音楽 CLASSIC

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 100選 その3

2017.12.17
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 100選 その3

アルトゥール・シュナーベル
アルチェオ・ガリエラ指揮
フィルハーモニア管弦楽団
1947年録音
歴史的名演は音質のハンデを超越すると言いたいところだが、何種類かあるシュナーベルの「皇帝」の音源は、この大家の音色の微妙なニュアンスを捉えきれていない。その中では戦後の録音が最もマシである。ガリエラの指揮は溌剌としていて、デュナーミクもしなやかだ。シュナーベルの音は陰翳があり、時に銀色の光を放ち軽やかに舞う。ステレオで聴けばより感動的だったろう。その表現は確信に満ちており、声高に主張するわけでもなく、目新しいこともしていないのに、少しのアクセントを付けるだけで圧倒的な存在感を放つ。いわゆる「枯れた味わい」などではない。類似する旋律の繰り返しにも意味深く変化をつけている。例えば、第1楽章再現部の394小節〜402小節のピアノの激しい動きは、それ以前の呈示部の136小節〜144小節と比べて、進境を示すものとして扱われているようだ。こういったタイプの演奏は意外と少ない。

ルドルフ・ゼルキン
ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
1941年録音
第1楽章の冒頭から、ライヴなのではないかと思えるほど熱気と躍動感にあふれている。ピアノもオケもテンションが高く、堂々と鳴り響き、旋律もよく歌っている。欲を言えば、第2楽章はもう少し静謐さが欲しいところだが、猛烈な集中力に貫かれた両端楽章とのバランスを考えると、これくらいがちょうどいいのかもしれない。とにかく理屈抜きでテンションを上げたい時にはお薦めだ。

ルドルフ・ゼルキン
ユージン・オーマンディ
フィラデルフィア管弦楽団
1950年録音
ゼルキンの華麗なる「皇帝」録音史の中では、過渡期の熱演といったところか。ゼルキンがワルターと組んだ9年前の録音よりは、弱音の細かな表現に神経が注がれているが、デュナーミクの起伏がスムーズに形成されていないようで、フレージングにもやや落ち着きのなさを感じる。そのせいか明確な演奏ビジョンが見えてこない。オーケストラの響きは引き締まっていて、骨格もしっかりしている。剛直なだけでなく、ニュアンスの付け方も上手い。1941年盤よりもスケール感は増しているが、ゼルキンの「皇帝」でこれをあえて一番に推す必要もないだろう。

ルドルフ・ゼルキン
レナード・バーンスタイン指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
1962年録音
第1楽章冒頭のトゥッティから派手やかである。オーケストラの響きは爽快感に溢れ、提示部は聴いているだけで胸が弾む。ただ、その無遠慮な賑やかさが徐々に煩わしくなり、再現部あたりからは辟易させられる。ゼルキンのピアノは概して軽やかだが、バーンスタインのペースにのみ込まれているわけではなく、細かいところでのアクセントの付け方に、えも言われぬセンスが光っている。個人的にはまったのは、ピアニッシモで奏でられる第2主題。高校時代にこれを聴いてゼルキンのファンになったことを思い出す。第2楽章は、はっきり言ってオーケストラが歌いすぎだが、その分、混じりけのないピアノの音色が美しく感じられる。最後の変奏になると、オーケストラがピアノに寄り添ってくるところも良い。そんなプロセスがあってのことなのか、第3楽章は会心の出来。第1楽章よりもピアノとオーケストラのテンションの釣り合いが取れていて、アンサンブルも引き締まっている。

ルドルフ・ゼルキン
ラファエル・クーベリック指揮
バイエルン放送交響楽団
1977年10月30日ライヴ録音
白熱した「皇帝」で、ソリストも指揮者もオーケストラも絶好調だ。両端楽章のゼルキンのピアノには圧倒的な熱気があり、速いパッセージにも閃光のような煌めきがある。慈しむように弾かれる緩徐楽章は、鳥肌が立つほど美しい。時間を忘れて聴き入ってしまう。技術的に進化していると言われる現代でも、70歳を超えてこんな「皇帝」を弾ける人はいないだろう。クーベリック指揮によるバイエルン放送響の演奏も芯から燃焼している。ちなみに、この指揮者とオケは、同じ年にクリフォード・カーゾンの「皇帝」の伴奏も務めている。そのどちらも超が付く名演というのは、ちょっとした快挙と言えるのではないか。

