音楽 CLASSIC

R.シュトラウス 楽劇『ばらの騎士』 [続き]

2015.11.23
ばらの使徒たち

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 このオペラを知った十代の頃は、第二幕のオクタヴィアンとゾフィーの二重唱、第三幕のマルシャリンとオクタヴィアンとゾフィーの三重唱、オクタヴィアンとゾフィーの二重唱にばかり惹かれ、第一幕を理解できていなかった。劇的な動きをみせる第二幕や第三幕に比べると、第一幕は心理的であり、取り繕った世界の奥にあるマルシャリンの哀愁をきちんと汲み取れずにいたのだ。要するに、私自身がまだオクタヴィアンの心持ちだったのである。その素晴らしさが分かってきたのは、出会いから10年以上経った頃、マルシャリンの年齢(シュトラウスによると、32歳未満とのこと)に近づくことで、第一幕後半の「マルシャリンの独白」が心にしみるようになり、このオペラをより深く愛するようになった。

 私が初めて堪能した『ばらの騎士』は、ヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮した1984年収録の映像である。1960年に制作された映像の存在を知ると、今度はそちらに夢中になった。マルシャリン役はエリザベート・シュヴァルツコップである。次に、エーリヒ・クライバー指揮による1954年6月の録音(マルシャリン役はマリア・ライニング)を入手し、数年後、カラヤン指揮による1960年のライヴ録音(マルシャリン役はリーザ・デラ・カーザ。最初はARKADIA盤で購入した)にたどり着いた。長い間私の愛聴盤だったのは、クライバーのセッション録音とカラヤンのライヴ録音。カラヤンが紡ぎ出す音楽は思考を停止させるほど耽美的だ。クライバーの音楽は銀の粉を散らしながら緩急自在に回転しているかのようで、大胆かつ精妙な手際で重ねられる響きにも生命の脈動が感じられる(録音の音質は私の耳には少々きつい)。

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 もう一人、『ばらの騎士』で酔わせる指揮者として、ハンス・クナッパーツブッシュの名前を挙げないわけにはいかない。彼は生前このオペラを何度も振っており、1955年のウィーン国立歌劇場再建時にも指揮台に立ち、賞賛を浴びている。その音源が遺っているのは後世の幸いだ。テンポには余裕があり、なおかつ生気を失わず、各パートのコクのある音色やふっくらとした甘いアンサンブルが時折耳にすべりこんでくる。ウィーンのオケの美質をしっかり引き出している、という点では最高の演奏の一つと言えるのではないか。大半の歌手のコンディションも良い。伝え聞くところによると、上演の際、練習嫌いのクナはリハーサル無しで本番に臨んだらしいが、そのやり方が功を奏し、オケの自発性と集中力を高めることに成功したのだろう。むろん、それもこれも彼のバトン・テクニックあってのこと。ほかの指揮者が同じことをしても、ここまでうまくいくとは思えない。

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 エーリヒ・クライバーの息子カルロスもこのオペラを得意としており、1979年にバイエルン国立歌劇場、1994年にウィーン国立歌劇場で振ったときの映像がある。ライヴ音源もあり、1973年のバイエルン国立歌劇場、1976年のミラノ・スカラ座、1990年のメトロポリタン歌劇場の演奏等(音源はほかにもある)を聴くことができる。私自身は1994年の映像に思い入れがある。この演奏から浮き上がる黄昏の翳りは、ほかでは得られないものだ。

 それぞれの役に象徴的な歌手がいることも記しておきたい。オックスだとルートヴィヒ・ヴェーバー、クルト・ベーメ、オットー・エーデルマン、クルト・モルが有名。下品で粗暴だがどこか憎めないところのあるキャラクターは、彼らによって受け継がれてきた。

 オクタヴィアン役で最も賞賛されたのはセーナ・ユリナッチだろう。ただ、ユリナッチの先輩にあたるイルムガルト・ゼーフリートのオクタヴィアンも、この人らしいしなやかさと恍惚の和らぎがあって好ましい。クリスタ・ルートヴィヒ、ブリギッテ・ファスベンダー、アグネス・バルツァ、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターといった名歌手たちの名唱も傾聴に値する。

