音楽 CLASSIC

ラヴェル 弦楽四重奏曲

2014.08.25
古の旋法が描く20世紀のメランコリー

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 モーリス・ラヴェルの弦楽四重奏曲は、1902年から翌年にかけて作曲された。初演が行われたのは1904年3月5日。反響は上々で、多くの人がまだ20代の若きラヴェルの才能を称えた。何しろあの辛辣なドビュッシーが「音楽の神と私の名において、君の四重奏曲の一音符たりとも変更してはなりません」と忠告したというから驚くほかない。しかし、ラヴェル自身は仕上がりに満足しておらず、後年改訂を施した。作品は「わが親愛なる師、ガブリエル・フォーレ」に献呈されている。

 作曲にあたり、ラヴェルはフランクの循環形式をとりいれているが、その扱いはより巧妙であり、複雑でもある。第1楽章の第1主題がフリギア旋法に近く、第2主題がヒポフリギア旋法に基づいていることからもうかがえるように、機能和声の概念からはみ出し、異なる教会旋法の対話により、エレガンスとメランコリーをたたえたモダンな世界を醸成させる。おそらくこれはドビュッシーの弦楽四重奏曲を意識したものだろう。ちなみに、ラヴェル自身は「音楽の構成意志にこたえるために書いた」と述べている。

 この作品は一貫して繊細に演奏されなければならない。強弱緩急を過剰にやりたがる現代演奏家が弾くと、その潔癖なヴィジョンが仇となり、彫りが深くなるどころか、表現のコントラストを楽しむだけの薄っぺらいものになる。そうではないカルテットも存在するが、それにしても底の浅い演奏が多い。奏者にとって最も危険なのは第3楽章と第4楽章で、「トレ・ラン(非常にゆるやかに)」と指示された第3楽章の48小節、フォルテで入るチェロを仰々しく響かせたり、激しく躍動する第4楽章をやたらスポーティーに弾き切ったりしてしまうと、それだけであざとさが前面に出てきて、エレガントな味わいがなくなり、奏者の取るに足らない解釈自慢、腕自慢を鑑賞しているような気分にさせられる。

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 古くから名演奏とされているのはカペー弦楽四重奏団による1928年の録音で、冒頭からポルタメントを多用し、ひとつひとつの旋律が朧にとけていくような美しさを感じさせる。録音年代のわりに音質もそこまで悪くないので、今なおこれを支持する人がいても不思議はない。ただ、私にはこのポルタメントがやや鬱陶しく感じられることがあり、もう少し弦楽器が自然に息づいているような演奏を聴きたくなる。そんな欲求を満たすのが、ジャック・パレナン率いるパレナン四重奏団である。彼らが1950年代に録音した素朴で高貴な演奏は、まだこの作品の全容を見通せずにいた私に、みずみずしい風景を見せてくれた。
 カルヴェ弦楽四重奏団による1937年の録音にも、レーヴェングート弦楽四重奏団による1953年の録音にも、繊細さと抒情味があり、良い意味で個性的だが、パレナンを超えるものとはいえない。1960年代以降のものでは、下手な作為性のないカルミナ四重奏団とオルランド四重奏団の演奏に好感を抱いたくらいで、大半の録音からは余計な肩の力ないし表現の過剰さを感じた。まだまだ良い演奏はあると思うので、根気よく探し続けたいものである。
(阿部十三)


【関連サイト】
MAURICE RAVEL(CD)
モーリス・ラヴェル
[1875.3.7-1937.12.28]
弦楽四重奏曲

【お薦めディスク】(掲載CDジャケット:上から)
パレナン弦楽四重奏団
録音:1950年代

カルミナ弦楽四重奏団
収録:1992年2月

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