音楽 CLASSIC

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 100選 その4

2017.12.20
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 100選 その4

コル・デ・フロート
ウィレム・ファン・オッテルロー指揮
ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団
1953年録音
ピアノの音には重みがあるが、デュナーミクやアゴーギクに変な癖がなく、語り口は比較的なめらか。技巧も冴えている。両端楽章のヴァイオリンはきびきびしていて清洌だが、低弦の重みもしっかりと伝わってくる。オッテルローのこういうところは凄く上手いと思う(第1楽章コーダでは、ソリストのテンポと一部ズレているが)。第2楽章は全体的に音が強すぎて個人的に好みではないが、主題の変奏に入ってからのピアノとオーケストラが織りなすアンサンブルの素朴な響きには惹かれるものがある。第3楽章のピアノは勢いと疾走感があり、情熱的。それをオッテルローは冷静かつ適切にサポートしている印象。弱音のフレーズもおろそかにされていない。

デイム・マイラ・ヘス
サー・マルコム・サージェント指揮
BBC交響楽団
1957年9月12日ライヴ録音
第2楽章は穏やかな霊気を感じさせる名演だが、会場内のノイズ(咳など)がやや気になる。両端楽章は、技巧面で気になるところが多々あるが、弱音は透明感があって美しく、フォルテやフォルティッシモはかなり野太く響かせていて迫力がある。

マレイ・ペライア
ベルナルト・ハイティンク指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
1986年録音
一音たりとも力任せ、勢い任せに弾かないのはペライアらしい。強音の響きも開けっ広げな感じにならない。かといって神経質になりすぎることもない。ハイティンクの指揮は、そんなペライアの音楽性にあたたかく寄り添っている。華麗さや彫りの深さや緊張感はないが、ぬるい演奏というのではなく、音楽はしなやかに流れている。「皇帝」は物々しくて苦手、という人に好まれそうだ。個人的に好きなのは、第1楽章の292小節からの速い分散和音に息の長いクレッシェンドをかけて力強いフォルティッシモに達するところ。ペライアのうまさが光っている。

ヨーゼフ・ホフマン
ハンス・ランゲ指揮
1940年5月12日ライヴ録音
オーケストラの情報は記載されていない。ピアノの緩急強弱の付け方、アクセントの付け方は独特だが、「皇帝はこのように弾くものだ」という確信に満ちている。ピアノの音色は基本的に繊細。第2楽章は、旋律をどう紡ぐべきか心得ている人の演奏。第3楽章は冒頭から聴き手をロマン派の世界に引き込む。技術的には厳しいが、他にはない「皇帝」のビジョンを見せてくれる。

マウリツィオ・ポリーニ
カール・ベーム指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1978年録音
ポリーニのピアノは硬質で整っており、いざ光彩を放つ時の眩さは大変なものだが、全体としては、派手さはなく、むしろ抑制のきいた表現で魅せる演奏になっている。表層的な演奏効果を狙う外向的なタイプとは、性質が異なる。それもこれもベームの指揮にポリーニが共鳴(ないし追随)した結果だろう。ウィーン・フィルの響きも平生より内省的、質実である。ソリストも指揮者もオケもレーベルもメジャーで、広く知られた録音ではあるが、どちらかと言うと通向きという感じがする。

マウリツィオ・ポリーニ
クラウディオ・アバド指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1992年、1993年ライヴ録音
盟友同士の協演。ポリーニのピアノは華麗で、勢いもあるが、端正さを失わない。オーケストラの演奏は強音に節度があり、フットワークも柔軟。ソリストと指揮者が手と手を合わせ、この作品で実現し得る完璧な表現を求めているようだ。優等生らしくほとんど隙がない。様々な録音を聴き比べていると、このライヴの完成度の高さを思い知らされる。しかし全体が要点になっている感じで、表現上の創意、閃き、解釈にこれといったポイントを見出せず、あまり高揚できないというのが、率直なところだ。

