音楽 POP/ROCK

ジェフ・バックリィ 『グレース』

2011.06.09
ジェフ・バックリィ
『グレース』

1994年発表


JEFF_BUCKLEY
 90年代の音楽シーンを振り返ると、ブリットポップでもグランジでもエレクトロニカでもなく、累々と死体が横たわる戦場のような光景を目に浮かべてしまう。というのも、90年代を代表する才能豊かなミュージシャンたちーーカート・コバーン、リッチー・エドワーズ、トゥーパック・シャクール、ノートリアスB.I.G.、レイン・ステイリー、ジェフ・バックリィーーときたら、我先にと早すぎる死を迎えてしまったのだから。中でも1997年に不慮の事故で亡くなったジェフこそは、この世代で最大の影響力を誇るアーティストだろう。しかもコールドプレイからジェイミー・カラムに至る後続のみならず、(彼の葬儀で歌った)エルヴィス・コステロ、或いはパティ・スミスやデヴィッド・ボウイらにまで多大なインパクトを与えた理由を知るには、生前に完成させた唯一のアルバム『グレース』を聴いて頂くよりほかない。リリースから17年、世界合計で250万枚を超えたセールスの半数以上は死後に記録されたものだという。つまりジェフのカルト・ステータスは年々アップしているのだ。

 が、〈影響〉という表現は正確ではないのかもしれない。ジェフの音楽はスタイルやムーヴメントで定義付けることができないから、たとえその影響下にあっても耳で判別のしようがない。従ってここで言う〈影響〉とはより感覚的な類であり、彼はひとつのミュージシャンの理想像を提示しているのだと思う。ジェフに関する原稿を書くたびに繰り返していることだが、みんな彼の〈自由〉に、嫉妬に近い憧れを抱いているのだろう(実際ルーファス・ウェインライトは、ジェフに嫉妬していたことを告白するトリビュート「メンフィス・スカイライン」を『Want Two』に収めている)。ジェフは音楽を「自然の力」と呼び、音楽の前で無になることができた。様々な試みがやり尽くされ業界のシステムも固定化していた90年代の閉塞感とも彼は無縁で、限度や境界を知らなかった。ライヴの定番だったビッグスターの「カンガルー」を20分以上かけて演奏したり、自らを〈chanteuse〉(女性形の仏語で〈singer〉を指す)と呼んで、ニーナ・シモンやエディット・ピアフといった女性の曲も臆せずに歌ったものだ。それにジミー・ペイジですら圧倒されたというギタープレイと超絶的美声を備えた彼には、技術的な意味でも、どんな音楽にも身を委ねることができたのである。

 そんなジェフはご承知の通り、故ティム・バックリィの息子だが、1966年11月に彼が誕生する前に両親は離婚。カリフォルニアはアナハイム周辺で、母とその再婚相手に育てられて、ふたりの影響で音楽を聴き始め、5歳の時にギターを初めて手にした。そして高校卒業後LAで、当初はギタリストとして活動を開始。多数のバンドで経験を積み、91年にニューヨークに居を移してからは、イースト・ヴィレッジなどのライヴハウスで独りエレキを抱えてプレイするようになった。主にカヴァー(ザ・スミスからヌスラット・ファテ・アリ・ハーンまで)を歌っていたにもかかわらずそのステージは評判を集め、大手レーベルによる争奪戦の末にコロムビアと契約。オリジナル曲作りに本格的に取り組むにあたってバンド(ドラムスはマット・ジョンソン、ベースはミック・グロンダール、ギターはマイケル・タイ)を結成し、アンディ・ウォレスをプロデューサー兼ミキサーに起用して、デビュー作『グレース』の制作に着手したのは、93年秋のことだ。

 さて、本作が米国でリリースされた94年8月といえば、オルタナティヴ・ロックの天下。それでも当初から異彩を放っていた。ギターロックには違いないが、男性的でアグレッシヴなエネルギーだけでなく、タイトル通り女性的なセンシュアリティと優美さをも同等に湛えた『グレース』は、全10曲とコンパクトながら多様で恐れを知らず、展開は予測不能。レッド・ツェッペリンばりのハードロックあり(「エターナル・ライフ」)、クラシックあり(B・ブリテン作の「コーパス・クライスティ・キャロル」)、フォーキーなバラードあり(「恋人よ、今すぐ彼のもとへ」)......。ゲイリー・ルーカス(キャプテン・ビーフハートのギタリスト)と共作した冒頭の「モジョ・ピン」及び表題曲には、そんな本作の特性が凝縮されていると言えよう。また、死後発売された多数のライヴ盤を聴けば、アルバム・ヴァージョンは単なる原型というか、無限にある解釈の一例に過ぎないことがわかるはず。そして、全てを貫くのがあの声である。エモーションを濾過も希釈もせずに、豊潤な色彩や光や影や匂いを伴って聴き手の感覚の一番柔らかく脆い場所に注ぐジェフは、紛れもなくポピュラー音楽史上に残る偉大なソウル・シンガーだ。特に、いつもライヴの締め括りにソロで披露したレナード・コーエンの「ハレルヤ」には、ステージでの神憑り的なパフォーマンスが重なって聴こえる。そう、ジェフはライヴアクトとしても世界中でひっぱりだことなり、本作を発表後2年にわたってツアーを敢行。しかしその間先送りしていたセカンドのプレッシャーに悩み、メンフィスに引っ越して心機一転。創作意欲を回復してレコーディングを始めようとしていた矢先の97年5月29日に、ミシシッピ川の支流で溺死してしまったのだ。

 父親と同様に夭折しカルト・ミュージシャンと化したことに、ジェフは今頃憤慨しているのだろう。メディアに天才扱いされたり親子で比較されるのを毛嫌いしていたし、そもそも27年の人生に9枚のアルバムを残したティムに対して自分は1枚きり。その事実に負い目を感じていたのかは知る由もないが、『グレース』にも彼は決して満足していたわけではない。「これは赤ちゃんの棺みたいなアルバムなんだ。僕は前に進むために、ここに色々納めて埋めなければならなかったんだよ」と彼が筆者に話してくれたように、当時のジェフ・バックリィはまだ原石であり、自分でもそう認識していた。だからこそ、幻の2作目、3作目を想像するだけで身震いせずにはいられない。未知数の可能性を湛えた『グレース』とは、永遠に解かれることのない美しいミステリーであり、決して飼い馴らされることのない奔放なスピリットなのである。
(新谷洋子)

【関連サイト】
jeffbuckley.com
ジェフ・バックリィ(CD)
『グレース』収録曲
01. モジョ・ピン/02. グレース/03. ラスト・グッドバイ/04. ライラック・ワイン/05. ソー・リアル/06. ハレルヤ/07. 恋人よ、今すぐ彼のもとへ/08. コーパス・クライスティ・キャロル/09. エターナル・ライフ/10. ドリーム・ブラザー

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