モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ第28番
2011.09.19
モーツァルトの私小説
作曲家の人生に起こった出来事と結びつけて作品を論じようとするのは、必ずしも有効な方法とは言えない。「この人は当時こういう生活をしていたからこういう作品を書いた」という説明がしっくりくる作品もたしかにあるが、実人生とは連結し得ない純粋にイマジネイティヴな作品、天啓のようなインスピレーションから生まれた作品も無数にあるのだ。とくに、モーツァルトのような作曲家についてはそれが言える。悲しい境遇にあっても天使のいたずらのように愛らしくて楽しい音楽が書けてしまう彼の才能は、現実の出来事に蝕まれることなく、実人生からほとんど乖離した状態にある。
しかし、そんな彼にも真情をそのまま吐露したような、私小説的な作品がある。それがヴァイオリン・ソナタ第28番ホ短調だ。「短調のモーツァルト」で有名なのは交響曲第40番、ピアノ協奏曲第20番、そして「疾走する悲しみ」で知られる弦楽五重奏曲第4番あたりだろう。ただ、これらの作品には「悲しみ」だけでなく、その悲しみを打ち破ろうとする強い感情ーー怒りや焦燥感もうねっており、それが劇的な表現を生んでいる。ところが、ヴァイオリン・ソナタ第28番はひたすら物悲しく、グルーミーである。モーツァルトの作品には必ずと言っていいほど見られる、暗さから這い上がろうとする防衛本能の力も非常に弱い。
曲が完成したのは1778年夏。当時のモーツァルトは仕事の面でも精神の面でも危機的状態にあった。ここではその前後の出来事を辿ってみたい。
1777年9月、ザルツブルクでの息が詰まるような宮仕えから逃れた21歳のモーツァルトは、母アンナ・マリアと共に新天地を求めて旅立った。ミュンヘン、アウクスブルクを経てマンハイムにやってきたモーツァルトは、そこでヴェーバー一家と出会い、次女アロイジアに恋をする。
「もう書いたかどうか覚えていませんが、その人には、非常に歌が上手で、美しく澄んだ声を持つ娘さんがいます。演技力が不足していますが、それさえあればどんな劇場でもプリマ・ドンナになれるでしょう」(1778年1月17日)
ザルツブルクにいる父、レオポルド宛の手紙である。アロイジア・ヴェーバーは当時17歳。バス歌手で、内職で写譜師の仕事もしていたフランツ・フリードリン・ヴェーバーの娘である。後年『魔弾の射手』を書いたカール・マリア・フォン・ヴェーバーはアロイジアのいとこにあたる。モーツァルトは彼女のために歌の指導をし、有力者に紹介しようと骨を折り、自作の美しいアリアまで捧げた。さらに彼の気持ちは高揚し、こんな手紙を送って父レオポルドを仰天させている。
「僕はこのかわいそうな家族のことが大好きで、彼らを幸せにすることしか考えていません。そして僕にはたぶんそれが出来るでしょう。思うに、彼らはイタリアへ行けばいいのです。......僕たちがイタリアへ行けるように出来るだけのことをして下さい」(1778年2月4日)
自身の就職活動はうまくいかず、先の見通しも全然立っていなかったが、それでもモーツァルトはアロイジアと幸せになることを夢見ていた。しかし、息子の身を案じたレオポルドはこう命じる。「パリへ発ちなさい! 今すぐに」ーー父親の心配ももっともである。モーツァルトには職がなく、お金もなく、非力で、無名だった。まずは名をあげなければならない。
1778年3月、モーツァルト母子はパリに到着した。しかし周囲の反応は冷たかった。神童時代の名声は忘れ去られ、モーツァルトは「過去の人」になっていたのだ。自分を売り込むのが下手なモーツァルトについて、グリム男爵はレオポルドにこう書き送っている。「ご子息はあまりに人を信じやすく、積極性に欠け、だまされやすく、立身出世に通じる方策に無関心です。......才能は今の半分で結構なので、倍の世渡りのうまさを望みたいところです」
ピアノや作曲のレッスンをすることで小金を稼いでいたモーツァルトは、コンセール・スピリチュエルの音楽監督ジョゼフ・ルグロに依頼され、交響曲第31番「パリ」を書き、成功を収める。しかし、その喜びも束の間、母アンナ・マリアが体調を崩して寝込み、7月にパリの下宿先で世を去る。
9月、パリを出たモーツァルトはストラスブールを経てマンハイムへ戻る。アロイジアはミュンヘンの劇場に雇われていたためいなかった。ミュンヘンに向かったモーツァルトはアロイジアと再会。愛の確認の場となるはずだったが、そうはならなかった。彼女は歌手として出世することを望み、一介の音楽家と結婚する気はない、と言い放ったという。失意のモーツァルトはレオポルドに帰郷を迫られるまま、ザルツブルクに戻った。
