音楽 POP/ROCK

スコット・ウォーカー 『Scott Walker Sings Jacques Brel』

2019.05.26
スコット・ウォーカー
『Scott Walker Sings Jacques Brel』
1981年作品


scott walker j1
 ジェフ・バックリィの「ハレルヤ」、パティ・スミスの「ビコーズ・ザ・ナイト」、ザ・クラッシュの「アイ・フォウト・ザ・ロウ」、シネイド・オコナーの「ナッシング・コンペアーズ・トゥ・ユー」......。以上の曲はいずれも、ともするとオリジナルよりも有名なカヴァー・ヴァージョンだ。何も原曲より優れているという意味ではなく、ジェフやシネイドは単に、大好きな曲に独自の解釈を加えて、より幅広いリスナー層、オリジナルとは接点がなかったリスナー層にまで届けるに至ったというだけ。そういう偉大なカヴァー・ヴァージョンのプロトタイプを探ると、究極的には、スコット・ウォーカーが歌ったジャック・ブレルの曲の数々に行き着くのではないかと思う。原曲がフランス語で綴られていただけに、英語圏のリスナーに与えたインパクトはよりいっそう大きく、デヴィッド・ボウイを筆頭にマーク・アーモンドからディヴァイン・コメディのニール・ハノンまで、スコットを通じてブレルを知り、同様にブレルの曲を歌い始めたミュージシャンが少なくないことは、ご承知の通り。2019年3月に彼が亡くなってからというもの、死にまつわる曲がふたつ収められているせいなのか、そんなカヴァーを集めたコンピレーション・アルバム『Scott Walker Sings Jacques Brel(スコット・ウォーカー、ジャック・ブレルを歌う)』(1981年)を幾度となく聴いている。

 そもそもスコットが本格的にソングライティング取り組むようになったのは、ソロ・デビューしてしばらく経ってからのことだ。ウォーカー・ブラザーズ時代の彼はポップ・スタンダードやソウルの名曲にあの美声を吹き込み、まずは所謂「インタープリター」(解釈者)として評価を確立。ソロ名義の最初の2枚のアルバムも引き続きカヴァーを中心に構成されていたのだが、特に頻繁に取り上げたのがブレル(1929〜1978年)の曲だった。ファースト『スコット』(1967年)で「いとしのマチルダ」「私の死」「アムステルダム」を、セカンド『スコット2』で「ジャッキー」「さあ続け」「娘たちと犬たち」を、書き下ろし曲が一挙に増えたサード『スコット3』(1969年)でも「子供はみんな」「葬送のタンゴ」「行かないで」をセレクト。本作にはこれら9曲が全て収められており(1981年発表のLPにはスコットの書き下ろし曲も1曲収録されていたが、CD化の際にカットされた)、何しろ歌詞の翻訳者もアレンジャーもほぼ全編共通しているため、1枚のカヴァー・アルバムとして難なく成立している。

 アメリカ人でありながら1965年から英国で生活していたスコットにブレルの音楽を引き合わせたのは、本作のブックレットによると、当時のガールフレンドだという(筆者の手元にあるスコットの初期のアルバムのボックスセットのライナーノーツには、大物プロデューサーのアンドリュー・ルーグ・オールダムが紹介したとする説も記載されている)。ベルギーに生まれ、のちにパリに移り住んでシャンソン界で大きな成功を収めたブレルが歌ったのは、シャンソンとは言ってもロマンティックな類ではなく、シニカルで、時に目を背けたくなるようなヒューマニティの暗部を暴く曲の数々。ヨーロピアン・カルチャーへの傾倒を深め、ソロ転向に際してポップ・アイドルのイメージを拭おうとしていたスコットにとって、これ以上なく魅惑的な素材だった。

