音楽 POP/ROCK

ネナ・チェリー 『ロウ・ライク・スシ』

2019.09.18
ネナ・チェリー
『ロウ・ライク・スシ』
1989年作品


Neneh Cherry j1
 2019年8月から9月にかけて、どういうわけかチェリー家の人々が相次いで日本にやってきた。まずはネナ・チェリーが、夫でプロデューサーのキャメロン・マクヴェイを伴ってサマーソニック・フェスティバルなどで公演。続いて、先頃デビュー・アルバムを発表したネナとキャメロンの次女メイベルがプロモーション来日し、9月半ばにはメイベルの叔父でネナの異父弟イーグル・アイ・チェリーがツアーで訪れるーーという具合に。誰に注目するかは世代と嗜好によって異なるんだろうが、筆者にはやっぱりネナの日本訪問がうれしかった。何しろ日本で最後に歌ったのはリップ、リグ&パニックの一員だった1983年だそうで、ソロ名義での来日公演は、今回がどうやら初めて。大所帯バンドを引き連れたライヴも素晴らしく、もっと大きなニュースになっているべきじゃないかと思って、ちょうどリリース30周年を迎えた彼女のソロ・デビュー作『ロウ・ライク・スシ(Raw Like Sushi)』をここで取り上げた次第である。

 当時25歳だったネナは、スウェーデン人の画家の母とシエラレオネ出身の父を持つが、生まれて間もなく両親が破局。母の再婚相手だった米国人のジャズ・トランペッター=ドン・チェリーを父として、ストックホルムとニューヨークで育っている。そして14歳の時にパンクに湧くロンドンに移り住み、ザ・スリッツやリップ、リグ&パニックのメンバーとして活動。そんな彼女とキャメロンを引き合わせたのはバッファローだ。バッファローは、スタイリストの故レイ・ペトリを中心に、志を同じくするミュージシャンやフォトグラファーが築いた緩い共同体。人種やジェンダーの境界を越えたストリート・スタイルをロンドンから発信する、このクリエイター集団に属していたふたりは、とあるフォトセッションで一緒にモデルを務めて意気投合したのだという。

 ネナとキャメロンは早速コラボレーションを開始。初の共作曲が、本作からの先行シングル「バッファロー・スタンス」だった。正確には、キャメロンとジェイミー・モーガン(同じくバッファローの一員)のデュオ=モーガン・マクヴェイのシングル曲「Looking Good Diving」(1986年)に、ネナがラップを乗せたリミックス・ヴァージョン「Looking Good Diving With The Wild Bunch」がその原型で、ボム・ザ・ベースのティム・シメノンの手を借りて曲を進化させて、「バッファロー・スタンス」が誕生したのである。

 ティムの名前が出たところで、時代背景にも触れておこう。というのもこの時期の英国では、1987年のM|A|R|R|Sの「Pump Up The Volume」の全英ナンバーワン獲得に後押しされ、ヒップホップ・プロダクションの独自解釈が多様なアプローチで成されていた。ティムやネリー・フーパーといったプロデューサーの活躍に加え、ロンドンではソウルIIソウル、ブリストルではマッシヴ・アタックが本格的に始動。キャメロンはのちにマッシヴ・アタックのファースト『ブルー・ラインズ』(1991年)を共同プロデュースことになるが、本作のクレジットを見るとキャメロンにティム、ネリー、マッシヴ・アタックの3Dとマッシュルーム(現在は脱退)......と、シーンの立役者が勢揃い。冒頭ではスクラッチ音が聴こえ、ジェイムス・ブラウンやファンカデリックのサンプルを織り込んだノイジーなトラックと、ネナのラップ&ヴォーカルが火花を散らす本作は、彼女自身はスウェーデン人ではあるものの、ブリティッシュ・ヒップホップの重要作品と位置付けるべきだろう。

