ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
2017.12.05
「皇帝」と呼ばれる協奏曲
ベートーヴェンが完成させた最後の協奏曲である。作曲年は1809年。いわゆる「傑作の森」の時期に書かれた大作で、「皇帝」の異名にふさわしいスケールと風格を備えているが、これは作曲家自身による命名ではなく、出版人のJ.B.クラマーによるものである。作品はルドルフ大公に献呈された。
1809年といえば、ウィーンがフランス軍に占領されていた年であり、貴族たちが疎開していたため、ベートーヴェンは財政的な援助を受けられず不便な生活をしていたらしい。そんな状態の中、彼の創作意欲は協奏曲の分野において最後の高まりをみせていたのである。一応付言しておくと、ここから亡くなるまでの18年間、協奏曲の創作を考えていなかったわけではなく、1814年頃には新作のピアノ協奏曲を書き始めているが、未完に終わってしまった。
第一楽章はアレグロ。トゥッティで始まり、独奏ピアノによる分散和音が華麗に波打つ。テレビなどでもよく使われる有名な箇所だ。冒頭にピアノ独奏を配する構成を採用したのはベートーヴェンが最初ではないが、発展させたのは間違いなくベートーヴェンである。その独奏が終わると、オーケストラによって第一主題が雄々しく提示される。第二主題はまずヴァイオリンのスタッカートで提示されるが、これは後に様々な性格を示す主題で、151小節、409小節、509小節ではピアノによって弱音で演奏され、深い印象を残す。冒頭の10小節が全てを象徴しているように雄大な楽章で、展開部の終盤から再現部にかけての盛り上がり方もドラマティックだが、同時に静寂も重んじられているのである。この作品の主役とも言えそうな第一主題をピアノが明確に奏でるのが、オーケストラの提示部が終わった後の一度だけという構成も面白い。
第二楽章はアダージョ・ウン・ポコ・モッソ。ベートーヴェンが書くアダージョの大半は魅力的だが、これも美しく穏やかな音楽である。自由な変奏形式をとっており、冒頭でヴァイオリンが奏でた主題が、後にピアノ、木管によって変奏される。変奏部分のピアノは言語を絶する素晴らしさ。木管との掛け合いも、聴き手を陶然とした心持ちにさせる。それ以外で私が重視するのは、一箇所だけあるフォルテの強さと、変奏部に入る前に奏でられる長めのトリル。ここが強すぎたり、トリルが雑だったりすると、夢からさめてしまう。
切れ目なく始まる第三楽章はロンド、アレグロ。まず力強く主要主題が提示される。提示部、展開部、再現部、終結部に分けられるのでソナタ形式の枠内に入るが、各部に主要主題を配することでロンド形式風にもみせている。402小節からピアノとティンパニの経過句に入った後、アダージョからピウ・アレグロに切り替わり、主要主題の動機をもって締めくくる箇所も、当時は革新的だったろう。
この楽章は技巧的に難しいところが少なくない。個人的には、コンサートで聴くと、第一楽章と第二楽章は完璧でも、第三楽章でミスが多くなる、という印象を抱いている。それまでに散々エネルギーを使い、その後に弾くわけだし、強弱の差が激しく、弱音もうまく操らなければいけないのだから、無理もない。また、この楽章になると、演奏家の個性が露骨に出る、という印象もある。弾く人の技巧や解釈で聴こえ方が極端に変わるのだ。
規格外の大作ではあるが、作曲者の意向が支配的で、独奏者の裁量に任される部分は案外少ない。第三者の書いたカデンツァが入り込む余地もない。ただ、第一楽章冒頭の派手なピアノ独奏部のインパクトが強く、これがいわばカデンツァ的な役割を果たしているので、自由度の高いカデンツァがないからといって、違和感を覚える人はいないだろう。
最初に聴くと、第一楽章が壮大なので、後の二楽章の規模が小さく感じられるかもしれないが、単純に演奏時間で言うなら、第一楽章にかかる時間と、第二楽章〜第三楽章にかかる時間は、どちらもおよそ20分弱(演奏による)。小節数も第一楽章が582小節、後の二楽章を足したものが513小節で、そこまで大きな差があるわけではない。内容的にも、後の二楽章は聴けば聴くほど深く、第一楽章にひけを取るものでは全くない。
音源は、ライブ音源を含めると数え切れないほどある。私自身が聴いたのは全部でおそらく150種類くらいだが、それでもまだ先が見えない。かつては、ヴィルヘルム・バックハウス、ヴィルヘルム・ケンプ、ワルター・ギーゼキング、ルドルフ・ゼルキン、クラウディオ・アラウ、エミール・ギレリス、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの7人の音源があれば十分だと思ったこともあるのだが、それでも気分によって好きな演奏は変わるし、聴いたことのない音源があると食指が動く。そして、たまに凄い演奏と出会う。やはり聴いてみないことにはわからない。というわけで、理想の「皇帝」を求める旅は続きそうである。
