音楽 POP/ROCK

ミッドナイト・オイル 『ディーゼル・アンド・ダスト』

2018.01.06
ミッドナイト・オイル
『ディーゼル・アンド・ダスト』
1987年作品


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 リアリティ番組出身の大統領の迷走でハードルが思い切り下がったせいか、米国では次の大統領候補として、キッド・ロックやカニエ・ウェストといったミュージシャンを含む、多くのショウビズ関係者の名前が取り沙汰されている。もちろん言うが易し行うは難しで、実際に政治家に転向し、かつ一定の評価を得たミュージシャンなど滅多にいない。カニエが史上ふたり目の黒人大統領になる可能性は限りなく低いと思うが、そういう意味で、オーストラリアの国会議員を経て閣僚にもなったミッドナイト・オイルのピーター・ギャレットは、稀有な出世例だ。もっとも、大学で政治と法律を学び、デビュー当初から多岐にわたる社会問題を曲で取り上げ、NGOなどと組んで啓蒙に携わってきた人だから、政治家になるべくしてなったーーと言うべきだろうか?

 1975年、大学卒業から間もなくピーターが参加した時点で、すでにミッドナイト・オイルはロブ・ハースト(ドラムス)とジム・モジーニー(ギター/キーボード)を中心に、シドニー近辺で活動をスタートしていた。その後マーティン・ロッツィ(ギター)とアンドリュー・ジェイムズ(ベース)が加わり、1978年にバンド名を冠したファーストを発表。同作でのポリティカルな関心事はオーストラリア国内に限定されていたようだが、徐々に視線を外の世界にも向け、同時に環境問題への関心を深めた彼ら。4作目『10,9,8,7,6,5,4,3,2,1』(1982年)から、東京で録音した5作目『レッド・セイルズ・イン・ザ・サンセット』(1984年)にかけて、核の脅威(1984年にピーターは核軍縮党から国会議員に立候補したがこの時は落選)、消費主義、環境破壊、人権侵害といったトピックと広く向き合い、海外での知名度を高めて、U2と並ぶ社会派バンドと目されるようになる。

 が、面白いことにキャリア最大の世界的ヒットを記録したのは、再び国内に目を向けて制作した1987年の『ディーゼル・アンド・ダスト(Diesel and Dust)』(全豪チャート最高1位/世界合計セールスは600万枚)だった。その発端は、かねてから交流があったワルンピ・バンド(メンバー全員が先住民のロックバンド)に誘われて、オーストラリアでも最も辺鄙な内陸部〜北部を旅したツアーだ。先住民を多く含むオーディエンスを相手に夜な夜なプレイし、彼らが置かれている状況や文化について学び、砂漠地帯の厳しくも美しい自然に触れて大いにインスパイアピされて、新曲作りに存分に反映させたのである。

 この時点ではベースがピーター・ギフォードに交代、共同プロデューサーも、過去2作品を手掛けたニック・ローネイからウォーン・リヴセイに変わった。初期のミッドナイト・オイルの音楽性はどちらかといえばパブ・ロックやハードロックに寄っていたが、1980年代に入るとポストパンク勢から刺激を得て、ギャング・オブ・フォーやPILとコラボしていたニックと組んで、シンセやドラムマシーンを取り入れて積極的に実験。どんどん先鋭性を増していたところに、ザ・ザの『インフェクテッド』などで評価を高めていたウォーンがさらなる磨きをかけて、洗練されたニューウェイヴ・サウンドを『ディーゼル・アンド・ダスト』に与えた。そして主にピーターが綴っていた歌詞の切っ先は以前にも増して鋭く、bullroarer(先住民の伝統的な気鳴楽器)やbloodwood(アカユーカリ)といった外国人には聴き慣れない単語を散りばめて、オーストラリアのダークサイドを暴き出す。全米チャートでもトップ20入りした大ヒット・シングル「べッズ・アー・バーニング」は白人が先住民から奪った土地の返還を訴え、「ワラクルナ」は〈ディーゼル油と砂埃〉を呼吸して暮らす彼らへの差別を糾弾。これまたシングルヒットを博した「デッド・ハート」は先住民の視点で建国の歴史を振り返って、「ブルローラー」はオーストラリア人の魂の在り処としての砂漠の魅力を歌い、ラスト「ガンバレル・ハイウェイ」はその砂漠地帯を東西真っすぐに走る道路の名前を、タイトルに冠している。1,300キロ以上に及ぶガンバレル・ハイウェイは、内陸部に核実験場とロケット発射場を作ることを目的に1950年代に建設されたそうで、先住民文化と自然を破壊する白人の野望の象徴、と言ったところだろうか? ピーターは〈茶色い世界にはクソが雨みたいに降りしきる〉と、荒廃した環境を嘆く。

 その合間には、北極圏での資源採掘を批判する「氷の世界」や反核メッセージを込めた「武器を捨てよ」といった国外での出来事に根差した曲も聴こえるが、本作が脳裏に刻むのはやはり、ジャケットにも描かれた、赤土の乾いた大地と深いブルーの空の風景。このアルバムをきっかけにオーストラリアの歴史に興味を抱いたのは、筆者だけじゃないと思う。もちろんその後もミッドナイト・オイルは先住民問題を取り上げ続け、2000年のシドニー五輪の閉会式に出演した際も「べッズ・アー・バーニング」を演奏。長年の差別的政策について政府に代わって先住民に謝罪するべく、メンバー全員が〈Sorry〉とプリントしたシャツを着用し、物議を醸したものだ。

 結局オーストラリア政府が正式な謝罪をしたのは、2008年、まさにピーターを内閣に迎え入れた労働党ラッド政権が誕生してから。この4年前から国会議員を務めていた彼は、2007年に環境・国家遺産・芸術大臣に就任。続いて学校教育・幼児・青年問題担当大臣を務め、音楽活動は休止し、時折チャリティ・イベントでパフォーマンスを行なうのみだった。しかし、2013年の政権交代を機に政界から引退して音楽界に復帰し、昨年まずは初のソロ・アルバムを発表。そしていよいよバンド活動も再開し、ミッドナイト・オイルはさる2017年11月に大規模なカムバック・ワールド・ツアーを終えたばかりだ。政治家時代のピーターはさすが様々な局面で妥協を強いられ、バンドで訴えたことと政策が矛盾しているのではないかと非難されもしたが、単にメッセージ・ソングを歌うだけでなく、実際に政府の一員となって世の中を変える難しさを知るという体験は、貴重なことこの上ない。カニエたちも早まる前に、彼に助言を仰ぐべきだろう。
(新谷洋子)


【関連サイト】
midnightoil.com

『ディーゼル・アンド・ダスト』収録曲
01. ベッズ・アー・バーニング/02. 武器を捨てよ/03. ドリームワールド/04. 氷の世界/05. ワラクルナ/06. デッド・ハート/07. WHOAH/08. ブルローラー/09. セル・マイ・ソウル/10. サムタイムズ/11. ガンバレル・ハイウェイ

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