ルドルフ・ゼルキン
小澤征爾指揮
ボストン交響楽団
1981年録音
各年代に「皇帝」の録音を遺してきた巨匠が聴かせる円熟の演奏。小澤と組んだ協奏曲全集の中ではこれが一番出来が良い。40年前の録音と聴き比べても感慨深いものがある。テンポは落ち着いており、技巧的な凄みもないが、ピアノの音色はみずみずしくきらめいている。大家の腹芸ではなく、味わいやぬくもりがどうこうというのでもなく、表現することに対する若々しいまでの意思、意欲が感じられる。オケの響きは懐が深く、堂々としていて美しい。ソリストに対する敬意に満ちたサポートだ。その支えもあって、タメをきかせた第3楽章の演奏は(ピアノがややぎこちないけど)聴きごたえのあるものになっている。とはいえ、白眉はやはり第2楽章。ゼルキンが弾く主旋律の変奏はなぜこうも美しいのだろうか。60小節を過ぎたあたりになると、いつも楽しい時間の終わりが近づいているような寂しい気分に襲われる。

ソロモン
ヘルベルト・メンゲス指揮
フィルハーモニア管弦楽団
1955年録音
オーケストラの響きは明るいが、ピアノは落ち着いている。譜面上の指示を重んじ、艶と質量のある音色で丁寧に旋律を編んでいる印象だ。中庸的な演奏かというと、それだけで片付けられるものではない。第1楽章は、右手と左手の音の動きを追うだけでも、その強弱のバランス感覚が絶妙であることに唸らされる。そして第2楽章。ここではピアノが深淵な美しさに達している。それだけに、デリカシーの足りないバックの演奏がもう少し引っ込んでくれればと不満を漏らしたくなる。第3楽章も、前の2楽章に比べると少し調子を落としているが、名演には違いない。第1主題の弾き方は、いかにも颯爽としている。オーケストラの盛り上げ方も巧く、この楽章に関しては好感が持てる。ステレオ録音だったら、感動も倍加しただろう。

クリスティアン・ツィマーマン
レナード・バーンスタイン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1989年録音
第1楽章はピアノの輝ける音色、完璧な技巧に支えられた雄弁さに魅せられる。その万能ぶりに比べると、オーケストラの演奏はインパクトが弱く、面白味がない。さすがにウィーン・フィルなので(特に木管は)美しいが、ともするとさらさら流れ気味で、ティンパニの力で盛り上げようとしている所に強引さが感じられる。第2楽章はしっとりとした甘美な世界。強弱のニュアンスの付け方もこまやかだ。第3楽章のピアノの演奏にも隙がない。あるのは計算された響きのみ。バーンスタインの指揮は、やや手綱の引き方が緩い気もするが、ツィマーマンのピアニズムが窮屈にも聴こえかねないので、あえてぐいぐい締めていないのかもしれない。

ディーター・ツェヒリン
クルト・ザンデルリンク指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
1963年録音
第1楽章の呈示部でザンデルリンクがやや硬さのある弦をしなやかに歌わせようとしている。細かな綻びもあるが、生々しい艶と素朴な生命力に溢れたアンサンブルだ。ピアノは角のない美しい響きで、たおやかさを感じさせる。速いパッセージやトリルでの丸みのある粒の揃った音色も、さりげなく弾いてはいるが、魅力的だ。第2楽章は冒頭の弦の響きから引き込まれる。各パートの音色は、まるで天のやさしい光を受けているかのよう。これこそ祈りの音楽と呼ぶにふさわしい。第3楽章のピアノも激しく自己主張しない。むしろそのエレガントな立ち居振る舞いゆえ、自ずから存在感が出てくるといった具合である。ザンデルリンクの指揮(ホルンの響きを巧みに浮かせている)とも相性が良い。234小節からのトリルを経て第1主題を再現するピアノの全くわざとらしくならない語り口も素敵だ。

