音楽 CLASSIC

ハイドン 交響曲第100番「軍隊」

2013.06.25
ハイドン入門

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 1793年から1794年の頭にかけて作曲された「軍隊」は、「驚愕」と共に、数多あるハイドンの交響曲の入り口に控えている曲である。多くの人は、これらの作品からハイドンの音楽の森の中に足を踏み入れていく。ちなみに、「軍隊」という呼称はザロモン・コンサートでの初演時から使われているもので、第2楽章で打楽器(大太鼓、シンバル、トライアングル)が軍楽風に鳴り響いたり、トランペットが軍隊信号を奏でたりすることに由来している。

 構成、旋律発想、管弦楽法のどれをとっても作曲当時の充実した境地をうかがわせる作品である。第1楽章の第1主題や第2主題の旋律など、大変親しみやすく、一気にひきこまれてしまう。末梢的な刺激を求める人はハイドンの交響曲をちょっと聴いただけで「物足りない」というが、感性のアンテナを鋭くして聴けば、神機妙算の域に達した作曲技法と滾々と湧き出る創作エネルギーに目を見張らされ、音楽的に豊麗な世界が広がっているのを感じとることが出来るだろう。60歳を超えてもこんなみずみずしい音楽を書けるというのは、それだけでも驚異である。

 第1楽章は短いアダージョの序奏で始まり、主部でアレグロに切り替わって、第1主題と第2主題を巧みに交差させながら進行する。構成の妙に唸らされるが、あざとさは全く感じさせない。第2楽章はリラ・オルガニザータ協奏曲ト長調の第2楽章をアレンジしたものだが、ダイナミクスの対比がユニーク。コーダでは突然軍隊信号が鳴り響き、その後に凄絶な音響の爆発が起こる。第3楽章は軽やかさと堂々たる趣を兼ね備えたメヌエット。第4楽章の構成には一分の隙もない。かといって、これみよがしの緻密さや窮屈さは微塵もない。鮮やかな管弦楽法を駆使し、プレストで旋律を駆けめぐらせながら、華やかなフィナーレへと進んでいく。

 どの指揮者が振っても大差ない作品と思われそうだが、そんなことはない。凡百の指揮者が振ると、せっかくの傑作が退屈なものになってしまう。フリッツ・ブッシュとウィーン交響楽団の組み合わせによる録音は、「軍隊」のみならず、ハイドンという作曲家の魅力を根底から見直させる名演奏である。造型が引き締まっていて、強音ひとつとっても迫力と緊張感に満ちているが、過剰な自己表現に陥ることはない。各声部を絶妙な加減で浮き立たせたフィナーレなど、スコアの中に凝縮されている音楽的エッセンスを何度でも堪能させる匠の技の賜物といえよう。難をいえば、音質が古いことくらいである。

 音質の問題をほとんど感じさせないカール・ミュンヒンガー指揮、ウィーン・フィルによる演奏は、初めてハイドンを聴く人にもお薦め出来る録音。ミュンヒンガーはウィーン・フィルからとことん美しい響きを引き出しつつ、時に激越な強音を要求して、聴き手を圧倒する。前菜扱いされがちなハイドン作品だが、こういう本質的に濃厚な演奏の後では、メインディッシュは必要ない。

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 ちなみに、私が初めて聴いた「軍隊」は、オットー・クレンペラー指揮、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団による録音である。第1楽章第1主題の木管の愛らしさと美しさに魅了され、繰り返し聴いたものである。この演奏に限ったことではないが、クレンペラーの木管の歌わせ方には、他の指揮者からは得られないコクがあり、ちょっとしたフレーズにも光彩と陰翳を感じさせる。

 ほかに、昔の録音ではブルーノ・ワルター指揮、ウィーン・フィルの1938年の演奏、21世紀以降の録音ではマルク・ミンコフスキ指揮、ルーヴル宮音楽隊の2009年の演奏が高い評価を受けている。その中間に生まれたサー・コリン・デイヴィス指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管の1977年の録音も大変聴きごたえがある。デイヴィスの指揮はハイドンの音符を慈しみ、さらにコンセルトヘボウ管の響きを慈しむかのよう。ロマンティックなハイドンを味わいたい人にはたまらない佳演である。
(阿部十三)


フランツ・ヨーゼフ・ハイドン
[1732.3.31-1809.5.31]
交響曲第100番 ト長調「軍隊」

【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
フリッツ・ブッシュ指揮
ウィーン交響楽団
録音:1950年

オットー・クレンペラー指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
録音:1965年

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