音楽 CLASSIC

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第31番

2023.11.05
「嘆きの歌」から輝かしい結末へ

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 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番は、1821年から1822年にかけて作曲された。自筆譜に記された完成日は、1821年12月25日。そこから修正作業を行い、1822年初春まで第3楽章に手を入れていたようである。献呈相手としては、パトロンだったフランツ・ブレンターノの夫人アントーニエか、弟子のフェルディナント・リースが予定されていたが、何らかの理由で取り止めとなり、1822年7月に出版された。

 抒情味に富んだ作品で、旋律が美しい。構成も素晴らしく、変化に富んでいるが簡潔にまとまっている。ここには甘い夢、懐かしい過去、快活な冒険があり、憂愁と悲嘆がある。途中で闇が濃くなる。しかし、そこから力強く歩き出し、暗いところを突き抜け、自らの意思の力で輝きを手にする。ベートーヴェンの数あるピアノ作品の中でも屈指の感動的なフィナーレだ。

 第1楽章はモデラート・カンタービレ・モルト・エスプレッシーヴォ。変イ長調。朝の穏やかな目覚めを思わせる美しい第1主題が奏でられ、すぐに快活に愛らしく躍動する。清らかな第2主題が現れた後、クレッシェンドで強さを増して高潮するが、一時的なもので終わる。展開部では第1主題が転調しながら8回繰り返され、寄り道もなく再現部へ。第1主題がみずみずしいアルペジオの伴奏で奏でられ、転調して第2主題以降まで進む。コーダでは第1主題の冒頭部分が回想され、静かに閉じられる。

 第2楽章はアレグロ・モルト。へ短調。スケルツォ的な性格を持った3部形式で、自由な発想と力強い響きに溢れている。主題はリズミカルで、前半の4小節はピアニッシモ、後半の4小節はフォルテで奏でられる。その後ピアニッシモのフレーズが続き、力強い和音の雷が落ちる。中間部は下降旋律が5回繰り返されるだけで、再び主題が戻り、最後は穏やかに終わる。主題の後に続くピアニッシモのフレーズは、どことなく「マイム・マイム」を思わせるところがある。

 第3楽章は長い序奏がついたフーガ楽章である。変イ長調。序奏はアダージョ・マ・ノン・トロッポ。静かに開始され、細かくテンポを変えて進むが、やがて16分の12拍子で暗い和音が響き、「嘆きの歌(Klagender Gesang)」が奏でられる。これはベートーヴェン自身が名付けたもので、その旋律は美しくも切ない。なお、J.S.バッハの『ヨハネ受難曲』のアリア「成し遂げられた」との類似を指摘する声もある。

 「嘆きの歌」が終わると、主部のフーガ(アレグロ・マ・ノン・トロッポ)に入る。フーガ主題は第1楽章の第1主題を変型させたもので、これが自由な展開をみせる。その後、「嘆きの歌」が再現され、「疲れ果て、嘆きつつ」という指示の下、深刻な色合いが増すが、ト長調に切り替わり、「少しずつ元気を取り戻しながら」という指示で、フーガ主題が反行形で提示される。主題は途中で短縮され、テンポも和声も変化し、フーガの技法も手が込んでくる。しかし変イ長調に移ってからは、速度を増して一直線にフィナーレへと進み、主題が激しく高揚した末に、華々しく曲を終える。

 ベートーヴェンが強弱や速度について細かく指示することは珍しくないが、第3楽章に見られる「疲れ果て、嘆きつつ」「少しずつ元気を取り戻しながら」といった表現は、特別なこだわりを感じさせる。あたかも歌詞でもついているかのような指示である。「嘆きの歌」の存在が象徴しているように、ベートーヴェンはこの楽章に声楽的な性格を与えようとしていたのかもしれない。また、フーガの扱い方も独特で、厳格な書法として用いるのではなく、高度な作曲技術によってフーガ表現の可能性を押し広げている。

 最も感動的なのは、2度目の「嘆きの歌」が終わった後、ト長調の和音がクレッシェンドで繰り返されるところで、心臓の鼓動のように響く。その啓示的な音と共に、力尽きた精神と肉体が蘇生する。これ以降、フーガは自由度を増し、様式から離れて奔流のように突き進む。情熱的なアルペジオを経て最後に響く和音からは、煩瑣なことを振り切って、自分の思いを貫こうとする人間の姿が浮かんでくる。嘆き苦しみ、模索し、決然たる意志を伝える手紙のような音楽だと私は思う。もっとも、ベートーヴェンがどんな心情を音楽に託したか、それが仕事に関することなのか、恋愛や人間関係に関することなのか、人生全般に関することなのかはわからない。

 先述したように、この作品は作曲者による指示が多く、演奏者も一つ一つの音符の扱いに注意する必要があるが、あまり細かいニュアンスにまで神経質になると、音の密度が濃くなりすぎ、聴いていて耳が疲れる。私がこの作品の演奏に求めているのは、弱音にしても強音にしても過剰な音を出しすぎないこと、情感があること、自由なイマジネーションを感じさせることである。

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 過剰な音を出さず、情感があり、ニュアンスも大事にしながら、自然な流れを損なっていない演奏としては、クラウディオ・アラウ盤(1965年録音)を挙げたい。ヨウラ・ギュラー盤(1973年録音)は、いわば情感とイマジネーションの世界で、速度・強弱の指示に細かく拘泥せず、歌うように弾いている。グレン・グールド盤(1956年録音)も名演。第1楽章から歌心に溢れているが、白眉は第3楽章で、独特なフーガ表現に魅せられる。フー・ツォン盤(1962年録音)の第3楽章は上品で思索的。ただし、録音状態はかなり悪い。エリー・ナイ盤(1956年録音)の表現も素晴らしい。音色は明るいが、フーガから音の深みが増し、2度目の「嘆きの歌」は重く切ない。問題はその後で、クレッシェンドで猛烈な強音が啓示的に響き、空気を一変させ、厳かな雰囲気になる。どんな強音も、そこに意味があれば過剰にはならないという好例である。
(阿部十三)


【関連サイト】
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
[1770.12.16?-1827.3.26]
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 作品110

【お薦めの演奏】(掲載ジャケット:上から)
クラウディオ・アラウ(p)
録音:1965年

ヨウラ・ギュラー(p)
録音:1973年

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