エリー・ナイ
カール・ベーム指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1944年録音
自分が感じるままに音を鳴らし演奏するその確固たる信念を眼前にすると、ややたどたどしいテクニックに一喜一憂する気にもなれなくなる。インパクトだけの演奏ではない。「私はこう弾く」というビジョンが伝わってきて、フレーズが焼け付くように耳から離れなくなるのだ。第2楽章は特に聴きもので、素朴な質感を持つ美しいトリルを経て主題の再現に移行する箇所は、神秘的な雰囲気が生まれている。第3楽章も細部の表現が意外と細かく、多彩な表情を持つ音楽になっている。無論、指揮を務めるベームの功績も見逃せない。随所で強調される艶やかな弦の音色も美しい。

中村紘子
オトマール・スウィトナー指揮
ロンドン交響楽団
1987年録音
オーケストラは第1楽章冒頭から柔らかい響きで、強圧的なところは少しもない。対するピアノは表現意欲に満ちていて、音色に芯があり、構成感もがっちりしている。そんなピアノが抑揚をつけて煽っても、バックは薄味のままだ。もう少し盛り上がっても......とは思うが、これがスウィトナーの美学なのだろう。第2楽章は中村の語り口のうまさが光っている。第3楽章でも中村がアゴーギクを駆使して表情豊かに聴かせているが、徐々にスウィトナーの指揮に寄り添い、落ち着いた表情になっていくようである。

ジーナ・バッカウアー
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮
ロンドン交響楽団
1962年録音
ピアノは粒の揃った音色で、流麗さにも力強さにも不足はない。コーダで速めのテンポを取って疾走するところも魅力的だ。オーケストラはきびきびしているが、ただ軽快なわけではなく、切れ味は鋭く、リズムの刻み方もしっかりしている。それが第1楽章でははまっているが、第2楽章ではやや乾いた響きになっている。第3楽章は大作の締めにふさわしい演奏。ピアノもオケもがっちりとした骨格を持っていて、しかも折り目正しい。弱音も大事にされていて、ピアノの音色がきらきらしている。

ヴィルヘルム・バックハウス
クレメンス・クラウス指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1953年録音
技巧的な箇所にも、覇気のあるフォルテにも、どこか大人の品格と余裕を感じさせるピアノだ。伴奏は、クレメンス・クラウス指揮のウィーン・フィル。昔のデッカで録音されたウィーン・フィルの音は、ピッツィカート一つとっても味わいがある(例えば第1楽章の217小節〜)。第2楽章は冒頭の弦の響きに宗教的な美しさが漂っており、途中で出てくる木管も魅力的だが、少し間の取り方が速い。第3楽章はもっと高揚感がほしいが、これはこれで完成された世界観ではある。

ヴィルヘルム・バックハウス
ゲオルグ・ショルティ指揮
ケルン放送交響楽団
1956年6月25日ライヴ録音
ピアノの音に何とも言えない深みがある。技巧も安定している。オーケストラの演奏は生真面目というか堅く、響き自体にも柔らかみがない。指揮者の融通の利かなさは、第1楽章の479小節から485小節までピアノが遅れているのに、オーケストラが全く合わせられていないところにも表れている。強調される木管の音も妙に筋張っていて美しくない。第2楽章の木管のアンサンブルにも趣がない。ソリストは指揮者にもどかしさを感じているのか、タッチはやや強めだ。ただし最後の変奏部分はフルートが健闘している。第3楽章のピアノは雄々しく、また、風格もあって素晴らしい。指揮者とオーケストラの呼吸は微妙に合っていない。

ヴィルヘルム・バックハウス
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1959年録音
ほかのピアニストの個性的な演奏、重量級の演奏を聴いた後だとあっさりした印象があるが、注意深く耳を傾けると、少しの無理もないフレージングの説得力に感服させられる。ピアノの音色も高潔で品があり、強面では全然ないが、辺りを払うかのよう。シュミット=イッセルシュテット&ウィーン・フィルの颯爽たる演奏も含めて、ここには足すべきものも引くべきものもない。