ウラディミール・ホロヴィッツ
フリッツ・ライナー指揮
RCAビクター交響楽団
1952年録音
少しの曖昧さもないピアノの妙技に圧倒される。場の空気を一変させるようなフォルテの重量感も、ほかのピアニストには望めないものだ。第1楽章のコーダのスピード感もたまらない。第2楽章は絶美だが、76小節あたりから低音の残響なのか、微かにノイズらしきものが入っていて気になる。第3楽章は雄渾な演奏。212小節からの独奏部分など実にエキサイティングだ。ライナーのサポートはほぼ完璧で、アンサンブルが引き締まっているだけでなく、フレーズごとにどの楽器の色彩を強めるか、色合いを巧みにコントロールしている。

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ
ヴァーツラフ・スメターチェク指揮
プラハ交響楽団
1957年5月29日ライヴ録音
1990年代前半、絶賛されていた演奏。まだ30代後半のミケランジェリは冒頭から凄まじいテクニックで我々を唖然とさせる。速めのテンポだが、大胆に減速して遅くしたり、リズムを溜めている部分も少なからずある。弱音はミケランジェリらしく美しい。ライヴとは思えないほど完成されたピアニズム、そして、ライヴならではの気迫と集中力がここにある。スメターチェクの指揮も、ソリストの若き血流にうまく付いていっている。もう少し練られた表現を求める人は、1960年代以降の音源を聴けばいい。

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ
セルジウ・チェリビダッケ指揮
スウェーデン放送交響楽団
1969年5月20日ライヴ録音
ミケランジェリのピアノは流麗で高揚感があり、スケール感もある。音色はぞくぞくするほど美しい。オケのアンサンブルもピアノに負けないほど素晴らしく、細かな弦の動き、響きにまで神経が行き届いている。第2楽章では、ミケランジェリはしっかりとリズムを刻むが、チェリのサポートが絶妙で、重くなりそうなピアノを弦がふわりとすくい上げている。こういうところも(私にとっては)ポイントが高い。2人とも孤高の芸術家で気難しいことでも有名だったが、これを聴くと相性が良かったことが分かる。

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ
セルジウ・チェリビダッケ指揮
フランス国立放送管弦楽団
1974年10月16日ライヴ録音
マイクの位置の影響で、オーケストラの細かなニュアンスが隠れ気味になり、その代わりミケランジェリの魔術が克明に捉えられている。第1楽章に限ったことではないが、ピアノの弱音は珠のように美しく、強音はぞっとするほど迫力があって重い。左手が描く起伏もダイナミックだ。チェリビダッケの方は、色彩豊かな響きをオーケストラから引き出している。ホルンを効果的に強調したり、木管や弦の魅力的なフレーズを浮き上がらせたり、この指揮者らしく音の切れ目を丁寧に扱ったりと、芸が細かい。第2楽章は醒めた美の世界といったところ。録音の影響もあり、ピアノの音が強すぎるように感じられる。テンポはやや速め。第3楽章は流麗で覇気もある。371小節からの独奏ピアノの左手のリズミカルな動きがやけに目立っていて、「ロンド」であることを思い出させる。ミスがないわけではないが、ほぼ完璧な演奏。

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮
ウィーン交響楽団
1979年9月ライヴ録音
世評の高い名盤で、冒頭から粒立ちの良いピアノに「さすが」と唸らされる。フレージングも入念に練られたもので隙がなく、さらにライヴらしい熱気もある。第2楽章はピアノとオケのリズムの取り方がやや重い。高揚感を求めるならチェリビダッケとのライヴを聴くべきだが、これはこれで完成された名演には違いない。

