音楽 POP/ROCK

フレディ・マーキュリー & モンセラート・カバリエ 『バルセロナ』

2018.10.23
フレディ・マーキュリー & モンセラート・カバリエ
『バルセロナ』
1988年作品


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 映画『ボヘミアン・ラプソディ』の公開を前に、クイーンとフレディ・マーキュリーの名前が俄かに巷で飛び交っている。筆者もフレディに関する原稿の依頼を受けて、クイーンのアルバムを聴き直したりしていたのだが、スペインが誇る(正確には「カタロニアが誇る」とするべきか?)の偉大なソプラノ歌手モンセラート・カバリエの死が報じられたのは、ちょうどその原稿を書き終えた頃だったろうか。ああ、あのアルバムがあったじゃないか!と、本作を久しぶりに取り出してみた。そう、フレディが生前に発表した2枚のソロ・アルバムの1枚であり、モンセラートと作り上げた異色にして画期的作品『バルセロナ』(1988年/全英チャート最高25位)である。発売当時は「なんじゃこりゃ」というのが大方のリアクションで、アメリカでは最初から理解されないものと見做されたらしく、フレディの死後ようやくリリースされたくらいだけど、誕生から30年が経過した今も、そのエキセントリックさは薄れていない。

 もちろんクラシック音楽の要素を参照したロックなんて、プログレの例を挙げるまでもなく、珍しくはなかった。クイーンにしてもしばしばクラシカルな要素を取り入れていたし、フレディ自身、7歳の時に受け始めたピアノのレッスンが音楽人生の出発点。生涯を通じてクラシック音楽を愛し、オペラやバレエの鑑賞に多くの時間を費やしたという。しかしロックとクラシックの歌い手がコラボレーション・アルバムを制作するという試みは、恐らく『バルセロナ』が初めてだった。ふたりの出会いは1983年春に遡る。ルチアーノ・パヴァロッティをお目当てに、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスで上演されるヴェルディのオペラ『仮面舞踏会』を観に行ったフレディは、たまたま共演していたモンセラートに一瞬にして魅了されてしまったのだ。

 その後スペインのテレビ番組で彼女を称賛したことが本人に伝わり、両者は1987年3月にバルセロナのリッツ・ホテルにて初めて対面。プロデューサーのマイク・ノーラン(英国人のベテラン・プロデューサー/作曲家)を同伴していたフレディは、モンセラートのためにマイクと綴った曲『エクササイズ・イン・フリー・ラヴ』を聴かせ、意気投合したふたりは、その場にあったピアノを弾きながら早速一緒に歌っていたとか。それから間もなくしてロンドンを訪れたモンセラートは、フレディの自宅に足を運び、バルセロナ市長から依頼されていた1992年のオリンピックのテーマ曲をふたりで作ってはどうかと提案。一晩中アイデアを練ってモンセラートが「朝帰りした」という逸話は、ドキュメンタリー映画『フレディ・マーキュリー 人生と歌を愛した男』でも紹介されていたものだ。

 そんな風に始まったプロジェクトはやがてアルバムへと発展。フレディはマイクのほかに、アンドリュー・ロイド・ウェバーとの共作でお馴染みのティム・ライスの手も借りてこれらの曲を用意するのだが、クラシックとロック/ポップを交錯させたオーケストラルなサウンドが、実はナマではなくて、ほぼ全部プログラミングだというのが興味深い(2012年になってオーケストラ演奏で置き換えたヴァージョンも登場した)。なんでも、モンセラートのために可能な限り完璧なトラックを用意したかったフレディは、オーケストラを100%コントロールするのは自分には不可能だと判断し、敢えて人工的に構築することを選んだのだとか。

 そんな完璧主義に加えて、彼がすでに体調を崩していたこともスケジュールを狂わせる要因となり、レコーディングが終わるまでには長い時間を要した(HIV陽性だと判明したのは1987年4月だ)。でも、作業を始めてから約1年以上を経て完成に至った『バルセロナ』は、少しも暗い影を感じさせることなく、絢爛な表題曲で華々しく幕を開ける。これもちょっと気になる点だ。なぜって、オペラ作品の冒頭には通常、本編で登場する代表的なメロディなどをコラージュした序曲(=overture)が配置されるのに、ここではなぜかエンディングに「オーヴァーチュア・ピカンテ」と題された序曲が収められている。オペラのマナーを引用しつつ、ロック・コンサート的な大団円を意識したということなのだろうか?