ヴィルヘルム・バックハウス
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
バイエルン国立管弦楽団
1959年12月14日ライヴ録音
第1楽章冒頭から早速ソリストと指揮者の呼吸が合わず、ほぼ壊滅しているが、呈示部の61小節あたりから管弦楽が調子を取り戻し、割合テンポよく進んでいる。一方の怒れる鍵盤の獅子王は、指揮者に対して「俺のピアノを聴け」とテンション高めの熱いタッチでピアノを響かせている。言ってしまえば2人の「皇帝」による一種の喧嘩だが、両者の力が拮抗していて、弱い者いじめ的な陰湿さや険悪さはない。この2人の場合は平常運転の範囲なのだろう。1962年のウィーン芸術週間で第4番を演奏した際も、指揮者はソリストに合わせる気がなく、それぞれ我が道を行く感じで、その映像を観たときは笑いと感動が同時に起こったものだ。

ヴィルヘルム・バックハウス
カール・シューリヒト指揮
スイス・イタリア語放送管弦楽団
1961年4月27日ライヴ録音
シューリヒトのサポートを得て興に乗った77歳のバックハウスの奮迅ぶりが凄まじい。「鍵盤の獅子王」らしい豪快な演奏だ。ただ激しいだけでなく、旋律を即興的に冴えわたらせる鮮烈な閃きと、それでも揺らぐことのない巨大な音楽の流れが感じられる点も、高く評価すべきだろう。

ヤン・パネンカ
ヴァーツラフ・スメターチェク指揮
プラハ交響楽団
1969年録音
ピアノの音はクリアーで硬質だが、時折はじき出されるように閃く高音がみずみずしい。強弱の表現も過剰にならず適切。オーケストラの演奏は爽快だが、決して力技にはならない。フレージングに独特の柔らかみがあり、旋律がソフトに移り変わっていく印象だ。金管を始め、各パートに見せ場があり、それまで見えていなかった所に珍しい花が咲いているのを発見するような喜びを感じさせる。ただし第2楽章は、録音の影響もあってか、弱音のニュアンスに乏しい。

ダニエル・バレンボイム
オットー・クレンペラー指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
1967年録音
第1楽章では、クレンペラーの指揮により巨大な音楽が構築されているが、弦や木管の響きには清澄な美しさもあり、重厚なだけの演奏になっていない。ソリストとの向き合い方にしても、威厳をもって大きく包み込もうとする父性愛的なものが感じられる。その圧倒的なテンポの遅さとスケール感を、バレンボイムは我が物にしているように見せているが、細部にほころびが出て、音が粗くなったりフレージングが不自然になったりしている(展開部の導入は魅力的だが)。第2楽章は、木管の素朴な音色を浮き上がらせているところがクレンペラーらしい。最後の変奏では、その木管をピアノの方が几帳面にサポートしているように聴こえる。第3楽章は、冒頭からピアノに覇気があり、闊達さもあり、父のもとを去る子のように気を吐いている。

エドウィン・フィッシャー
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
フィルハーモニア管弦楽団
1951年録音
「皇帝」の人気ランキングを行えばトップ5に入るであろう名演。かつて吉田秀和はフルトヴェングラーについての論考の中で、「私に、もう一つ羞恥心が欠けていたら、私は、『これこそまさに、あらゆる『第五ピアノ協奏曲』のレコードの中の《皇帝》である!」とでも書いただろう」と賛辞を寄せていた。第1楽章は素晴らしい。(イギリスのオケだが)ドイツのオケのように威容のある響きで、弦に厚みがあり、それでいて、高みに飛翔してゆくような高揚感もある。フィッシャーのピアノも生き生きしていて、速いフレーズでの強弱の表現、アクセントの付け方もうまい。オケとの勝負は互角といったところ。そんな両者の掛け合いが絶妙なため、実際にかかっている演奏時間よりも短く感じられる。第2楽章のテンポは速めだが、夢幻的で美しい。第3楽章は相変わらずオケが格調高く、とりわけ262小節で再現される第1主題は感動的に鳴り響いている。ピアノの方は技術的に危うく、他楽章に比べると弱い。