ベンノ・モイセイヴィチ
ジョージ・セル指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
1938年録音
戦前の録音で、音質はそれ相応だが、演奏自体は神がかりと言いたくなるほど素晴らしい。第1楽章冒頭の独奏ピアノの静と動の表現にまずノックアウトされる。絢爛たる技巧や強靭な打鍵を特徴とする演奏とは異なり、霊感に支配されたような詩的なフレージングで魅せる。柔らかな弱音を巧みに操りながらも、他のピアニストが流して弾くようなところにアクセントを付けたり、左手を強調したり、極端にテンポを落として第2主題を弾いたりと、とにかく芸が細かい。しかし安っぽい芝居っ気や衒気は皆無だ。セルの指揮は躍動感を大事にしつつ、力強く締めるところは締めている。第2楽章は、鼓膜にふれるだけでとろけるような柔らかい音色でゆったりと流れてゆく。そんなピアノの繊細な響きに呼応する木管のアンサンブルも美しい。第3楽章も名演。あっさりしているようで、フレージングに精彩があり、きびきびしている。371小節以降、時折左手の音を強めに弾くのも、陰翳を重んじる演奏家らしい。

アリシア・デ・ラローチャ
リッカルド・シャイー指揮
ベルリン放送交響楽団
1983年録音
冒頭の独奏部からピアノは表現力に富んでいる。強弱の表現に細心の注意が払われているようだ。オーケストラの演奏はのびやかで、ティンパニの音もよく響いている。ただ、全音符や二分音符の響きが飽和していて、漫然としたものに感じられる。第2楽章から第3楽章に突入するところで、ピアノの愛らしい性格が豹変しないところは個人的に好きである。

ハンス・リヒター=ハーザー
イシュトヴァン・ケルテス指揮
フィルハーモニア管弦楽団
1960年録音
今となっては地味なイメージがあるリヒター=ハーザーだが、この演奏には大人の色気もあるし、包容力もあるし、華やかさもある。第1楽章の出来が傑出しており、とくにコーダは旋律の響かせ方がうまい。最も華麗で感動的なコーダの一つだ。そのピアニズムは時に眩いほど明瞭。それでいて音に芯が通っていて、堅固さと骨太さを感じさせる。ケルテスの指揮との相性も良い。名演。

アルトゥール・ルービンシュタイン
ヨーゼフ・クリップス指揮
シンフォニー・オブ・ジ・エア
1956年録音
第1楽章はところどころ美しいが、セッション録音なのによくこれでOKを出したなと言いたくなるくらい、ピアノとオケの間に細かいズレが少なからずある。オケは明らかにクリップスが繰り出すアゴーギクの意図を汲みきれていない。第2楽章は良い出来だが、後半でピアノが刻むリズムにはもう少し余裕があってほしいと思う。第3楽章は非常に爽快な名演。

アルトゥール・ルービンシュタイン
エーリヒ・ラインスドルフ指揮
ボストン交響楽団
1963年録音
華やかで明るいタイプの「皇帝」の王道。第1楽章呈示部のオケの演奏は爽快だが重みもあり、ラインスドルフらしい。ピアノも好調で、指揮者とも息が合っている。テンポや強弱のニュアンスなど、7年前より練られているのが分かる。第2楽章はしっとりした趣が足りないが、第3楽章はいかにも「ロンド」と呼ぶにふさわしい演奏で、ルービンシュタインのセンスがきらめいている。トリルがもう少し繊細なら言うことはない。

アルトゥール・ルービンシュタイン
ダニエル・バレンボイム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
1975年録音
88歳の大ベテランが聴かせる音楽はいかにも泰然としている。が、そのピアノの響きは枯れていない、むしろ潤っている。スケールの大きなゆったりとした流れは、作為から生まれたものではなく、老境にある演奏家の大器を示すものだ。ただ、指揮のバレンボイムがそのスケール感に対応しきれていない。

ラドゥ・ルプー
ズービン・メータ指揮
イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
1979年録音
ピアノは華麗で、力強い。ここぞという時に、左手の音を明瞭に浮き上がらせ、重たく響かせるのも特徴。こういう傾向の演奏だとピアノの音色が石のように硬くなるのが大半だが、ルプーの場合はそうならず、角張ったところもない。メータの指揮も威勢が良い。と同時にノリが軽い。オーケストラの強奏を浴びて一瞬スカッとするものの、その表層的な拍節感と深みのないアンサンブルには物足りなさを感じざるをえない。第2楽章も第3楽章もピアノの表現力は柔軟かつ絶妙。細かく表情を変えているにもかかわらず、わざとらしさがないし、繊細な弱音をこねくり回すこともない。ピアノの演奏だけ取り出すなら高得点だ。