後年、ウィーンに出てからのモーツァルトは、なんだかんだ言っても名声を得ることが出来たし、(出費はひどかったにせよ)収入面でも恵まれていた。しかし、このマンハイム〜パリ時代は、将来への不安、無名であることのふがいなさ、無力感、失恋、母の死など、外的要因と内的要因が重なり、暗黒時代と呼んでもいいほど低調だった。ヴァイオリン・ソナタ第28番には、そんな彼の弱音がポーズとしてではなく、聴き手まで無力にさせるほど率直に表れている。ここには天使の微笑みもなく、デーモンの激越な感情も出てこない。ただ出口の見えない思い出の中をいつまでも低徊しているような無力感に浸っている。あるのは仄暗い諦めのみ。ひょっとすると、これはモーツァルトが書いた最も悲しい曲ではないだろうか。
私は一枚のレコードがきっかけでこの作品に夢中になった。ナップ・デ・クラインとアリス・ヘクシュ夫妻による1951年の録音である。2人が紡ぎ出すややセピアがかった音色が曲調にぴったり合っている。とくにヘクシュが奏でるフォルテピアノの音は、「モーツァルトの涙」と形容したくなるほど悲しく美しい。何度聴いても惻々と胸に迫る名演奏である。ほかには、艶やかなポルタメントが印象的なバリリ&バドゥラ=スコダ盤、あえて暗さや重さを退け、感情過多な停滞感を回避したグリュミオー&ハスキル盤などが名高い。
【関連サイト】
モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ(CD)
作曲家の人生に起こった出来事と結びつけて作品を論じようとするのは、必ずしも有効な方法とは言えない。「この人は当時こういう生活をしていたからこういう作品を書いた」という説明がしっくりくる作品もたしかにあるが、実人生とは連結し得ない純粋にイマジネイティヴな作品、天啓のようなインスピレーションから生まれた作品も無数にあるのだ。とくに、モーツァルトのような作曲家についてはそれが言える。悲しい境遇にあっても天使のいたずらのように愛らしくて楽しい音楽が書けてしまう彼の才能は、現実の出来事に蝕まれることなく、実人生からほとんど乖離した状態にある。
しかし、そんな彼にも真情をそのまま吐露したような、私小説的な作品がある。それがヴァイオリン・ソナタ第28番ホ短調だ。「短調のモーツァルト」で有名なのは交響曲第40番、ピアノ協奏曲第20番、そして「疾走する悲しみ」で知られる弦楽五重奏曲第4番あたりだろう。ただ、これらの作品には「悲しみ」だけでなく、その悲しみを打ち破ろうとする強い感情ーー怒りや焦燥感もうねっており、それが劇的な表現を生んでいる。ところが、ヴァイオリン・ソナタ第28番はひたすら物悲しく、グルーミーである。モーツァルトの作品には必ずと言っていいほど見られる、暗さから這い上がろうとする防衛本能の力も非常に弱い。
曲が完成したのは1778年夏。当時のモーツァルトは仕事の面でも精神の面でも危機的状態にあった。ここではその前後の出来事を辿ってみたい。
1777年9月、ザルツブルクでの息が詰まるような宮仕えから逃れた21歳のモーツァルトは、母アンナ・マリアと共に新天地を求めて旅立った。ミュンヘン、アウクスブルクを経てマンハイムにやってきたモーツァルトは、そこでヴェーバー一家と出会い、次女アロイジアに恋をする。
「もう書いたかどうか覚えていませんが、その人には、非常に歌が上手で、美しく澄んだ声を持つ娘さんがいます。演技力が不足していますが、それさえあればどんな劇場でもプリマ・ドンナになれるでしょう」(1778年1月17日)
ザルツブルクにいる父、レオポルド宛の手紙である。アロイジア・ヴェーバーは当時17歳。バス歌手で、内職で写譜師の仕事もしていたフランツ・フリードリン・ヴェーバーの娘である。後年『魔弾の射手』を書いたカール・マリア・フォン・ヴェーバーはアロイジアのいとこにあたる。モーツァルトは彼女のために歌の指導をし、有力者に紹介しようと骨を折り、自作の美しいアリアまで捧げた。さらに彼の気持ちは高揚し、こんな手紙を送って父レオポルドを仰天させている。
「僕はこのかわいそうな家族のことが大好きで、彼らを幸せにすることしか考えていません。そして僕にはたぶんそれが出来るでしょう。思うに、彼らはイタリアへ行けばいいのです。......僕たちがイタリアへ行けるように出来るだけのことをして下さい」(1778年2月4日)
自身の就職活動はうまくいかず、先の見通しも全然立っていなかったが、それでもモーツァルトはアロイジアと幸せになることを夢見ていた。しかし、息子の身を案じたレオポルドはこう命じる。「パリへ発ちなさい! 今すぐに」ーー父親の心配ももっともである。モーツァルトには職がなく、お金もなく、非力で、無名だった。まずは名をあげなければならない。