ここからは、100種類の音源を聴き比べである。私個人の好みをあらわにした評であり、定評になるべく惑わされないように書いたつもりだ。こんなことをしたくなるのも、「皇帝」だからこそ。なお、掲載順はソリストのラストネームの五十音順である。
【関連サイト】
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 100選 その1
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 100選 その2
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 100選 その3
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 100選 その4
ベートーヴェンが完成させた最後の協奏曲である。作曲年は1809年。いわゆる「傑作の森」の時期に書かれた大作で、「皇帝」の異名にふさわしいスケールと風格を備えているが、これは作曲家自身による命名ではなく、出版人のJ.B.クラマーによるものである。作品はルドルフ大公に献呈された。
1809年といえば、ウィーンがフランス軍に占領されていた年であり、貴族たちが疎開していたため、ベートーヴェンは財政的な援助を受けられず不便な生活をしていたらしい。そんな状態の中、彼の創作意欲は協奏曲の分野において最後の高まりをみせていたのである。一応付言しておくと、ここから亡くなるまでの18年間、協奏曲の創作を考えていなかったわけではなく、1814年頃には新作のピアノ協奏曲を書き始めているが、未完に終わってしまった。
第一楽章はアレグロ。トゥッティで始まり、独奏ピアノによる分散和音が華麗に波打つ。テレビなどでもよく使われる有名な箇所だ。冒頭にピアノ独奏を配する構成を採用したのはベートーヴェンが最初ではないが、発展させたのは間違いなくベートーヴェンである。その独奏が終わると、オーケストラによって第一主題が雄々しく提示される。第二主題はまずヴァイオリンのスタッカートで提示されるが、これは後に様々な性格を示す主題で、151小節、409小節、509小節ではピアノによって弱音で演奏され、深い印象を残す。冒頭の10小節が全てを象徴しているように雄大な楽章で、展開部の終盤から再現部にかけての盛り上がり方もドラマティックだが、同時に静寂も重んじられているのである。この作品の主役とも言えそうな第一主題をピアノが明確に奏でるのが、オーケストラの提示部が終わった後の一度だけという構成も面白い。
第二楽章はアダージョ・ウン・ポコ・モッソ。ベートーヴェンが書くアダージョの大半は魅力的だが、これも美しく穏やかな音楽である。自由な変奏形式をとっており、冒頭でヴァイオリンが奏でた主題が、後にピアノ、木管によって変奏される。変奏部分のピアノは言語を絶する素晴らしさ。木管との掛け合いも、聴き手を陶然とした心持ちにさせる。それ以外で私が重視するのは、一箇所だけあるフォルテの強さと、変奏部に入る前に奏でられる長めのトリル。ここが強すぎたり、トリルが雑だったりすると、夢からさめてしまう。
切れ目なく始まる第三楽章はロンド、アレグロ。まず力強く主要主題が提示される。提示部、展開部、再現部、終結部に分けられるのでソナタ形式の枠内に入るが、各部に主要主題を配することでロンド形式風にもみせている。402小節からピアノとティンパニの経過句に入った後、アダージョからピウ・アレグロに切り替わり、主要主題の動機をもって締めくくる箇所も、当時は革新的だったろう。
この楽章は技巧的に難しいところが少なくない。個人的には、コンサートで聴くと、第一楽章と第二楽章は完璧でも、第三楽章でミスが多くなる、という印象を抱いている。それまでに散々エネルギーを使い、その後に弾くわけだし、強弱の差が激しく、弱音もうまく操らなければいけないのだから、無理もない。また、この楽章になると、演奏家の個性が露骨に出る、という印象もある。弾く人の技巧や解釈で聴こえ方が極端に変わるのだ。
規格外の大作ではあるが、作曲者の意向が支配的で、独奏者の裁量に任される部分は案外少ない。第三者の書いたカデンツァが入り込む余地もない。ただ、第一楽章冒頭の派手なピアノ独奏部のインパクトが強く、これがいわばカデンツァ的な役割を果たしているので、自由度の高いカデンツァがないからといって、違和感を覚える人はいないだろう。
最初に聴くと、第一楽章が壮大なので、後の二楽章の規模が小さく感じられるかもしれないが、単純に演奏時間で言うなら、第一楽章にかかる時間と、第二楽章〜第三楽章にかかる時間は、どちらもおよそ20分弱(演奏による)。小節数も第一楽章が582小節、後の二楽章を足したものが513小節で、そこまで大きな差があるわけではない。内容的にも、後の二楽章は聴けば聴くほど深く、第一楽章にひけを取るものでは全くない。