 閑話休題。とにかく本作のオープニングを飾るのは、シングル・ヒットを記録し、(フレディは開会式を待たずに亡くなったが)1992年のバルセロナ・オリンピックに華を添えることになる名曲「バルセロナ」。フレディとモンセラートは、それぞれ英語とスペイン語で一緒に歌う喜びを表現している。と同時に、ふたりを引き合わせてくれたバルセロナの町を讃えてもいて、一種のラヴソングと呼ぶこともできるのだろう。フレディのモードはずばり〈恍惚〉としか言い表しようがなく、アルバムが終わるまで彼が天上から降りて来ることはない。タイトルが示唆する通り日本語で歌われた2曲目『ラ・ジャポネーズ』も、ユメやキボウといったポジティヴな言葉をちりばめて美しい夜明けを描く、オリエンタル趣味の歓喜の歌だ(フレディはクイーンの1977年発表の曲「手をとりあって」でも日本語で歌ったことがある)。そしてティムが歌詞を綴った「フォールン・プリースト」にしても、浮世離れしたドラマ性においては負けていない。モンセラートが神、フレディは救いを求める生身の人間を演じているかのようで、エル・グレコあたりの宗教画さながらの迫力だ。

 またこれとは対照的に、「エクササイズ〜」にモンセラートがスペイン語の歌詞を新たに添えた『エンスエニョ』(ensueñoは〈夢〉を意味する)ではシンプリシティを極める。今度は彼女のほうから、声を介したふたりの絆を祝福していて、フレディが聴かせる深いバリトンは新鮮なことこの上ない。そしてアルバムは終盤にかけてポップにシフトし、再びティムが作詞した「ゴールデン・ボーイ」では多数のバッキング・シンガーの参加を得て、クラシックとゴスペルを融合。一方、組曲になっている「ガイド・ミー・ホーム」と「ハウ・キャン・アイ・ゴー・オン」ではミュージカル的な趣を強める。シンセを多用しているせいか、この2曲は少々浮いている気がしないでもないのだが、究極的に本作の主役は歌であり、その点に関して不満を抱く人はいないと思う。ふたりともお互いのスタイルに歩み寄るわけではなく、フレディはいつものフレディ(「エンスエニョ」は唯一の例外だ)、モンセラートはいつものモンセラートのスタイルで、競うようにして歌いまくるのみ。ふたつの世界の正面衝突にこそ、本作の面白さがある。そもそも3オクターヴの声域を誇るフレディと歌で競える人はロック界にはいなかったわけで、そんな彼が、絶対に自分の手が届かない場所にいるモンセラートの前で、子供みたいにはしゃぐ姿を想像せずにいられない。

 ではモンセラートにとって本作はどんな意味を持っていたのか? スウェーデンのテレビ番組のインタヴュー映像(1988年頃に収録されたものらしい)で彼女は、「通常のオペラでホセ・カレーラスと歌うことと、フレディと歌うこと。ふたつはどう違うのでしょう?」との質問に、次のような答えを返していた。「オペラでは、すでに完成している大きな絵画の一部分となり、自分とは異なる人間に扮するべく、自分のパーソナリティを忘れる必要があります。でも「バルセロナ」で私たちは新しいものを作り出しました。指揮者に従う必要もなく、自分を表現できたのです」。そして、微笑みながら口にした「I feel free!」というフレーズが実に印象的だった。つまり、オペラ界の頂点に立つ女性にフレディは自由を与えたのである。あれからもモンセラートの元には同様の企画が幾度か持ち込まれたそうだが、彼女は二度と「イエス」とは言わなかった。それほどにスペシャルな体験だったのだ。
(新谷洋子)


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『バルセロナ』収録曲
1. バルセロナ/2. ラ・ジャポネーズ/3. フォールン・プリースト/4. エンスエニョ/5. ゴールデン・ボーイ/6. ガイド・ミー・ホーム/7. ハウ・キャン・アイ・ゴー・オン/8. オーヴァーチュアー・ピカンテ