 それに、ヒップホップ界において女性の存在感がまだ希薄だった時代に「バッファロー〜」は英両米チャートで最高3位を獲得しており、ネナを女性ラッパーのパイオニアのひとりと見做すのも、ハズレではない気がする。コックニーにもニューヨーカーにも聴こえるアクセントでラップする彼女のアティチュードは、タイトル(=「寿司みたいにナマ」)が物語るように、まさにリアルでタフで不遜。「バッファロー・スタンス」は言わばそういうネナのテーマソングであり、前述したバッファローへのオマージュでもある。

 それでいて、彼女が語っていることは過激でもなんでもなくて、すごく地に足がついている。例えばこの曲が究極的に伝えているのは、お金より優しさ、ロマンスよりラヴ!というメッセージ。3Dと共作した「マンチャイルド」では、人間として未熟な男性に母性を全開にして喝を入れる。何しろネナは第二児の妊娠中に本作をレコーディングし、妊娠8カ月の時にBBCの音楽番組で、ブラトップとミニ・スカート姿でパフォーマンスを行なって伝説を残している人なのだ。母性と言えば、「ザ・ネクスト・ジェネレーション」では子育ての喜びを歌っていて、どんな状況下で生まれようと子供は誰でも等しく可能性を秘めているのだと説く彼女。恋愛は、本物なのか見極めてからコマを進めようと論じるニュージャック・スウィング調の「ウートレィ・リスケィ・ロコモティヴ」は、離婚(ネナは1990年にキャメロンと結婚する前にリップ、リグ&パニックのドラマーと結婚していた)を経て生涯のパートナーと巡り合ったことを思うと説得力があるし、「ソー・ヒア・アイ・カム」では人生における初めての体験の数々を振り返って、自分が抱いた期待感と失望感を粋なユーモアを交えて描いていて、まだ20代半ばだったのに、倍くらい生きた女性の曲みたいに聴こえる。

 そんな彼女は本作でBRIT賞インターナショナル部門の新人賞と女性アーティスト賞に輝き、次のマドンナとも噂されたものだが、音楽業界の商業主義や女性差別的な風潮を嫌って、ポップスターを演じることを拒絶。1992年のセカンド『ホームブルー』と1997年のサード『マン』ではマイペースに独自のミクスチュア表現を掘り下げ、2000年代は子育てにほぼ専念し、やっとソロ活動を再開したのは5年前だ。2枚の近作ーー『ブランク・プロジェクト』(2014年)と『ブロークン・ポリティクス』(2018年)ーーではプロデューサーにフォーテットを起用。もはやラップはしないけどヒューマニティ溢れるポエトリーを歌い続け、音楽的にはジャズやエレクトロニカに接近して実験的志向を強めている。他方でメイベルのほうは、声はママに似ているが、メインストリーム・ポップのど真ん中に身を置いて着々とブレイク中。親子のコントラストも興味深い。

 でもネナは昔の曲に背を向けたわけでは決してない。来日公演では相変わらずハスキーでソウルフルな声で、「バッファロー〜」と「マンチャイルド」を現在のモードにアップデートして歌って、これらの曲のタイムレスネスを証明していた。そりゃカーディ・Bやニッキー・ミナージュもカッコいいし、ヒット曲は枚挙に暇ない。でも果たして50代になっても披露できる曲があるのか非常に疑わしいところだ。
(新谷洋子)


【関連サイト】
『ロウ・ライク・スシ』収録曲
01. バッファロー・スタンス/02. マンチャイルド/03. キッシズ・オン・ザ・ウインド/04. インナ・シティ・ママ/05. ザ・ネクスト・ジェネレーション/06. ラブ・ゲットー/07. ハート/08. フォニー・レディース/09. ウートレィ・リスケィ・ロコモティブ/10. ソー・ヒア・アイ・カム/11. マイ・ビッチ/12. ハート(イッツ・ア・デモ)/13. バッファロー・スタンス(スカ・ミックス)/14. マンチャイルド(ジ・オールド・スクール・ミックス)

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