音楽 CLASSIC

R.シュトラウス 楽劇『ばらの騎士』

2015.11.20
ウィーンの心のオペラ

rosenkavalier a1
 美しさで徹底的に酔わせるオペラといえば、なんといっても『ばらの騎士』である。あまりにも美しいため、このような音楽がこの世にあることが時折信じられなくなる。しかし、間違いなく『ばらの騎士』は人の手によって生まれたものであり、俗世に属している。そして、私の耳にきこえている。そんな当たり前のことに感謝したくなる。初めて映像で観た17歳のときから今日にいたるまで、私が『ばらの騎士』に抱いている印象は変わっていない。これほど美しいオペラはない。

 時と場所は、女帝マリア・テレジア治世下のウィーンで、第一幕の舞台は元帥夫人の寝室。元帥ヴェルデンベルク侯爵が狩りに出かけている留守中、愛を交わした元帥夫人(マルシャリン)と17歳のオクタヴィアンが、ベッドの上で快楽の余韻を引きずっている。朝を迎えた2人はたわいのない会話を交わすが、マルシャリンが「夢の中に侯爵が出てきた」と言ったことで雲行きが怪しくなる。嫉妬するオクタヴィアン。その上マルシャリンは、以前にもこのような情事があったことをつい匂わせてしまい、オクタヴィアンは動揺する。

 そこへマルシャリンのいとこであるオックス男爵がやってくる。オクタヴィアンは女装して小間使いの「マリアンデル」に化け、その場を逃れようとする。野卑で下品なプレイボーイのオックスは、成金の新興貴族ファーニナルの娘ゾフィーと結婚する旨をマルシャリンに告げ、結納として銀のばらを届ける使者の人選について相談する。マルシャリンはオクタヴィアン伯爵を推薦する。オックスは人選に満足するが、それ以上に「マリアンデル」のことが気になり、強引に口説こうとする。

 舞台には公証人、美容師、歌手、陰謀屋などが登場し、にぎやかになるが、やがて静かになり一人になると、マルシャリンは昔のことを思い出し、自分がもう若くないこと、すべては時の流れと共に指の間から流れ落ち失われてゆくことを憂う。自分の服に着替えて戻ってきたオクタヴィアンを見ても、自分はこの若者に今日か明日にでも捨てられるのだ、という思いにとらわれるばかり。オクタヴィアンはそんなマルシャリンを慰めようとするが、「一人にしてほしい」と言われると、どうすることもできず、侯爵邸をあとにする。

 マルシャリンの予感は的中する。第二幕でオクタヴィアンは銀のばらの使者としてファーニナル邸に行き、ゾフィーに恋心を抱く。その後、無作法なオックスがやってきて横暴に振るまい、初対面のゾフィーを驚かせる。こんな男とは結婚したくない、とオクタヴィアンに助けを求めるゾフィー。一本気なオクタヴィアンはオックスと剣を交える。腕に傷を負い、大袈裟に騒ぐオックス。ファーニナルはあたふたし、ゾフィーを叱りつけ、男爵の機嫌を取ろうとする。オクタヴィアンは立ち去るが、一計を案じ、「マリアンデル」の手紙をオックスに届けさせる。オックス男爵への愛の告白である。手紙を読んで機嫌を直したオックスは、ワインを飲みながら、「マリアンデル」との甘い一夜を想像する。

 第三幕は食堂兼旅館の特別室が舞台。オックス男爵を罠にはめるべく、この個室に誘い込んだオクタヴィアンは、小間使いの「マリアンデル」に変装して、一緒に食事を始める。間もなくさまざまな騒ぎが起こり、オックスは大混乱に陥る。騒動を聞きつけた警部がやって来ると、醜聞を恐れるオックスは、「マリアンデル」のことを婚約者のゾフィーだと紹介してごまかそうとする。しかしファーニナルがやって来たことで、その嘘も通用しなくなる。

 男爵が窮地に立たされたところへマルシャリンが現れる。筋書きと違う展開に戸惑うオクタヴィアン。マルシャリンはこれが茶番劇であることを警部に分からせ、丸く収める。そして、オックスに向かって、貴族の品位を保ち、立ち去るように命じる。オックスたちがいなくなり、俄に静かになる室内。マルシャリンはオクタヴィアンとゾフィーが愛し合っていることを察し、自ら身をひく。深い事情を知らないファーニナルは、オクタヴィアンと娘の様子を見て、「こんなもんですかな、若い者は」とマルシャリンに言う。マルシャリンは「そう、そうね」と取り繕いながら答える。後に残ったオクタヴィアンとゾフィーは「あなただけを感じている」と愛を誓い合う。室内はいったん無人になるが、すぐに黒人の少年が現れ、ゾフィーが落としていったハンカチを見つけると、小走り部屋を出て、幕が下りる。

 フーゴ・フォン・ホフマンスタールはモリエールやルーヴェ・ド・クーヴレの作品を参考にし、1908年から1910年6月までの間に台本を執筆した。作曲はそれと並行して着手され、1910年9月26日に完成。初演は1911年1月26日にドレスデン宮廷歌劇場で行われ、大きな注目を集めた。内容の不道徳性に難色を示したり、ワルツを用いたことを時代錯誤(マリア・テレジアの時代にワルツは流行していなかった)だと批判した人も多かったようだが、それも最初のうちだけで、ウィーンで上演されてからは、当地の人々の心のオペラとして大事にされ続けている。

 ウィーンで観る『ばらの騎士』は格別だと言われる。私は2005年5月にその機会を得て、圧倒的な美の渦にのみこまれた。ばらの花びらがひらひらと散るのが目に見えるようだった。指揮はフィリップ・ジョルダンで、マルシャリン役はデボラ・ヴォイト。オーケストラ・ピットにいた女性奏者が三重唱のところで涙を浮かべていたのを記憶している。絶美の演奏、歌唱であった。学生の頃(1994年)、来日したカルロス・クライバー指揮の『ばらの騎士』を体験して、最早これ以上の体験は望めないと自分の中で決めつけていたが、それも「11年前」の美しい思い出になった。『ばらの騎士』は伝統を重んじる精神と卓越した才能を持つ人々によって特別に守られているオペラであり、この大作を担う指揮者や歌手はその年代ごとに生まれているのだ。ウィーンにはあれ以来行っていないが、おそらくそれは今も変わっていないだろう。


【関連サイト】
R.シュトラウス 楽劇『ばらの騎士』(続き)

月別インデックス