音楽 CLASSIC

ガーシュウィン ピアノ協奏曲

2018.12.16
アメリカ国民音楽

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 ポール・ホワイトマンからの依頼で1924年に「ラプソディ・イン・ブルー」を作曲した時、ジョージ・ガーシュウィンはまだ管弦楽法に精通していなかったため、オーケストレーションはホワイトマンの下で働いていたグローフェが担当した。この曲は、周知の通り、それまでポピュラー・ソングの人気作曲家だったガーシュウィンの名を世に轟かせたが、当の本人は管弦楽法を学ぶ必要を感じていた。

 そこで、1925年に指揮者のウォルター・ダムロッシュから本格的なピアノ協奏曲の作曲を依頼されると、ガーシュウィンは理論書を読み、独学でオーケストレーションを身につけた。自費で劇場を借りて楽団員を雇い、試奏しながら楽譜を修正していったというから、気合いの入れ方も相当なものだったのだろう。そうして情熱を注いだ結果、ジャズ、ブルース、チャールストンの文法を巧みにとり入れた、色彩と変化に富んだ協奏曲が仕上がったのである。

 ストラヴィンスキーやラヴェルと会った時の有名な逸話は、この後のものである。1928年にパリへ行ったガーシュウィンは、尊敬する2人の作曲家に作曲法を学ぼうとしたが、ストラヴィンスキーからは「君の方が稼いでいるのだから、こちらの方が教えてもらいたいくらいだ」と言われ、ラヴェルからは「君は一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになることはない」と言われたという。ストラヴィンスキーはこの噂を否定しているので、話半分といったところだろう。

 ガーシュウィンのピアノ協奏曲はしばしば「粋で洗練されている」と評されるが、天才の執念を感じさせる作品でもある。第1楽章のフォックス・トロット風の第2主題は、最初のうちは軽快に演奏され、ジャズの風味を出しているが、これがモデラート・カンタービレで管弦楽によりロマンティックに歌い上げられるところはクラシック音楽であり、その対照的な手法に喝采を送りたくなる。やや翳りを帯びた第1主題が再現部で豪快に奏されるのも、鮮やかな変容ぶりである。ガーシュウィンはピアノ協奏曲という伝統的形式を用いながらも、先人たちの模倣をする気はなかったらしい。あくまでも自分の内に流れるアメリカ的なリズムやメロディーを素材とし、天才の発想と独自の管弦楽法によって、クラシック音楽らしくない主題がクラシック音楽と化す実例を、そのプロセスごと示してみせたのだ。

 第2楽章はブルースの濃厚なムードに覆われ、ホルンも、トランペットも、ピアノもその雰囲気に則しているが、第2主題がオーケストラによって優美に奏でられると、クラシック音楽的になり、燃え上がるようなクライマックスを形成する。第3楽章はアレグロ・アジタートで荒々しく疾駆する。ピアノの異様なまでのスピード感や、チャールストン的なフィーリングに耳を奪われるものの、第1楽章と第2楽章の主題を回想し、総括的な意味を持たせている点において、全3楽章の中で最も保守的な楽章と言える。

 過去の作曲家たちは、民族音楽的な主題をいかして妙技性に富む作品を書いた。同様にガーシュウィンも自国の音楽を重んじ、それをクラシック音楽の形式の中で活用した。その作曲姿勢は先人たちと同じとまでは言わないが、ほとんど変わらない。世の人々がこれを「アメリカ国民音楽」として受け取ったのも頷けるのである(伊福部昭によると、この協奏曲が初演された翌年の1926年は「アメリカ国民音楽現ると論議やかましかった」らしい)。

 ジョージ・ガーシュウィンはクラシックの演奏家に弾いてもらうことを想定していたと思うので、純クラシックのピアニストがコンサートや録音で取り上げるのは、意に沿ったことなのだろう。ただ、いざその演奏を聴いてみると、リズムやアクセントの処理などで物足りなく感じられることが多い。私が重視しているのは、第1楽章の第2主題の展開部で、モデラートからアレグロに切り替わり、強くリズムを刻むところだが、ここを上品に弾かれると拍子抜けしてしまう。かといって、ジャズメンが弾くと全体的に崩し方がきつすぎてピンとこない。

 ガーシュウィンの友人だったオスカー・レヴァントによる演奏(1942年録音)は作品の魅力をストレートに伝えるものとして一度は聴いておきたい。レヴァントはマルチな才能を持っていたアーティストで、シェーンベルクに作曲を師事したり、俳優として数々の映画に出演したり(ガーシュウィンの伝記映画『アメリカ交響楽』では爆発的なスピードで第3楽章を弾いている)、テレビ番組で司会を務めたりしていた。指揮はアンドレ・コステラネッツ、オーケストラはニューヨーク・フィル。コステラネッツはポップスにもクラシックにも造詣が深く、オケも一流なので、さしずめ最強の布陣といったところである。繊細なニュアンスを求める人には向かないが、作品の輪郭をきちんと浮き彫りにしているし、歌わせるところは歌わせており、緩急強弱も明確なので、聴いていて純粋に楽しい。

 アンドレ・プレヴィンの2種の録音(1960年録音、1971年録音)も名盤として知られている。1960年の録音は指揮者がアンドレ・コステラネッツ、1971年の録音はプレヴィン自身の弾き振り。ちなみにプレヴィンは、ガーシュウィン没後のメモリアル・コンサート(1937年9月8日)でレヴァントが協奏曲を弾いた際、指揮を務めたチャールズ・プレヴィンの甥である。こうして縁がつながるのかと思うと感慨深い。肝心の演奏はというと、レヴァントに劣らずセンスが良く、より繊細にアプローチしているが、もう少しフォルテを大胆に鳴らしてほしいという不満が残る。

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 フィリップ・アントルモンの演奏(1967年録音/ユージン・オーマンディ指揮)は、軽やかさも華やかさも格調の高さも備えていて、アクも強くないので聴きやすい。全体的に整いすぎている気はするものの、ここまでの名演を聴かされて不満を漏らすのは贅沢すぎるかもしれない。エレーヌ・グリモーによる演奏(1997年録音/デイヴィッド・ジンマン指揮)は、ピアノの鳴りっぷりが良く、造型もしっかりしている。それでいて軽やかなリズムを処理する腕も確かだ。ジンマンの指揮は、強音の響きが派手すぎる感なきにしもあらずだが、音楽の流れによどみがなく、盛り上げ上手である。


【関連サイト】

ジョージ・ガーシュウィン
[1898.9.26-1937.7.11]
ピアノ協奏曲 ヘ長調

【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
フィリップ・アントルモン(p)
ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団
録音:1967年

エレーヌ・グリモー(p)
デイヴィッド・ジンマン指揮
ボルティモア交響楽団
録音:1997年

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