ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番
2019.09.03
遺書の後に
ベートーヴェンが完成させたピアノ協奏曲は全部で5つあるが、短調を主調としているのは第3番のみである。
確かなのは1803年に完成したということ。つまり、ハイリゲンシュタットの遺書(1802年)をしたためた後である。この点は重視したい。
1800年に大部分を作曲していたとしても、最終形にいたるまでに、「遺書」に記された劇的な心理状態のもと、作品の内容を見直したのではないかと考えるのが自然だろう。しかも、調性はハ短調。ベートーヴェンがオーケストラを用いた作品で、ハ短調を主調としたのはおそらくこれが初である。
私はピアノ協奏曲第3番を、難聴に苦しみ、自殺を考え、芸術家としての使命に燃え始めた作曲家の葛藤や願望が刻まれた作品と考えている。
第1楽章冒頭でオーケストラが奏でる第1主題は物々しく、深刻かつ闘争的な印象を与える。濃密で、ずっしりと重い。しかし、その後の展開は変化に富み、優美さ、躍動感、深い幻想性までも備えている。なおかつ様式的に整っていて、音楽的に美しくあろうとする意識が強く働いている。1806年に作曲された協奏曲第4番と比較すると、第4番はあからさまにロマン派の香りがするのに対し、この第3番の場合、内面はロマン派、外面は古典派の威容を保っている、という風に言えそうだ。
第1楽章の長いカデンツァの後、第481小節から弦とティンパニがppで加わり、ピアノが分散和音を奏でるあたりは、深い幻想性を感じさせる。この味わいは第2楽章で倍加し、第39小節から第52小節まで、ピアノの分散和音、弦、木管がうっとりとした夢の世界へと聴き手を誘う。それもただ甘いだけではない、二度と戻ることのできない過去を追憶させるような切なさが漂っている。
第3楽章はロンド。ベートーヴェンのピアノ協奏曲の終楽章はどれもロンドだが、第3番の終楽章は特に充実していて、魅惑的な旋律、緊密な構成を堪能させる。劇的な短調の響きを持ちながら、軽やかさと華麗さを失わないところも特徴的だ。プレストでコーダに入ってからのピアノも輝かしい。
第3番は重いだけの作品ではないが、演奏する時は重さがないと物足りない。作曲家の内面の深部を見つめる厳しさ、決然たる意志の強さのようなものもあって然るべきだ。明るいフレーズを軽やかに弾きこなす技巧、優雅さも求められる。落ち着きはらっていて整然とした演奏は、綺麗事に感じられる。
私が好きな演奏は、ヴィルヘルム・ケンプ独奏、パウル・ファン・ケンペン指揮、ベルリン・フィルの録音(1953年録音)と、エミール・ギレリス独奏、ジョージ・セル指揮、ウィーン・フィルの録音(1969年ライヴ録音)。この時期のケンプには覇気があり、思いきりの良さがある。それに、第2楽章では抒情味のあるピアノでたっぷりと夢想に浸らせてくれる。ギレリスのライヴ録音は格調の高さとスケールの大きさを感じさせる名演だ。強音の重厚さは十分だし、流れるようなフレーズは軽やかで美しい。
クララ・ハスキル独奏、イーゴリ・マルケヴィッチ指揮、コンセール・ラムルーの演奏(1959年録音)も素晴らしい。前二者と比べるとピアノの力強さは足りないが、陰翳は濃い。マルケヴィッチの完璧なサポートがその陰翳を濃くしている、と言う方が正確かもしれない。第1楽章のカデンツァが終わり、オーケストラが入ってくるところはゾクゾクするほど美しく、熱を帯びた幻想的な靄の中から音の炎が噴き上がる映像が目に見えるようだ。第2楽章の肝心なところで編集の継ぎ目らしきものがあるのが惜しい。
マリア・グリンベルク独奏、クルト・ザンデルリンク指揮、ソビエトRTV大交響楽団(1965年録音)は、飾り気のない真摯なアプローチで、仰々しく構えることなく、ベートーヴェンの激しい息づかいを聴かせる。軽やかさが欲しい人にはいささか重たい演奏だが、私はたまに聴きたくなる。
(阿部十三)
【関連サイト】
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
[1770.12.16頃-1827.3.26]
ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
ヴィルヘルム・ケンプ(p)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1953年
エミール・ギレリス(p)
ジョージ・セル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1969年(ライヴ)
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