音楽 CLASSIC

J.S.バッハ ゴルトベルク変奏曲

2015.07.09
音楽の冒険

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 J.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」は、『クラヴィーア練習曲集』の第4部として1741年(1742年とも言われる)に出版された作品で、元々は「2段の手鍵盤をもつチェンバロのためのアリアとさまざまな変奏」と題されていた。「ゴルトベルク変奏曲」と呼ばれるようになったのは、ヨハン・ニコラウス・フォルケルが『バッハ小伝』の中で、あの有名なエピソードを伝えてからである。すなわち、カイザーリンク伯爵が不眠症に悩んでいた頃、眠れない夜に気持ちを慰めてくれるような作品をバッハに依頼し、それを伯爵に仕えていたヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクに弾かせたという話だ。当時ゴルトベルクは14歳か15歳。これだけの変化に富んだ変奏曲を満足のいくように弾きこなせたとすれば、相当の才能の持ち主だったのだろうが、このエピソード自体の信憑性を疑う人は多い。

 冒頭で32小節の美しいアリアが奏でられた後、その低音主題に基づく30の変奏曲が披露され、最後に再びアリアで締めくくられる。全32曲。ト長調が29曲、残り3曲はト短調である。30の異なる変奏は3曲ごとにカノンによって区切られ、一つの小さなまとまりを成している。バッハは数字に大きな意味を持たせた作曲家だが、ここでは3と32が支配しているようだ。

 数字が支配しているといっても、そこに溢れる楽想は窮屈さとは無縁で、驚くほど大胆で斬新だ。創作アリアに基づく32の変奏曲「ラ・カプリツィオーザ」(これもト長調)を書いた先輩作曲家ブクステフーデからの影響も感じられるが、バッハの作品が革新的であることに変わりはない。快活な第1変奏だけでも意外性に富んでいるし、暗く幻想的な第25変奏にいたっては各曲との連関性のきわどさを見せつけるかのようで、そこまでやるかと言いたくなる。こういう作品を聴くにつけ、クラシック音楽が保守の歴史ではなく、革新の歴史であることを改めて痛感させられる。一つ一つの変奏を作曲している間のバッハの頭の中がどんな風だったのか、どの変奏から着手したのか、変奏の順番は何を意味しているのか、これは推理小説のテーマにもなり得る謎だ。約80年後に「ディアベリ変奏曲」を書くことになるベートーヴェンだったら、どのようにバッハの楽譜を読み解くだろう。

 30の変奏曲がもたらすのは、汲めども尽きぬ魅力に満ちた音楽の冒険である。民謡を用いた最後の「クォドリベット」は、その到達感のあらわれだ。いかにも大団円という趣がある。伯爵の不眠症を癒すために書かれた(らしい)というエピソードに反論する気はないし、私自身、昔は第15変奏、第21変奏、第25変奏に配された短調の曲を聴くと必ず眠くなったものだが、一度作品全体を把握した者にとっては、何度通っても面白みのある道が続いている。

 「ゴルトベルク変奏曲」を語る上で欠かせない演奏家は2人いる。ワンダ・ランドフスカとグレン・グールドだ。前者は言わずと知れたチェンバロ復興の立役者。1933年にこの作品を録音し、しばらくの間、決定盤とみなされていた。後者はこれまた超有名なカナダ出身のピアニストで、1956年に弱冠23歳で「ゴルトベルク変奏曲」を発表してデビュー(録音時は22歳)。そこでセンセーショナルな成功を収めたことが、今日の「ゴルトベルク変奏曲」の人気につながっていると言っても過言ではない。総じてテンポが速く、反復も無く、「ジャズのようだ」とも評されたこの演奏に違和感を覚えた人は多いようだが、これによって重々しいバッハ像が払拭されたことは間違いない。

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 かくいう私はこの演奏を好みながらも、録音の音質が生理的に受けつけられず、自ら率先して聴くことはほとんどない。グールドに関して言えば、2度目の録音、彼が世を去る前年(1981年)の演奏をよく聴いている。ゆるやかなテンポで、なおかつ旋律の一つ一つを浮き上がらせ、主張させ、各変奏の連関性を印象づけるように弾いているので、音の動きがつかみやすい。作品に対する深い理解と愛情が伝わってくる演奏だ。ただ、もう少し自然な音楽の流れを好む人には、ザルツブルク音楽祭で弾いたときの演奏(1959年ライヴ録音)が向いているかもしれない。

 「ピアノによるゴルトベルク」は、グールドが先駆者であるわけではなく、ランドフスカとグールドの録音の間にはクラウディオ・アラウの演奏が存在する。これは1942年に録音されたもののお蔵入りとなり、1988年になって発売された。また、1920年代には若き日のルドルフ・ゼルキンがアンコールで全曲弾いたというエピソードも残っている。とはいえ「グールド以後」にピアノで録音した人は、程度の差こそあれ、この天才をいやでも意識せざるを得なくなっている。常に比較されるのだから、そうなるのも仕方ない。結果的に、深い音楽性よりも理知や才気で武装した頭でっかちの演奏が多くなっている。

 その点、1969年に録音されたヴィルムヘルム・ケンプの演奏は、年の功とでも言うべきか、グールドの影響を全く感じさせない。装飾音を最小限に削り、音楽自体がリラックスして流れているような開放的な雰囲気に覆われている。ほかのピアニストと同じ作品を弾いているとは思えない、と言うと大袈裟だが、そう言いたくなるほど独自に確立された世界の中で悠然とピアノを奏でている。

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 本来「ゴルトベルク変奏曲」は嗜好性が著しく異なる作品で、人によって好みが細かく分かれるのが普通なのではないかと思う。どんな歴史的名盤もそこまでアテにならず、自分に合う演奏を簡単に見つけることはできないのだ。私の場合、グールド、ケンプ、ランドフスカ、ロザリン・テューレック(1988年録音)の順に好きになったが、完璧に自分にフィットする音楽を見出したわけではなかった。私が初めて「ゴルトベルク変奏曲をのみこめた」と感じて、さわやかな感動を覚えたのは、エディト・ピヒト=アクセンフェルトのチェンバロ(1965年頃の録音)を聴いたときである。アリアの演奏中、やたら耳につく鳥のさえずりには苦笑させられたものだが、第1変奏から第30変奏まで意匠を凝らした表現に魅せられ、集中力を保ったまま楽しむことができた。バッハの奥深い世界を分かりやすく伝えるチェンバロである。そして、もう一人忘れてはならないのがマリア・ティーポによるピアノ版(1986年録音)。独特の重心を持つフレージングと凝り固まったところのない音色の美しさが印象的な彼女の演奏も愛聴盤である。

ヨハン・セバスチャン・バッハ
[1685.3.31-1750.7.28]
ゴルトベルク変奏曲 ト長調 BWV988

【お薦めの録音】(掲載ジャケット:上から)
エディト・ピヒト=アクセンフェルト(cemb)
録音:1965年頃

グレン・グールド(p)
録音:1981年4月〜5月

マリア・ティーポ(p)
録音:1986年

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