音楽 POP/ROCK

ダスティ・スプリングフィールド 『ダスティ・イン・メンフィス』

2018.09.20
ダスティ・スプリングフィールド
『ダスティ・イン・メンフィス』
1969年発売


dusty in memphis j1
 おおよそソウル・シンガーを名乗る人、いや、歌を生業にする人全てにとって、2018年8月に76歳で亡くなったアレサ・フランクリンは尽きせぬインスピレーション源であり、理想だった。葬儀ではジェニファー・ハドソンやアリアナ・グランデといった後輩たちが追悼パフォーマンスを披露したが、彼女がインスパイアしたのは後続だけではない。同じ時代を生きた英国人シンガーのダスティ・スプリングフィールドもアレサに心酔し、その足跡を辿ることで、キャリアの最高傑作を制作。言うまでもなくこの『ダスティ・イン・メンフィス』(1968年録音)である。

 1999年に亡くなったが1939年生まれなので、アレサの3歳年上にあたるダスティは、ロンドン郊外のエンフィールドで生まれ(本名メアリー・オブライエン)、米国のジャズやブルースやスタンダードを聴いて育ち、兄のトムらと結成したザ・スプリングフィールズで成功を収めたのち、1963年にソロ・デビュー。ファースト・シングル「二人だけのデート」を皮切りに国内外で続々ヒットを記録して、絶大な人気を確立する。しかしスピーディーに変化する若者の嗜好に追いつけずに、60年代後半にはすでに人気に陰りが見えていた。

 そこでキャリアを盛り返すべく、アレサをスターにした米国のアトランティック・レーベルの創設者アーメット・アーティガンという理解者を見出して、同レーベルに移籍。移籍第一弾アルバムにあたる本作を、アレサのほかエルヴィス・プレスリーやボビー・ウーマックも使った、メンフィスのアメリカン・サウンド・スタジオでレコーディングをすることになった。これまでは実質的にセルフ・プロデュースで貫いていたが、アレサの『貴方だけを愛して』や『レディ・ソウル』を手掛けたジェリー・ウェクスラーとトム・ダウドとアリフ・マーディンにプロダクションを委ね、このスタジオの名高い専属バンド=ザ・メンフィス・ボーイズ、そして女性コーラス・グループのザ・スウィート・インスピレーションズもセッションに参加。申し分ない環境に恵まれた彼女は、それゆえのプレッシャーに負けて満足いくヴォーカル・テイクが取れず、後日ニューヨークで録音し直したというエピソードもなんだか微笑ましい。

 ちなみに、基本的にソングライターではなくあくまで〈解釈者〉であり、主にバート・バカラック&ハル・デイヴィッドやキャロル・キング&ジェリー・ゴフィンといった面々が綴った曲を歌っていたダスティは、R&B/ソウルを心から愛し、モータウンのアーティストを英国に紹介することに尽力していた。本作では当然、いよいよ本場で、本格的なR&B/ソウルに挑戦する心積もりだったという。が、最終的に完成したアルバムは、従来のポップ路線の進化形と呼ぶべきなのだろう。選曲はほぼジェリーたちに任され、ふたを開けてみれば計11曲のうち、4曲はデビュー当時から歌っているキング&ゴフィンの作品で、バカラック&デイヴィッドの作品が1曲、ランディ・ニューマンの作品が2曲、バリー・マンとシンシア・ワイルの夫婦コンビ(ライチャス・ブラザースの「ふられた気持ち」などで知られる)による「ジャスト・ア・リトル・ラヴィン」、ミッシェル・ルグラン作のシャンソン風の曲「風のささやき」(1968年公開の映画『華麗なる賭け』の主題歌)......といったラインナップ。R&B寄りと言えるのは、元々アレサのために書かれた「プリーチャー・マン」(幾多の歌い手がカヴァーした「Love of the Common People」の作者ジョン・ハーリー&ロニー・ウィルキンスの作品)、唯一、本作用に書き下ろされた「ブレックファスト・イン・ベッド」(マッスル・ショールズ・シーンのセッション・プレイヤーだったエディ・ヒントンとドニー・フリッツの作品)、キング&ゴフィンの「ソー・マッチ・ラヴ」くらいだろうか?