音源は、ライブ音源を含めると数え切れないほどある。私自身が聴いたのは全部でおそらく150種類くらいだが、それでもまだ先が見えない。かつては、ヴィルヘルム・バックハウス、ヴィルヘルム・ケンプ、ワルター・ギーゼキング、ルドルフ・ゼルキン、クラウディオ・アラウ、エミール・ギレリス、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの7人の音源があれば十分だと思ったこともあるのだが、それでも気分によって好きな演奏は変わるし、聴いたことのない音源があると食指が動く。そして、たまに凄い演奏と出会う。やはり聴いてみないことにはわからない。というわけで、理想の「皇帝」を求める旅は続きそうである。
ここからは、100種類の音源を聴き比べである。私個人の好みをあらわにした評であり、定評になるべく惑わされないように書いたつもりだ。こんなことをしたくなるのも、「皇帝」だからこそ。なお、掲載順はソリストのラストネームの五十音順である。
【関連サイト】
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 100選 その1
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 100選 その2
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 100選 その3
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 100選 その4
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
[1770.12.16頃-1827.3.26]
ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調「皇帝」 作品73
(掲載ジャケット:上から)
クラウディオ・アラウ(p)
サー・コリン・デイヴィス指揮
シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1984年
ワルター・ギーゼキング(p)
アルトゥール・ローター指揮
ベルリン放送管弦楽団
録音:1944年
エミール・ギレリス(p)
ジョージ・セル指揮
クリーヴランド管弦楽団
録音:1968年
ルドルフ・ゼルキン(p)
ラファエル・クーベリック指揮
バイエルン放送交響楽団
録音:1977年10月30日(ライヴ)
ヴィルヘルム・バックハウス(p)
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1959年
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(p)
セルジウ・チェリビダッケ指揮
スウェーデン放送交響楽団
録音:1969年5月20日(ライヴ)
ベンノ・モイセイヴィチ(p)
ジョージ・セル指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1938年
ハンス・リヒター=ハーザー(p)
イシュトヴァン・ケルテス指揮
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年
[1770.12.16頃-1827.3.26]
ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調「皇帝」 作品73
(掲載ジャケット:上から)
クラウディオ・アラウ(p)
サー・コリン・デイヴィス指揮
シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1984年
ワルター・ギーゼキング(p)
アルトゥール・ローター指揮
ベルリン放送管弦楽団
録音:1944年
エミール・ギレリス(p)
ジョージ・セル指揮
クリーヴランド管弦楽団
録音:1968年
ルドルフ・ゼルキン(p)
ラファエル・クーベリック指揮
バイエルン放送交響楽団
録音:1977年10月30日(ライヴ)
ヴィルヘルム・バックハウス(p)
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1959年
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(p)
セルジウ・チェリビダッケ指揮
スウェーデン放送交響楽団
録音:1969年5月20日(ライヴ)
ベンノ・モイセイヴィチ(p)
ジョージ・セル指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1938年
ハンス・リヒター=ハーザー(p)
イシュトヴァン・ケルテス指揮
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年
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