だが、終曲のスケール感は大きく、余韻が深い。
 古いところでは、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、ウィーン・フィルによる演奏(1952年ライヴ録音)が良い。第4変奏はテンポが遅く、陰影が濃い。弦にずっしりとした重みがあり、底から湧き上がるような悲哀を感じさせる。第8変奏はたおやかで美しく、終曲の弦もよく歌っている。

 変奏の単位で言うと、カール・ベーム&ウィーン・フィル盤の第7変奏(1977年録音)は、弦の響きが絶美である。レナード・バーンスタイン&ウィーン・フィル盤の第7変奏(1981年録音)も良いが、秀逸なのは第8変奏で、ティンパニ、低弦を使って終曲で何かが起こりそうな予兆をうまく表現している。クリストフ・エッシェンバッハ&ヒューストン響による演奏(1992年録音)は、冒頭の主題が古風な響きを持っていて香り高い。金管の強めの音と木管の音のバランスが絶妙で、(ヒューストン響なのに)ドイツ的な重厚さを醸している。
(阿部十三)


ヨハネス・ブラームス
[1833.5.7-1897.4.3]
ハイドンの主題による変奏曲 作品56a

【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
クルト・ザンデルリンク指揮
ベルリン交響楽団
録音:2002年(ライヴ)

ヨーゼフ・クリップス指揮
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1963年

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