 とはいえ、慣れた作家たちの曲×慣れない環境という組み合わせは逆に功を奏したようで、アメリカンでもブラックでもない、ヨーロッパからやってきた白人であるダスティならではソウルが引き出され、このスタジオ、このスタッフで生まれた他の作品にはない、ある種非常にヨーロピアンな美意識に射抜かれたソウル・ポップ・アルバムが誕生。バンドは彼女のかすかに掠れた声を、控えめに寄り添ったり、豪奢に盛り上げたり絶妙な押し引きで縁どっていて、そのデリケートでセンシュアルで、時に驚くほどダイナミックにしなる特性を強調する。また、ブラックではなくとも、アルコール依存や心の病など様々なトラブルを抱え、同性愛者としてオープンに生きられないという社会的抑圧に苦しんでいたダスティは(当時彼女は米国人シンガー・ソングライターのノーマ・タネガと同棲していた)、痛みや苦しみと無縁ではなかった。救いを求めて嘆願している曲が多いのは(他人が選曲した以上は)偶然なのだろうが、一聴したところ耳障りのいい声の裏にある影が、この人の歌に血肉と奥行きを与えており、単に〈演技〉をしているわけではなかったはず。〈一人では生きていけない〉と繰り返すエンディングはハートブレイキングでしかない。

 またアレサは、清い生き方を説く聖職者の息子が実は女ったらし(と言っては言い過ぎか?)だという設定に、敬虔なクリスチャンとして嫌悪感を抱いて「プリーチャー・マン」を拒絶したそうだが、他方のダスティはと言えば、厳しいカトリック家庭で育ちミッション系女子校で学んだものの、同性愛を否定する宗教に疑問を感じて背を向けた人(バチカン広場を見下ろすバルコニーで恋人とキスして、抗議の意を示したというエピソードもある!)。きっと、この曲を取り上げることになんの抵抗も感じなかったのだろう。

 その「プリーチャー・マン」はシングルとしてヒットしたものの、結局アルバムそのものは商業的にはあっけなく失敗。全米チャート最高99位、地元ではトップ40にも入らなかった。そして1970年代以降の彼女はぽつぽつとアルバムを発表し続けたが、パーソナルなトラブルも悪化して、長い低迷期に突入。チャートの上位に復帰したのはペット・ショップ・ボーイズとのコラボ・シングル「とどかぬ想い」が大ヒットした、1987年になってからのことだ。

 よって、のちに歴史的名盤として評価を確立しながら、不遇の時代の始まりでもあり、なんとも悩ましいポジションにある『ダスティ・イン・メンフィス』。そのメイキングにフォーカスした自伝映画が、ジェマ・アータートンの主演で制作されるというニュースが、ここにきて飛び込んできた。その名も『So Much Love』。これまでドラマや映画が作られなかったのは不思議なくらいだが、この神話的セッションが映像で再現されるというのだから、今から楽しみで仕方ない。
(新谷洋子)


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『ダスティ・イン・メンフィス』収録曲
01. ジャスト・ア・リトル・ラヴィン/02. ソー・マッチー・ラヴ/03. プリーチャー・マン/04. アイ・ドント・ウォント・トゥ・ヒアー・イット・エニモア/05. ドント・フォーゲット・アバウト・ミー/06. ブレックファスト・イン・ベッド/07. ジャスト・ワン・スマイル/08. 風のささやき/09. イン・ザ・ランド・オブ・メイク・ビリーヴ/10. ノー・イージー・ウェイ・ダウン/11. アイ・キャント・メイク・イット・アローン

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