音楽 CLASSIC

ショパン 24の前奏曲

2023.03.04
簡潔で繊細な音の詩集

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 ショパンは1838年11月にジョルジュ・サンドと共にマヨルカ島へ行き、3ヶ月ほど過ごした。悪化した体調を回復させることが主な滞在目的だったが、ショパンは環境に馴染めず、精神的なストレスも重なり、病状は良くならなかった。しかし、その間も作曲を行い、1839年1月に完成させたのが「24の前奏曲」である。

 作曲にあたり、ショパンが参考にしたのはJ.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集である。バッハに敬意を表し、ショパンも全ての調性を使用し、24曲をそれぞれ異なる調で書いた。ただ、24曲の配列方法はバッハと異なり、平行短調を挟んだ5度循環を採用している。ハ長調を起点(第1番)とし、第2番にはその平行調であるイ短調、第3番にはハ長調より5度上のト長調、第4番にその平行調であるホ短調が来る、という構成である。また、バッハの平均律の場合、前奏曲とフーガが組み合わせになっているが、ショパンの方は前奏曲のみである。

 作曲を開始した時期は、明確にわかっていない。大半の曲はマヨルカ島に行く前(1838年11月まで)に書かれていたとする研究もある。その一方で、作曲にまつわる次のような逸話も広まっている。マヨルカ島でショパンが病に苦しんでいたある日、ジョルジュ・サンドが買い出しに出かけると、豪雨になり、帰りが遅れた。サンドが夜遅くに帰宅すると、ショパンが彼女の身を案じて不安に苛まれ、涙を流しながら、仕上げたばかりの曲を弾いていた。サンドによると、それが第6番だという(もっとも、一般的にこの逸話と共に紹介されるのは第15番の方で、「雨だれ」という名称まで付けられている)。

 第1番(ハ長調)はアジタート。憧れと情熱に駆られたように分散和音がうねりだす。第2番(イ短調)はレント。調性が曖昧で早くも憂鬱な雰囲気が漂う。第3番(ト長調)はヴィヴァーチェ。勢いのよいアルペジオが躍動感を生んでいる。第4番(ホ短調)はラルゴ。内省的で寂しげな曲。ショパンの葬儀で演奏された。第5番(ニ長調)はモルト・アレグロ。アラベスク風の動機がリズミカルな分散和音の中で光彩を放つ。第6番(ロ短調)はアッサイ、レント。雨音を思わせる音に情感豊かな旋律が重なる。これもショパンの葬儀で演奏されたという。

 第7番(イ長調)はアンダンティーノ。穏やかで優しい旋律で綴られたマズルカで、CMでもおなじみの曲。第8番(嬰ヘ短調)はモルト・アジタート。情熱的な分散和音が印象的だが、中間部における和声の変化も聴きどころ。第9番(ホ長調)はラルゴ。重厚な響きが支配的で、ここまでの曲と趣を異にする。第10番(嬰ハ短調)はモルト・アレグロ。軽快で細かい音の動きにマズルカのリズムを織り交ぜている。第11番(ロ長調)はヴィヴァーチェ。ショパンらしい優美さと甘美さを持つ曲。第12番(嬰ト短調)はプレスト。力強いタッチで半音階的な上昇・下降を行う。

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 第13番(嬰ヘ長調)はレント。感傷的で穏やかな旋律が甘く懐かしい光景を描き出す。第14番(変ホ短調)はアレグロ。両手のユニゾンによる三連音符が突風のように過ぎ去る。第15番(変ニ長調)はソステヌート。静かに始まり、転調後に暗く劇的な展開をみせる。曲集の中では最も長い。第16番(変ロ短調)はプレスト・コン・フオーコ。スピード感と緊張感に満ちた難曲で、音階を主題としている。第17番(変イ長調)はアレグレット。主題は親しみやすく、優しい雰囲気だが変化に富む。第18番(ヘ短調)はアレグロ・モルト。オペラのレチタティーヴォのように心の叫びを描き出す。

 第19番(変ホ長調)はヴィヴァーチェ。流麗な三連符と軽やかな旋律の融和が美しい。第20番(ハ短調)はラルゴ。葬送行進曲を思わせる曲で、和音の響きが格調高い。ラフマニノフやブゾーニがこの曲を基に変奏曲を書いている。第21番(変ロ長調)はカンタービレ。甘美で情熱的な夜想曲風の作品だが、左手の伴奏が独特。第22番(ト短調)はモルト・アジタート。左手のオクターヴが耳に残る力強い曲。第23番(ヘ長調)はモデラート。16分音符の連なりはきらめく水の流れのようである。第24番(ニ短調)はアレグロ・アパッショナート。低音のリズムが力強く刻まれる中、熱っぽい旋律が激しい変化を見せながら荒れ狂う。最後はニ音を3度繰り返して終わる。

 第15番を除くと各曲は簡潔に書かれており、繊細で変化に富んだ詩集を読むような味わいがある。40分程度の演奏時間とは思えないほど、様々な感情や思索を追体験したような感覚になり、深甚たる余韻に浸れる。有名なのは第7番、第15番、第20番、第23番あたりだが、どの曲にも個性と興趣がある。配列の妙味を堪能する上でも、全曲を通して聴いておきたい。なお、ショパンの前奏曲はこれだけでなく、1841年に作曲された前奏曲嬰ハ短調、未出版となった前奏曲変イ長調がある。

 録音に関しては、卓越した技巧で華やかに弾かれる演奏、練り込まれた解釈でじっくりと聴かせる演奏、技術も解釈も標準的でバランスのとれた演奏など様々ある。私が好んでいるのは澄んだ詩情と静謐を感じさせる演奏、どこか孤独感の漂う演奏である。

 シューラ・チェルカスキー盤(1968年録音)、ジャンヌ=マリー・ダルレ盤(1965年録音)には孤独な音の響きがある。あまり頭で考えすぎることなく、己の感性と個性を型にはめず、末梢的な刺激を求める方向に傾かず、インスピレーションを重んじて弾いている。その表現力の素晴らしさは第4番、第6番、第13番、第15番に顕著である。チェルカスキーが弾く第8番、第17番、ダルレが弾く第10番もニュアンスが豊かで、深く心に響く。

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 世評が高いのはマウリツィオ・ポリーニ盤(1974年録音)、マルタ・アルゲリッチ盤(1975年録音)、グリゴリー・ソコロフ盤(1990年録音)、エフゲニー・キーシン(1999年録音)だろう。古いところでは、アルフレッド・コルトー盤(1933年録音)がショパンの詩情をニュアンスたっぷりに表現した名演として知られている。私自身はコルトー盤を通してこの前奏曲集の魅力を知った。コルトーのルバートのかけ方は独特だが、それが自分勝手なものに思えず、ポエジーを顕在化させているように感じられたのだ。独特といえば、イーヴォ・ポゴレリッチ盤(1989年録音)も超個性的だが、的外れなことをしている印象はなく、表現の可能性を広げる創造的な演奏として楽しめる。
(阿部十三)


【関連サイト】
Fryderyk Chopin : 24 Preludes(CD)
フレデリック・ショパン
[1810.3.1-1849.10.17]
24の前奏曲 作品28

【お薦めの演奏】(掲載ジャケット:上から)
シューラ・チェルカスキー(p)
録音:1968年

ジャンヌ=マリー・ダルレ(p)
録音:1965年

アルフレッド・コルトー(p)
録音:1933年

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