1778年3月、モーツァルト母子はパリに到着した。しかし周囲の反応は冷たかった。神童時代の名声は忘れ去られ、モーツァルトは「過去の人」になっていたのだ。自分を売り込むのが下手なモーツァルトについて、グリム男爵はレオポルドにこう書き送っている。「ご子息はあまりに人を信じやすく、積極性に欠け、だまされやすく、立身出世に通じる方策に無関心です。......才能は今の半分で結構なので、倍の世渡りのうまさを望みたいところです」
ピアノや作曲のレッスンをすることで小金を稼いでいたモーツァルトは、コンセール・スピリチュエルの音楽監督ジョゼフ・ルグロに依頼され、交響曲第31番「パリ」を書き、成功を収める。しかし、その喜びも束の間、母アンナ・マリアが体調を崩して寝込み、7月にパリの下宿先で世を去る。
9月、パリを出たモーツァルトはストラスブールを経てマンハイムへ戻る。アロイジアはミュンヘンの劇場に雇われていたためいなかった。ミュンヘンに向かったモーツァルトはアロイジアと再会。愛の確認の場となるはずだったが、そうはならなかった。彼女は歌手として出世することを望み、一介の音楽家と結婚する気はない、と言い放ったという。失意のモーツァルトはレオポルドに帰郷を迫られるまま、ザルツブルクに戻った。
後年、ウィーンに出てからのモーツァルトは、なんだかんだ言っても名声を得ることが出来たし、(出費はひどかったにせよ)収入面でも恵まれていた。しかし、このマンハイム〜パリ時代は、将来への不安、無名であることのふがいなさ、無力感、失恋、母の死など、外的要因と内的要因が重なり、暗黒時代と呼んでもいいほど低調だった。ヴァイオリン・ソナタ第28番には、そんな彼の弱音がポーズとしてではなく、聴き手まで無力にさせるほど率直に表れている。ここには天使の微笑みもなく、デーモンの激越な感情も出てこない。ただ出口の見えない思い出の中をいつまでも低徊しているような無力感に浸っている。あるのは仄暗い諦めのみ。ひょっとすると、これはモーツァルトが書いた最も悲しい曲ではないだろうか。
私は一枚のレコードがきっかけでこの作品に夢中になった。ナップ・デ・クラインとアリス・ヘクシュ夫妻による1951年の録音である。2人が紡ぎ出すややセピアがかった音色が曲調にぴったり合っている。とくにヘクシュが奏でるフォルテピアノの音は、「モーツァルトの涙」と形容したくなるほど悲しく美しい。何度聴いても惻々と胸に迫る名演奏である。ほかには、艶やかなポルタメントが印象的なバリリ&バドゥラ=スコダ盤、あえて暗さや重さを退け、感情過多な停滞感を回避したグリュミオー&ハスキル盤などが名高い。
(阿部十三)
【関連サイト】
モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ(CD)
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
[1756.1.27-1791.12.5]
ヴァイオリン・ソナタ第28番ホ短調 K.304
【お薦めディスク】(掲載CDジャケット:上から)
ナップ・デ・クライン(vn)
アリス・ヘクシュ(p)
録音:1951年
アルテュール・グリュミオー(vn)
クララ・ハスキル(p)
録音:1958年
[1756.1.27-1791.12.5]
ヴァイオリン・ソナタ第28番ホ短調 K.304
【お薦めディスク】(掲載CDジャケット:上から)
ナップ・デ・クライン(vn)
アリス・ヘクシュ(p)
録音:1951年
アルテュール・グリュミオー(vn)
クララ・ハスキル(p)
録音:1958年
月別インデックス
- October 2024 [1]
- September 2024 [1]
- August 2024 [1]
- July 2024 [1]
- May 2024 [1]
- April 2024 [1]
- March 2024 [1]
- January 2024 [1]
- December 2023 [1]
- November 2023 [1]
- October 2023 [1]
- September 2023 [1]
- July 2023 [1]
- June 2023 [1]
- May 2023 [1]
- March 2023 [1]
- January 2023 [1]
- December 2022 [1]
- October 2022 [1]
- September 2022 [1]
- August 2022 [1]
- July 2022 [1]
- May 2022 [1]
- March 2022 [1]
- February 2022 [1]
- December 2021 [1]