 例えば、『スコット2』でもオープニングを飾った冒頭の「ジャッキー」は、歌手になって大成功する夢を語る一見無邪気な曲。だが、〈大量のアヘンや、正真正銘の同性愛者や、ニセモノの処女を売り捌いてやる〉というくだりが問題視されてBBCから放映禁止を申し渡され、続く「さあ続け」が描くのは、童貞の新米兵士たちが腰にタオルを巻いただけの姿で、兵舎内に設けられた売春宿で列を成す情景。その兵士の一人だった語り手がトラウマを吐露しており、「アムステルダム」では港町で刹那的な快楽を求める船乗りたちと、彼らに口先だけの愛を誓う娼婦たちが乱痴気騒ぎを繰り広げている。そう、男を翻弄して破滅させる女性たちへの複雑な想いも、ブレルの定番テーマだ。「娘たちと犬たち」然り、「いとしのマチルダ」然り、情け容赦ない言葉は女性の耳には残酷に響き、かと思えば、お馴染みの「行かないで」で自分を捨てた恋人にすがりつく彼は卑屈で、もはや哀れでしかない。

 そして前述した死を巡る2曲、「葬送のタンゴ」と「私の死」も、さすが一筋縄では行かない曲だ。コミカルな悲しさに満ちた前者では、死期が迫っている男が、自分が息を引き取ったあとで周囲の人々がとるだろう行動をあれこれ空想し、後者では〈私の青春の葬儀で読み上げられる、聖書に記された真実〉、或いは、〈灯りのない心で世界を眺める盲いた乞食〉のように待ち受ける死を、様々なアングルから考察。まだ20代前半だったにもかかわらず、若者たちがこぞって逃避に走っていた時代にこのような曲を通じて、脆くて尊厳を欠いた人間のリアリティを、唯一の絶対である死を見つめることを選んだスコットは、ソングライターとしてその後の作品にブレルの影響を大いに反映させることにもなる。

 一方のブレルはこの頃30代後半、早くも音楽活動から半ば引退して役者業に軸足をシフトしていたが、スコットのカヴァーを歓迎していたそうで、モート・シューマン(ドク・ポーマスとのコンビでエルヴィス・プレスリーらのヒット曲を生んだアメリカ人ソングライター)がオフ・ブロードウェイのミュージカル『Jacques Brel is Alive and Well and Living in Paris』(1968年)のために改めて英訳した歌詞を、逸早く歌う許可をスコットに与えた(「行かないで」だけは、すでに英語圏で浸透していたシンガー・ソングライター兼詩人ロッド・マッケンの訳を用いている)。アレンジについては、映画音楽などの世界で活躍したウォリー・ストットとピーター・ナイト及び、ジャズ畑のレグ・ゲストという、英国の名人たちが担当。オリジナルのスタイルを下敷きに、フル・オーケストラでさらに絢爛でドラマティックな演出を施しており、歌のアプローチも大きく違う。なぜって、ブレルの歌は激しい。ライヴ映像を見ると、汗まみれになって全身で曲の語り手を演じ、唾と一緒に言葉を吐き出すようにして聴かせる。でもスコットの歌はひたすら優美で、遥かな高みから醜悪な俗世を見下ろしているかのような、神々しい隔絶感を湛えている。よってキレイ過ぎるように感じる人がいるかもしれないが、それがまさにカヴァーの妙だ。ルグランやモリコーネ、或いはバルトーク、そしてベルイマンやゴダールにインスパイアされて美意識を再構築し、新たなアイデンティティを模索していたスコット。ブレルからも同様に多くを学んだわけだが、本作は、生涯を過ごすことになるヨーロッパに宛てて若き日の彼が綴った恋文集なのだと、ここにきて改めて認識を強めている。
(新谷洋子)


【関連サイト】

『Scott Walker Sings Jacques Brel』収録曲
1. ジャッキー/2. さあ続け/3. 娘たちと犬たち/4. 行かないで/5. 葬送のタンゴ/6. いとしのマチルダ/7. アムステルダム/8. 子供はみんな/9. 私の死

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