 ゾフィーの象徴的な歌手はヒルデ・ギューデン。シュトラウスもその美声を好んでいた。彼女の前だと、エリザベート・シューマン、エルナ・ベルガー、マリア・チェボターリが代表的なゾフィーだった。ギューデンの次世代になると、アンネリーゼ・ローテンベルガー、アーリーン・オジェー、ルチア・ポップ、ヘレン・ドナートといったこれまた豪華な面々が歌っている。私はギューデンとオジェーが歌うゾフィーに一時期のぼせていたが、後者については断片的に遺っているライヴ音源で聴いたことがあるのみだ。それだけでも理想的なゾフィーであったことがうかがえる。この全曲盤があればと思わずにはいられない。

 ユリナッチがウィーン国立歌劇場友の会のインタビューで、「私たちソプラノで、マルシャリンを歌いたくない者なんているでしょうか」と言っていたように、これは名ソプラノと言われる人の多くが好んでいる役で、それぞれのキャリアの集大成的な歌唱を聴かせている。ユリナッチもルートヴィヒもオクタヴィアンを経た後、マルシャリンになった。ギネス・ジョーンズも同様。先に名前を挙げたリーザ・デラ・カーザにいたってはゾフィーもオクタヴィアンも歌っている。

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 こういった第一級の歌手たちによるマルシャリンの中で、とくに高い評価を得たのはエリザベート・シュヴァルツコップである。正確に言えば、彼女の前にはロッテ・レーマンがいるし、ヴィオリカ・ウルズレアクやマリア・ライニングがいるのだが、シュヴァルツコップのマルシャリン像ほどメディアを通じて広く知られ、受け入れられた例はない。カラヤンが指揮した1956年の録音や1960年の映像(ほかにもいくつかライヴ音源がある)に接すれば、その理由も分かる。シュヴァルツコップによる緻密な人物造型からは、自分の心理を抑制し、取り乱すことのできない立場にある女性の切なさが伝わってくる。「歓楽極まりて哀情多し」の境地をいやというほど痛感させるのだ。

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 私はもう少し自然な声の抑揚やニュアンスの入れ方を好んでいるので、分別臭さのないデラ・カーザの歌で聴くことの方が多い。1960年にカラヤンと組んだときのライヴ音源はキャストも最高だし、これでもっと音質が良ければ、決定盤に挙げる人も増えたはずだ。ただ、ここが難しいところで、デラ・カーザの歌声自体は、1956年にルドルフ・ケンペがメトロポリタン歌劇場で指揮したときのライヴ音源の方が潤っている。声が若いとか貫禄がないと言う人もいるかもしれないが、マルシャリンは老け役ではないし、多少なよやかな方がこちらも感情移入しやすい。

 『ばらの騎士』の音楽の美しさに見合う歌唱と演奏は得難い。私の場合、第二幕の二重唱を聴いても、第三幕の三重唱を聴いても、「もっと美しくなるはずだ」と考えてしまう。クライバー親子やカラヤンの指揮であっても、録音や映像を繰り返し再生し、そのつど心から満たされるということはない。仮に私がウィーンで観た舞台を今映像で観ることができたとしても、同じ状態に陥るのではないか。おそらく、この現象は、極限の美とはあくまでも一回性であり、本来再生されるものではないということを示している。


【関連サイト】
R.シュトラウス 楽劇『ばらの騎士』
Richard Strauss Online
リヒャルト・シュトラウス
[1864.6.11-1949.9.8]
楽劇『ばらの騎士』 作品59

【お薦めの録音】(掲載ジャケット:上から)
マリア・ライニング、ルートヴィヒ・ヴェーバー、
セーナ・ユリナッチ、ヒルデ・ギューデン
エーリヒ・クライバー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1954年6月

マリア・ライニング、クルト・ベーメ、
セーナ・ユリナッチ、ヒルデ・ギューデン
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
収録:1955年11月(ライヴ)

フェリシティ・ロット、クルト・モル、
アンネ・ゾフィー・フォン・オッター、
バーバラ・ボニー
カルロス・クライバー指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
収録:1994年3月(ライヴ)

エリザベート・シュヴァルツコップ、
オットー・エーデルマン、セーナ・ユリナッチ、
ヒルデ・ギューデン
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
収録:1960年8月(ライヴ)

リーザ・デラ・カーザ、オットー・エーデルマン、
セーナ・ユリナッチ、ヒルデ・ギューデン
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1960年7月(ライヴ)

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