- November 2021 [1]
- October 2021 [1]
- September 2021 [1]
- July 2021 [1]
- June 2021 [1]
- May 2021 [1]
- March 2021 [1]
- February 2021 [1]
- December 2020 [1]
- November 2020 [1]
- October 2020 [1]
- July 2020 [1]
- June 2020 [1]
- May 2020 [1]
- April 2020 [1]
- February 2020 [1]
- January 2020 [1]
- December 2019 [1]
- October 2019 [1]
- September 2019 [2]
- August 2019 [1]
- June 2019 [1]
- April 2019 [1]
- March 2019 [1]
- February 2019 [1]
- December 2018 [1]
- November 2018 [1]
- October 2018 [1]
- September 2018 [1]
- July 2018 [1]
- June 2018 [1]
- April 2018 [1]
- March 2018 [2]
- February 2018 [1]
- December 2017 [5]
- November 2017 [1]
- October 2017 [1]
- September 2017 [1]
- August 2017 [1]
- June 2017 [1]
- May 2017 [2]
- April 2017 [2]
- February 2017 [1]
- January 2017 [2]
- November 2016 [2]
- September 2016 [2]
- August 2016 [2]
- July 2016 [1]
- June 2016 [1]
- May 2016 [1]
- April 2016 [1]
- February 2016 [2]
- January 2016 [1]
- December 2015 [1]
- November 2015 [2]
- October 2015 [1]
- September 2015 [2]
- August 2015 [1]
- July 2015 [1]
- June 2015 [1]
- May 2015 [1]
- April 2015 [1]
- February 2015 [2]
- January 2015 [1]
- December 2014 [1]
- November 2014 [2]
- October 2014 [1]
- September 2014 [1]
- August 2014 [2]
- July 2014 [1]
- June 2014 [2]
- May 2014 [2]
- April 2014 [1]
- March 2014 [2]
- February 2014 [2]
- January 2014 [2]
- December 2013 [1]
- November 2013 [2]
- October 2013 [2]
- September 2013 [1]
- August 2013 [2]
- July 2013 [2]
- June 2013 [2]
- May 2013 [2]
- March 2013 [2]
- February 2013 [1]
- January 2013 [2]
- December 2012 [2]
- November 2012 [1]
- October 2012 [2]
- September 2012 [1]
- August 2012 [1]
- July 2012 [3]
- June 2012 [1]
- May 2012 [2]
- April 2012 [2]
- March 2012 [2]
- February 2012 [3]
- January 2012 [2]
- December 2011 [2]
- November 2011 [2]
- October 2011 [2]
- September 2011 [3]
- August 2011 [2]
- July 2011 [3]
- June 2011 [4]
- May 2011 [4]
- April 2011 [5]
- March 2011 [5]
- February 2011 [4]