音楽 POP/ROCK

ディス・モータル・コイル 『涙の終結』

2019.02.22
ディス・モータル・コイル
『涙の終結』

1984年作品


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 4ADというレーベル名を耳にしてどんなサウンドを思い浮かべるのか。それは世代によって異なるのだろう。ポストパンク期の1980年に英国で誕生したこの名門インディ・レーベルの名前を世界に知らしめたのは、コクトー・ツインズを筆頭にデッド・カン・ダンス、アムステルダムのクラン・オブ・ザイモックス、ハンブルグのXマル・ドイチェランド......と、ヨーロッパ各地のバンドが鳴らした幻想的でドリーミー、でなければダークでゴシックな、浮世離れしたサウンド。そして同等に浮世離れした、ヴォーン・オリヴァーによるヴィジュアルだった。

 あれから約40年が経過してレーベルのカラーも変わり、2019年1月に東京で開催されたショウケース・イベント『4AD presents Revue』には2組のアメリカン・バンド、ディアハンターとギャング・ギャング・ダンスがレーベルを代表して出演。実際、現在の4ADを象徴するのは、そのディアハンターやザ・ナショナルのオルタナティヴ・ロックであり、エレクトロニカ路線の所属アーティストも少なくない。『4AD presents Revue』の幕間には現社長のサイモン・ハリデーがDJを務め、そういう最近のレーベルを物語る作品を主にプレイしていたのだが、セットの締め括りに彼が選んだのはまさに、初期4ADを体現する曲「警告の歌」だった。創設者アイヴォ・ワッツ・ラッセル自ら率いた、ディス・モータル・コイル(以下TMC)が1984年にリリースしたデビュー作『涙の終結(It'll End In Tears)』(全英最高38位)からのシングル曲だ。

 バンドというよりも流動的な共同体と呼ぶべきTMCの固定メンバーは、アイヴォと、4ADの作品をしばしば手掛けていたプロデューサーのジョン・フライヤーのみ。コラボレーションを通じて自由な創造を促すことを趣旨に掲げ、中でも、コクトー・ツインズ、デッド・カン・ダンス、カラーボックス、モダン・イングリッシュ、Xマル〜のメンバーが参加した『涙の終結』は文字通り、当時の4ADのオールスター・アルバムだった。ほかにも、チェロ奏者のマーティン・マッキャリク(スージー・アンド・ザ・バンシーズやマーク・アーモンドの諸作品に陰影を添えた名プレイヤー)や、バズコックス〜マガジンのハワード・デヴォート、シンディトーク名義で活動するスコットランド人の奇才ゴードン・シャープを起用。アンビエントな被膜も包まれた深いリヴァーブの海で、弦楽器と歌声が共鳴し合う、夢想の世界を作り上げるに至ったのだ。

 またもうひとつの趣旨として、昔日の名曲を次の世代に伝えようと試みたアイヴォたちは、ハワードが歌うビッグ・スターの「ホロコースト」から、モダン・イングリッシュのロビー・グレイが歌うコリン・ニューマン(ワイアー)の「ノット・ミー」に至るまで、多数のカヴァー曲を録音。選曲はかなりニッチなのだが、原曲の構成やメロディやテンポを尊重しつつ、プロダクションをそぎ落とし、参加者のアイデンティティを程良く反映させた解釈は、愛情に溢れている。「警告の歌」もご存知の通り、ティム・バックリィの曲のカヴァー(1970年発表の『Starsailor』収録)。ギリシャ神話に登場する、船乗りたちを美しい歌声で惑わせて難破させるセイレーンの姉妹に因んでおり、コクトー・ツインズのエリザベス・フレイザーのまさしくセイレーンのごときマジカルな声に、ロビン・ガスリーがギターで最低限の伴奏を添えている。

 エリザベスはほかにロイ・ハーパー作の、ひとりの男がかつての恋人に思いを馳せる曲「アナザー・デイ」(1970年発表のファースト『Flat Baroque and Berserk』より)のカヴァーでも、チェロだけを伴って唯一無二のヴォーカルを披露。「警告の歌」然り、人称を変えずに歌っていながら、ジェンダーを超絶した彼女の声は違和感を抱かせない。ジェンダーと言えばゴードンの声も中性的で、これまたビッグ・スターの神秘的なラヴソング「カンガルー」(「ホロコースト」共々1978年の名盤『Third』に収録)での彼は、その歌声をベースとストリングスの合間に漂わせ、リマ・リマ(のちにアダム・アンド・ジ・アンツを結成するギタリスト=マーコ・ピローニが在籍したバンドで、この曲を収めたEP『Wheels in the Roses』を4ADから発表)の「フォンド・アフェクションズ」では、奇妙なノイズとバロックなストリングスに絡ませる。

 以上の全般的にミニマル志向のカヴァー曲に対し、5つの書き下ろし曲の音は厚い。大半がインストで、こちらでは、当時コクトー・ツインズに加入したばかりだったマルチ・プレイヤーのサイモン・レイモンド、デッド・カン・ダンスのリサ・ジェラードとブレンダン・ペリーが活躍。サイモンは、波が打ち寄せる音をサンプリングしてシネマティックな風景を描く「バラムンディ」、リサとブレンダンは、クラシックと民族音楽の要素を引用した彼らのスタイルの延長にある「彼が創る風」と「新しき夢」で腕をふるう。特異さではエリザベスに劣らぬ、呪術的な趣を備えたリサの声、彼女が奏でる揚琴、異言などなど、デッド・カン・ダンスの定番材料がこれら2曲から聴き取れる。

 ラストの「ア・シングル・ウィッシュ」も書き下ろし。作者に名を連ねるゴードンは、リサに倣ったのか、理解不能なミステリアスな言葉を呟いており、判別できるのは〈悲しい結末が待ち受けている〉というアルバム・タイトルと同じフレーズだけだ。確かに、悲劇的な筋書きの曲ばかりをカヴァーしているのだが、背後でのどかに戯れているピアノとチェロが、悲しみを和らげているようでもある。

 アイヴォと4ADの関係もその後悲しい結末を迎えた。レーベルが成功したがゆえにヒットを生むプレッシャーに苦しんで、長く鬱を患ったりした末に、1990年代後半には音楽業界から引退。今はサンタフェで隠遁生活を送っているそうで、4ADにはもう関わっていない。でも、昨年TMCの3枚のアルバム――本作と『銀細工とシャドー』(1986年)と『Blood』(1991年)――を再発した時だけはヴォーンと監修にあたり、リマスターを施してヴィジュアルにも手を加え、紙質を厳選してデザインしたパッケージは、日本で特別に生産したのだという。想定以上に時間を要して発売日の延期を余儀なくされたが、自分の嗜好と美意識を妥協なしに反映させたTMCは彼にとってそれほどに特別な存在であり、そんなこだわりこそが4ADの礎を築いたのだろう。
(新谷洋子)


【関連サイト】
4AD

『涙の終結』収録曲
1. カンガルー/2. 警告の歌/3. ホロコースト/4. Fyt/5. フォンド・アフェクションズ/6. ザ・ラスト・レイ/7. アナザー・デイ/8. 彼が創る風/9. バラムンディ/10. 新しき夢/11. ノット・ミー/12. ア・シングル・ウィッシュ

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