ロバート・レヴィン
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
オルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティク
1995年録音
フォルテピアノによる演奏。両端楽章はきびきびしていて、特にオケは切れ味が鋭く、特筆するほど目新しい解釈はないが、快味がある。技術的な面での不満はない。気になるのは、フォルテピアノに対してオケが遠慮なく響き、音像のバランスが取れていないように感じられるところ。まあ、当然それも予め意図された対比であり、演奏効果なのだろう。第2楽章は速いが、ニュアンスに富んでいてなかなか美しい。

ペーター・レーゼル
クラウス・ペーター・フロール指揮
ベルリン交響楽団
1988年録音
気ままさを感じさせない誠実なピアノで、「皇帝」らしい風格に溢れている。音色は美しく、しっかりとした骨格がある。解釈も模範的。第3楽章の主要主題を提示する際、左手をやや強調して跳ねるように弾いているが、こういうところも「ロンド」らしくて好感が持てる。指揮者は、各パートの音をどこで目立たせるか、ツボを押さえている。ゴリゴリした質感が欲しいという人には物足りないかもしれないが、私の耳には合っている。弱音を奏でる際の弦の柔らかな響きなど、本当にふわっとしている。ピアノとオーケストラの音のバランスにも違和感がない。これくらい安心して聴ける演奏は意外と少ないのではないか。

マルグリット・ロン
シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団
1944年録音
第1楽章は快速テンポで、勢いがある。ロンは当時70歳手前だが衰えはあまり感じさせない。ミュンシュの指揮はなかなか刺激的で、弦の歌わせ方がとにかく冴えている。ただ、戦時中の楽器の事情や、良好とは言えない音質の影響もあるのだろうが、一部の管楽器の音が妙にひなびている。再現部でのトゥッティの強音もすっきりしない。第2楽章、第3楽章はやはり弦楽器が素晴らしい(個人的な好みで言うと、第2楽章の45小節からのピッツィカートは強すぎる)。第3楽章のピアノは、アゴーギクにクセがあって面白い。もっとも、快速で弾いたかと思えば、技巧的に苦しくなったりと、安定感はいまひとつだ。

アレクシス・ワイセンベルク
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1974年録音
第1楽章の呈示部からカラヤンお得意のレガートを味わえるが、いわゆる豪華絢爛なカラヤン・サウンドを炸裂させた演奏とは異なる。フォルテにも節度があり、あくまでもエモーショナルに美音を放つワイセンベルクのピアノを引き立てることを念頭に置いている。語り口のうまさで魅せる演奏と言ってもいいくらいだ。第2楽章は、実際の演奏時間よりも体感時間が長く感じられるが、それは奏者(木管)がカラヤンの求めるテンポと弱音に持ちこたえられなくなるギリギリの所にいるからだろう。第3楽章はやはり第1楽章と同じ傾向を持つ名演で、オーケストラはピアノ以上には咆哮しない。この時期のカラヤンの録音には、不自然なほどの覇気やこれみよがしの構築感で圧倒する「俺が主役」タイプの演奏が少なくないが、この「皇帝」では神経質になりすぎずに音楽を推進させるライヴ感(ライヴではないけど)と、不釣り合いになりがちなピアノとオケのバランスを大事にしているようだ。

アレクシス・ワイセンベルク
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1977年11月17日ライヴ録音
普門館で行われたコンサートの音源。演奏のアプローチはセッション録音と大きく変わるものではないが、それでもライヴならではの感興があり、あちこちで木管が美しく浮き上がっている。第1楽章再現部の導入なども実に華麗だ。第2楽章は汚れなき美と弱音の世界だが、木管のフレージングにもう少し息の長さがほしい。第3楽章はピアノのテンションが高く、ワイセンベルク独特のひんやりとした音色に熱気がプラスされている。威容も十分。それを指揮者とオーケストラがしっかりとサポートし、最後の7小節で存分にカラヤン・サウンドを鳴り響かせている。


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