音楽 CLASSIC

J.S.バッハ ブランデンブルク協奏曲第5番

2020.02.06
ポピュラーで、画期的な協奏曲

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 私が最初に聴いた音楽が何なのかは覚えていないが、クラシック音楽というものを好きになる前から、バッハのメロディーは何種類も知っていた。幼少の頃、テレビ、ラジオ、あるいは街中で聴く機会があったのだろう。パッと思い浮かぶだけでも、「G線上のアリア」、「トッカータとフーガ ニ短調」、無伴奏チェロ組曲第1番の「前奏曲」、小フーガ、イタリア協奏曲、ゴルトベルク変奏曲の「アリア」と、この時点ですでに五指に余る。実際はペツォールトが作曲したものだが、「バッハのメヌエット」として知られたメロディーも、子供の頃に聴いていた。

 ブランデンブルク協奏曲第5番の第1楽章の旋律も、ずいぶん昔に聴き、耳になじんでいたものである。何度も繰り返し聴いたという記憶はないので、テレビか何かで流れていたのをすぐに覚えて、忘れられなくなったのだろう。当時は映像作家にしてもアニメーション作家にしても、音楽に造詣の深い人が多かったし、バッハの曲を使用していたとしても不思議はない。

 ブランデンブルク協奏曲は第1番から第6番まである。この名称は、ブランデンブルク辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒに献呈されたことに由来している。辺境伯は1719年にバッハに「何か作品を書いてほしい」と依頼したそうだが、この6作が辺境伯に捧げることを意図して書かれたのかどうかは定かでない。当時ケーテンの宮廷楽長を務めていたバッハが、宮廷楽団のために作曲したものの中から辺境伯が好みそうな作品を6つ選んだ可能性もある。

 1番から6番までの番号は作曲順ではなく、最後に完成されたのは第5番ではないかと見られている。1719年3月14日、新しいチェンバロがベルリンからケーテンに到着した後、バッハは入手したばかりの楽器を活かすために初期稿に手を加え、「チェンバロ協奏曲」と呼ぶべき内容に仕上げた。それが第5番だ。この作品はいわば史上初のチェンバロ協奏曲であり、ピアノ協奏曲の起源と目されている。

 第1楽章はアレグロ。有名な主題(ニ長調)で開始し、これが様々な形で何度も繰り返される。精緻なリトルネロ形式だ。フルート、ヴァイオリン、チェンバロが精彩を放ち、やがて65小節に及ぶチェンバロのソロに突入する。最後は主題で締めくくられる。「初のチェンバロ協奏曲」という面のみクローズアップされがちだが、横笛フルートが大きな役割を担っているところも、バッハの時代では画期的なことだった。

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 第2楽章はアフェットゥオーソ。「愛情を込めて、優しく」という意味だ。静けさの中、どこか哀しげなロ短調の旋律が流れ、それが繰り返される。胸にしみる旋律だが、優美でもある。

 第3楽章はアレグロ。ジーグ風(バロック期に流行した速めのテンポの舞曲)の主題が快活に駆け出し、明るさが取り戻される。形式的には、リトルネロ形式、ダ・カーポ形式、そしてフーガも包含している。中間部では、ジーグ風の主題が変形してのびやかに歌われ、最後はまた快活な主題に戻る。

 私はこの音楽を聴くと、ある映像を思い浮かべる。第1楽章は、陽に照らされた庭園。緑の草木があり、その中心に噴水があり、向こう側に白い邸宅が見える。第2楽章は日暮れ時、静かになった庭の風景だ。第3楽章では夜になり、灯がつき、人が集まり、踊りの催しが行なわれているようである。

 かつて高村光太郎は岩手の花巻に住んでいた時、「ブランデンブルグ」という詩を書いた。そこにこのような詩句が見られる。

高くちかく清く親しく、無量のあふれ流れるもの、
あたたかく時にをかしく、
山口山の林間に鳴り、
北上平野の展望にとどろき、
現世の次元を突変させる。
(略)
バッハは面倒くさい岐路を持たず、
なんでも食つて丈夫ででかく、
今日の秋の日のやうなまんまんたる
天然力の理法に応へて、
あの「ブランデンブルグ」をぞくぞく書いた。

 これが第5番のことを書いた詩かどうかは分からないが、この作品はたしかに「無量のあふれ流れるもの」があり、「現世の次元を突変させる」力を持つ。20分ほどの短い曲で、複雑な形式もないが、器が大きく、ねじ曲がったところがない。「まんまんたる天然力の理法」と言われれば、なるほどと思わされる。

 録音だと、カール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管の演奏(1967年録音)が稀代の名演奏で、アンサンブルが引き締まっていて、緊張感がある。楽器の響きも格調高い。もっと平和な気分を味わいたい人には、ジャン=フランソワ・パイヤール指揮、パイヤール室内管の演奏(1973年録音)が向いている。音色が明るく、鳩が飛んでいそうなイメージである。ジャン=ピエール・ランパルのフルートの音色も美しく、柔らかい光を帯びているかのようだ。

 クルト・レーデル指揮、ミュンヘン・プロ・アルテ室内管の演奏(1962年録音)もまろやかで、美しい。ヴァイオリンを弾いているのは、戦後のバロック復興に貢献したラインホルト・バルヒェット。艶やかで深みのある音色が心地よい。ロベール・ヴェイロン=ラクロワが弾くチェンバロも、技巧、フレージングともに冴えていて素晴らしい。

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 古楽器では、クリストファー・ホグウッド指揮、エンシェント室内管の演奏(1984年録音)が魅力的だ。テンポは速くて軽やかだけど、一部のピリオド奏法にみられる浮ついた感じがなく、アクセントがしっかりとしている。各楽器の音は生き生きしていて、ここぞという時の合奏も華やかだ。そして、クリストフ・ルセが弾くチェンバロが巧い。ソロ部分のきらびやかさは、これが一番だろう。

 オットー・クレンペラー指揮、フィルハーモニア管の演奏(1960年録音)は、ゆったりとした足取りで進むが、重々しくなることはない。むしろ、この指揮者らしく各楽器の旋律をきちんと浮かび上がらせる手法が奏功し、みずみずしく聴こえる。これでチェンバロをエディット・ピヒト=アクセンフェルトのような人が弾いていたら完璧だった。

 チェンバロではなくピアノが使われているバージョンでは、アドルフ・ブッシュが弾き振りした演奏(1935年録音)がエレガントで素晴らしい。ピアノはもちろんルドルフ・ゼルキン、フルートは名手マルセル・モイーズ。テンポはゆったりとしているが、各楽器の響きは驚くほど繊細だ。あと一つ、アルフレッド・コルトーが弾き振りした演奏(1932年録音)も面白い。ジャック・ティボーのヴァイオリンの音色からこぼれる情緒もたまらない。第1楽章はフランス風の瀟洒な趣があるだけでなく、緩急強弱の付け方も個性的で(テンポは速め)、楽しく聴くことができる。
(阿部十三)


【関連サイト】
J.S.Bach  Brandenburg Concertos(CD)
ヨハン・セバスチャン・バッハ
[1685.3.31-1750.7.28]
ブランデンブルク協奏曲第5番 ニ長調 BWV1050

【お薦めの録音】(掲載ジャケット:上から)
クルト・レーデル指揮
ミュンヘン・プロ・アルテ室内管弦楽団
録音:1962年

カール・リヒター指揮
ミュンヘン・バッハ管弦楽団
録音:1967年

クリストファー・ホグウッド指揮
エンシェント室内管弦楽団
録音:1984年

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