レオン・フライシャー
ジョージ・セル指揮
クリーヴランド管弦楽団
1961年録音
オーケストラのアンサンブルは精緻で、その響きには活気と峻厳さが感じられる。セルは金管を威嚇的に響かせる時、かなり音を引き締め、表層的な音響にならないよう配慮している。シュナーベルの弟子であるフライシャーの演奏は、造型感がしっかりしている。第2楽章は後半に進むにつれてオーケストラとピアノの肌合いがしっとりと馴染んでくるようだが、それでもオケの繊細さの方がまさっているように聴こえる。それよりも第3楽章の主題をピアニッシモで予告する80小節から82小節の、何かが起こりそうな厳かな空気が素晴らしい。第3楽章も後半になるにつれてピアノの調子が上がってくる。全体的に、ピアノのトリルがあまり美しくないのが気になる。

ネルソン・フレイレ
リッカルド・シャイー指揮
ゲヴァントハウス管弦楽団
2014年録音
両端楽章はしなやかな美しさで魅せる快演。オーケストラのアンサンブルはバランスが良く、透明感もある。ヴァイオリンのトレモロも、低弦の響きも、ティンパニの打音も、木管の柔らかなフレーズもきれいに透けて見えるようだ。音楽の流れはスムーズで軽やか。ピアノは清潔な音色で、技巧も安定していて、強弱の表現にも耳に引っかかるような角がない。こういうタイプの演奏の成り行きとして、緩徐楽章が絶品になるはずなのだが、何もかもがソフトなせいか、心に残るものはほとんどない。

アルフレート・ブレンデル
ベルナルト・ハイティンク指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
1976年録音
ブレンデルの評価を高めた協奏曲全集の録音。軽やかさや流麗さを求める人には向かないが、聴きごたえはある。第1楽章冒頭から、ピアノの演奏は力強さと慎重さを兼備している。音も小粒のようで重みがある。ハイティンクの指揮については、そこまでブレンデルと呼吸が合っているとは思えない。フレージングの細部にも神経が行き届いていない。それでも木管の歌わせ方はうまく、強奏の響きにも威風がある。第2楽章はピアノの音が立ちすぎているせいか、幻想的な味わいが足りない。第3楽章のピアノは勢いも覇気もあるが、強弱の変化の付け方は凝っている。371小節からの左手の表現も印象的。この楽章はソリスト、指揮者、オーケストラとの意思疎通がうまくいっているようだ。

アルフレート・ブレンデル
ジェイムズ・レヴァイン指揮
シカゴ交響楽団
1983年6月ライヴ録音
第1楽章のピアノは、テンポも強弱の表現も含めて、「スタンダード」と言えそうな演奏。オーケストラの方もバランス重視。アンサンブルの均衡がとれていて、いかにもサポートに徹している印象だ。聴きどころは、コーダに入ってから、ピアノが505小節からのトリルを経て、弱音で奏でられる第2主題か。再現部までの流れと比べると、ここはやや極端に思えるほどデリケートな響きだ。第2楽章はオーケストラの音がいかにも優しく、もう少し手ごたえが欲しいところ。第3楽章はいかにも颯爽たるロンドといった趣。ソリストと指揮者の息も合っているが、やや小さくまとまっている。また、第1楽章に比べると、ピアノのタッチはやや安定感を欠いている。

アルフレート・ブレンデル
サー・サイモン・ラトル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1998年録音
ブレンデルのピアノは、重くならず、くどくならず、聴きやすい。ほかのピアニストと比べて特別気迫がこもっている感じではないが、それが第3楽章では吉と出て、愛らしいと言いたくなるような余裕のある音楽が奏でられている。老匠の懐の深さといったところか。ウィーン・フィルの弦が品よく歌っている。第1楽章の158小節、416小節からのチェロの響きも艶やかだ。


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