音楽 CLASSIC

モーツァルト 交響曲第40番 後篇

2011.04.23
ワルターからミンコフスキまで

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 名盤と呼ばれている録音は少なくない。長年、最高の「40番」とされてきたブルーノ・ワルター/コロンビア響の組み合わせを筆頭に、オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管、カール・ベーム/ウィーン・フィル、ヨーゼフ・カイルベルト/バイエルン放送交響楽団(ライヴ)などなど、どれも素晴らしい出来である。
 ワルターならコロンビア響よりウィーン・フィルを指揮したライヴ盤の方が上だと言う人も多い(ずっと1952年5月18日のライヴ音源とされてきたが、何年か前にオーストリア放送協会のデータにより1956年6月24日に訂正された)。この演奏は気迫がこもっていて、50年代のウィーン・フィルならではの甘美なポルタメントも味わえるし、低弦の音もインパクトがあり、一度聴いたら忘れられない感触を残す。ちなみにワルターとウィーン・フィルのライヴ音源はもう一種類あり(1952年5月17日)、こちらを推す人もいる。この辺は甲乙付けがたいし、あえて付ける意味もないだろう。

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 「ワルターのモーツァルト」に拮抗するものとして挙げておきたいのは、亡くなる直前の1970年5月に来日したジョージ・セル/クリーヴランド管のライヴ。「セル=完璧主義=冷たい」と評する人もいるが、このライヴは熱い。完璧な演奏でありながら、そこをさらに突きぬけて高く駆け出そうとしている。第1楽章はとくに凄絶で、鳥肌が立つほど美しく、哀しい。

 1948年12月に録音されたヴィルヘルム・フルトヴェングラー/ウィーン・フィルの演奏は、〈モルト・アレグロ〉の指示に従っている点で傾聴に値する。まるで地煙りをたてながら疾駆しているような激越な第1楽章。それでいて品格を失うことがない。

 残念ながら1990年代以降の録音にはめぼしい「40番」が見当たらない。期待して聴いても、充実感がなく、空疎な印象しか残らない。あるいはピリオド奏法で作為的にやりすぎ、聴くに堪えない壊れた玩具のような音楽にしてしまった人もいる。それらの演奏に接するたびに、現代においてモーツァルトをありのままに美しく演奏することがそこまで困難なことなのだろうか、と考えてしまう。
 比較的新しいところでは、モーツァルティアンを唸らせたジャンルイジ・ジェルメッティ/シュトゥットガルト放送交響楽団の演奏が良い。とはいえ録音は1989年、もう20年以上前である。

 現代のモーツァルト演奏で最も精彩を放ち、最も説得力があるのは、マルク・ミンコフスキ/ルーブル宮音楽隊の録音かもしれない。私の中でのミンコフスキのイメージは、末梢的な刺激を追いかけているパリの悪童。だが、この「40番」はスコアの読みの深さを感じさせる名演奏だ。外向的なようで内向的。軽快なように見せながら、裏には哀しみが隠されている。これみよがしの哀しみではない。その繊細な表現力には舌を巻く。難しいアゴーギクも悉く成功している。これは過去の名盤と比べても遜色はないと思う。


【関連サイト】
モーツァルト 交響曲第40番 前篇
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
[1756.1.27-1791.12.5]
交響曲第40番ト短調 K.550

【お薦めディスク】(掲載CDジャケット:上から)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ブルーノ・ワルター指揮
録音:1956年6月24日(ライヴ)

クリーヴランド管弦楽団
ジョージ・セル指揮
録音:1970年5月22日(ライヴ)

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