音楽 CLASSIC

トロンボンチーノ 「断固として続けて行こう」

2018.06.10
フロットラの美と香気

Tromboncino j1
 バルトロメオ・トロンボンチーノはルネッサンス期に活躍した作曲家で、生年は1470年頃、没年は1535年以降と伝えられる。生前はフロットラの作曲家として知られ、その独創的で美しい作品によりイザベラ・デステ、ルクレツィア・ボルジアの心をつかみ、宮廷で厚遇されていたという。フロットラとは15世紀後期から16世紀初頭にかけてイタリア北・中部で流行した、世俗的な歌詞を持つ多声の声楽曲である。

 トロンボンチーノは、その名の通りトロンボーン奏者でもあった。メディチ家のために演奏していたこともある。しかし素行には問題があったようで、マントヴァで宮廷音楽家となり、賢女として知られたイザベラ・デステに重んじられている間、その悪行ゆえヴェネチアに逃亡し、またマントヴァに戻ったと思ったら、今度は妻が愛人と密会しているのを目撃して殺害(1499年)、これは当時の慣例で許されたが、さらに別の悪行に及んでマントヴァを去り、フェラーラの宮廷に仕えるようになった。イザベラの夫フランチェスコ・ゴンザーガによると、「(トロンボンチーノは)誰よりも給料をもらい、誰よりも寵愛、好意、自由を受けていたのに、嘆かわしいやり方で、許可なく奉職を捨て去った」らしい。

 フェラーラの宮廷はイザベラ・デステの実家である。1502年2月には、イザベラの弟アルフォンソとルクレツィア・ボルジアの婚礼の儀式で歌を披露している。一説では、ルクレツィアに仕えるようになった後もなおトロンボンチーノはマントヴァへ赴き、イザベラのために美しいフロットラを書いていたようだ。実際はどうだったのだろう。もしまだイザベラに私的に仕えていたのだとすると、それはルクレツィアへの背信行為のようにも見える。というのも、イザベラと義妹ルクレツィアの関係は険悪なものだったからだ(ルクレツィアはイザベラの夫フランチェスコと不倫していたと言われている)。トロンボンチーノの忠誠がどちらの貴婦人に向けられていたのか、どちらにも向けられていなかったのか、その本心は知る由もない。

 フェラーラにいたのは1513年までで、それから8年間、何をしていたのかは不明である。1521年、トロンボンチーノはヴェネチアで総督宛に市民権、特許権の下賜を求める手紙を出しているが、おそらくこれが認められ、同地に滞在していた。最後の記録は1535年に出された手紙で、「間もなくヴェネチアに戻る」と記されていることから、ヴェネチアかヴェネチア近郊を終の住処とした可能性が高い。以上、プロフィールについてはニューグローヴ世界音楽大事典の英語版・日本語版を参考にした(英語版には細かな作品リストが載っているが、日本語版は簡略化されている)。

 トロンボンチーノが妻を殺害した約90年後(1590年)、やはり革新的な作曲家であったカルロ・ジェズアルドが不貞を働いた妻を殺害しているが、その人生や作風を比べてみると、性格的にはジェズアルドは疑心と葛藤の人、トロンボンチーノはアウトロー的な自由人であったのではないかと想像される。

 トロンボンチーノのフロットラは約180曲遺されている。そのうち87曲は、バルゼレッタという形式で書かれた詩に曲をつけたもの。バルゼレッタはリプレーザ(反復句)の一部がストローファ(スタンザ、詩節)の後に反復される形式で、トロンボンチーノの場合、反復句にしか曲をつけないこともあった。当時としてはかなり自由な発想の持ち主で、歌詞の選び方、歌詞の扱い方に特徴があり、詩の構造に縛られることなく、音楽となじむ節に曲をつけていたのである。そのため、彼のフロットラは言葉の渋滞を感じさせず、耳に心地よいものに仕上がっている。

 「断固として続けて行こう(Ostinato vo' seguire)」は、1509年にオッタヴィアーノ・ペトルッチが出版した『フロットラ集 第9巻』の中の1曲である。詩の形式はバルゼレッタ。「断固として続けて行こう/私の高潔な計画を(Ostinato vo' seguire/La magnanima mia impresa)」という反復句のメロディーは明るさと香気に溢れ、親しみやすい。なお現在は、リュート用編曲を多く手がけたフランシスクス・ボッシネンシスによる版で演奏されることが多い。

 歌詞の大意は、どんなに邪魔をされても私は高潔な計画を断固続けよう。喜ぶことも恥辱を免れることもないが、それでも続けよう。私は名誉以外に期待していない。もし勝者になれば幸多き天上に昇り、敗者になっても高貴な心は示されるだろう。ーー「magnanima」は「寛大な」「度量が大きい」とも訳される。3分に満たないシンプルな曲だが、ここには典雅なる響きがあり、生命の明るい躍動があり、誇らかさがある。私はこれを聴くと、いつも勇気づけられる。

 私が聴いているのは、エミリー・ファン・エヴェラの澄んだ美声が心地よいサーカ1500の演奏(1983年録音)。アルバムのタイトルは『Renaissance Music From The Courts Of Mantua And Ferrara』で、トロンボンチーノだけでなく、同時代のマルケット・カーラの作品も収録されている。ルネッサンスの時代に音楽を楽しんでいるような錯覚を起こさせてくれる名盤だ。男声で聴きたい人には、コンソート・オブ・ミュージックによる演奏(1980年録音)がお薦め。歌い手はジョセフ・コーンウェルである。

Tromboncino j2
 かつて日本では、佐藤春夫が「芸術即人間」という論考の中で、「芸術家にとっては、真の自分自身の姿を、完全に発現し得る世界は、ただ芸術ーー自己のうちに深く沈潜することに依って自己の姿を捜し求めるの術に於てだけである」と書き、芸術こそがその人間の真の姿であり、「いい芸術のあるところには、いい人間がいる」と結論付けた。芸術作品の価値を、芸術家の実生活上の不道徳を以て差し引きしたがる世間の風潮に異を唱えたのである。これに従えば、悪名高きトロンボンチーノも人の心を楽しませ慰める音楽を書いた「いい人間」であり、肯定さるべき存在である。作品と人物を分けて考えるならまだしも、一緒にした上で肯定するとは、現代人には受け入れがたい考え方だろうが、一つの真理を語っていると私は思う。


【関連サイト】

バルトロメオ・トロンボンチーノ
[1470年頃-1535年以降]
「断固として続けて行こう」(『フロットラ集 第9巻』より)

【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
エミリー・ファン・エヴェラ(ソプラノ)
サーカ1500(CIRCA1500)
録音:1983年

ジョセフ・コーンウェル(テノール)
コンソート・オブ・ミュージック
録音:1980年